働きながら本気でサッカーにも打ち込む ← これの真価を叫ぶ

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天皇杯サッカーもすっかり「ジャイアントキリング」が代名詞として多用されるようになって久しいが、コロナ禍2周年となる今年の大会については、今のところ、ほぼ当初の予定通り開催されており、8月18日に行われた第4回戦の結果を受けて、Jリーグ勢のみが勝ち残る形となった。

厳密に言えば、Jリーグ勢の中でもジュビロ磐田以外は全てJ1のチームなので、準々決勝以降の戦いにおいて、キラーワード「ジャイアントキリング」をもう使うことが出来ないことが事実上決定し、放映権を持っているNHKさんも、どのようにこの大会を世間に知らせるべきか、悩みに悩んでいるだろう。

とは言え、今年の天皇杯本大会でも、Jリーグ勢を非Jリーグ勢が倒す、NHK的に言えば「典型的ジャイアントキリング」があった。

中でも特筆すべき、正真正銘のジャイアントキリングだったと言えるのは、

2回戦で関西リーグのおこしやす京都が、サンフレッチェ広島を木っ端微塵に(5‐1)した試合と、同じく2回戦で、JFL Honda FCが、横浜F・マリノスの延長・PK戦の末破り、敵将をグラスゴーへ追いやった試合だろう。(どうか真に受けないで欲しい)

最近はNHKもこの大会を扱う上で、完全に「ジャイアントキリング頼み」に舵を切っており、「J1勢 VS 非Jリーグ勢」の対戦を積極的に電波に乗せようとするので、確かこの2試合はともにBSか何かで中継されていたはずだ。

そして、地域リーグやJFLを主戦場として戦っている非Jリーグ勢の選手たちを紹介する際に「トランスミッション製造部所属」とか「ガソリンスタンド勤務」とか、彼らの今現在従事している仕事内容について触れるのが、スタンダードになっているようだ。

JリーグのDAZN中継などを見ていても、選手たちが今現在従事している仕事は「プロサッカー選手なのである!」という大前提があるので、身長・体重の後に「工場勤務」とか「フィットネスクラブ勤務」とか「サッカースクールコーチ」とかは、実際にそれが事実であっても出てこない。(J3には、サッカー以外に仕事を持っている選手が大勢います!)

そうした物珍しさもあってか、天皇杯で勝ち上がり、J1勢と戦う非Jリーグ勢の選手たちを紹介する際に現れる「トランスミッション製造部勤務」「ガソリンスタンド勤務」については、一定のインパクトがあるようだ。

 

ただよくよく考えてみて欲しい。

こうして「トランスミッション製造部」とか「ガソリンスタンド」とかで働きながら、J1勢を相手に堂々と戦えるくらいのレベルで、サッカーに取り組んでいる社会人サッカー選手は、Jリーガーの総数をはるかに超える人数規模で存在している。

JFLで、Honda FCやヴェルスパ大分と同じ土俵で戦っているチーム数は17。

おこしやす京都と同じ土俵、地域リーグ1部が全国9地域合計で90チーム弱。

これに、前回大会で躍進した福山シティと同じ土俵、都道府県リーグ1部を加えると、、、、これは数えるのが大変だ。やめておこう。まあ少なくとも47×10=470くらいはあるでしょう。

つまり、この国の社会人サッカー(学生スポーツ以外という括りなので、Jリーグもこれに含める)を構成する選手たちの大半は、サッカー選手としてだけで生計が立てておらず、J1やJ2の選手のように、サッカーをするだけで生活が出来る状態にある人の方が、むしろ「珍しい」特殊な存在と言える。

 

ここまで読んで、「….で?」と思われている諸兄に、いきなり投げかけたいのは、この言葉だ。

『非Jリーグな社会人サッカーの世界は、既にそのままの状態で十分に、大切にすべき対象ではないのかい?』

ここからは一気に感情の赴くまま書いてしまおう。

この間の天皇杯4回戦「ジュビロ磐田 VS ヴェルスパ大分」の試合後にも

ヴェルスパの〇〇選手はいい選手。Jリーグでも通用する」みたいなコメントがTwitter上でも散見された。

コメントの主にそんな自覚はないと思うが、これって薄っすらと、非Jリーグの世界をディスってますから! この感じ分かる??無自覚に「J>非J」とマインドコントロールされてますぞ!!

ヴェルスパ大分の、非Jリーグな社会人チームの、その中で主力として戦っている選手の、その頑張りを独自の感性で表す力が無いからって、「Jリーグでも通用する」みたいな、マインドコントロールで凝り固まった価値観で置きに行くなよと。

言っておくが、働きながらサッカーにも取り組む、そういう選手が戦っている舞台の方が、むしろうちの国の「社会人(非学生)サッカー」を下支えするに値する存在なのよ。

それをあたかも「Jリーグに非ずはサッカーに非ず」のような発想、「選手もチームもJリーグに入ることによってだけ、解脱出来るのじゃ」みたいな傲慢な思想、深層心理の中にこういうのが定着しちゃってるから、「ヴェルスパの〇〇選手はいい選手。Jリーグでも通用する」とか「Honda FCはなんであんなに強いのにJリーグに入らないの?」とか、「非Jリーグの世界を全否定」しているかの如く、私に言わせれば「暴論」が後を絶たないわけですよ。

 

ただね、こうなっている原因は、非Jリーグな社会人サッカーの世界側にも大いにあって、自分たちで「目指せJクラブ!」「俺たちはJリーグに入らないと無価値です!」って半ば言っちゃってるチームも沢山あるわけですな。(昇格できなければ解散しますとかね。解散しちゃえよさっさと)

これはもう、サッカー界の中も外も、いや、日本のスポーツ全般に言えると思うけど、非Jリーグな或いは非プロな社会人サッカー、スポーツの世界に、価値を感じている人の数があまりに少ないことを、そのまま表しているわけ。

この社会に生きる人間として、何らかの経済活動に関わって生きていくのは至極当たり前の話で、その上で、自分の肉体の限界や、11人で見出せる可能性を追求しようとするそんな生き方を、人生を通じて貫く人が沢山いる社会は、間違いなく豊かな社会だし、そんな生き方が必ずしも簡単ではないからこそ、それを支援する人がもっといていいし、何より、そうした生き方を選んだ当人には、その決断と生き様をもっともっと誇らしく思って欲しい。

勿論、天皇杯でJ1勢を相手にいい勝負をするくらいの高い競技レベルでそれを実現するのには、限られた才能に加え、限られた時間でしか、そのチャンスが与えられることはないけれど、社会全体がもっと多様な価値をそこに見出せるようになれば、彼は30歳になっても、40歳になっても、20歳の時と同じように、サッカーやスポーツに打ち込むことが出来るかも知れない。

同時にそうした非Jリーグ勢の社会人サッカーが社会的に認知されることで、そこまでの「本気度」はなくとも、社会に出たあともボールを蹴ることの出来る世界をより多くの人が持つことにも、必ず繋がっていくだろう。

これぞ、おっさんやおばさん、じいさん、ばあさんになってもボールを蹴ることの出来る社会。

つまり、非Jリーグな社会人サッカーの世界に、しっかりと寄り添って生きる、選手・チーム・クラブが沢山あって、だからこそ、それを支える人や関わる人が多数いて、それらが網のように複雑に絡み合うことで、その存在は間違いなく、地域社会に不可欠なものとなり、日本代表がW杯出場を逃そうと、Jリーグの観客が激減しようと、そんなことはどこ吹く風とばかりに、サッカーの持つ普遍的な価値を示し続けることが出来る

大きな金を生み出せる仕組みではないかも知れないし、そんな地味な世界であれば電通だってあっさり見切りをつけるかも知れない。

だとしてもいいじゃないか。

スポーツ自体、そもそも人々の生活に根ざした、超日常、当たり前に存在するものであって、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。(無理に「それ以上」にしようとするのが電通ですよ)

 

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