COVID-19 備忘録 JFA田嶋会長の「感染」があぶり出したもの

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猛威

新型コロナウイルス感染拡大の猛威は、ついに世界規模で語られるようになってしまった。

こうなるともはや「Jリーグ再開」を期することにすら虚脱感を覚える。

何しろ、それを求める人たちが、どんなに「早期再開」を願ったところで、国難収束の光が見えてこない限りは、それが成されることは決して無いのだ。

そんな状況の中、日本サッカー協会(JFA)田嶋幸三会長が新型肺炎に感染していたことを、JFAが公式に発表した。(正確には3月17日夕方)

JFA田嶋幸三会長の感染

欧州では既に有名選手や有名監督、或いは協会長などの罹患情報が流れてきていたが、日本国内における著名なサッカー関係者の感染は、この田嶋会長のケースが初めてであろう。

そしてこの先も、中長期に渡り感染拡大の勢いが止まず、収束の可能性が見えない限りは、選手や監督といった、ファンにとって「身近」なサッカー関係者も含め、感染者がどこにでも発生すると考えた方が自然だろう。

何しろ、少なくとも現状の日本社会においては、ウイルス感染者がどこにいるのか、それを十分に把握しきれていない。

Jリーグであっても、そこで戦う選手や監督には日常生活があり、練習場やクラブハウス以外で過ごす時間の方が多い。

同時にこれは、日本社会で生活している全ての人が「リスキーな日常」に置かれていることをも意味する。

だからこそ、この新型肺炎に感染してしまった人に対する、心の持ちようは非常に重要であり、決して彼らを(精神的にも)排除するようなことがあってはならないし、感染に至った経緯なども含め、それらを殊更に批難するような社会を作ってしまえば、それがそのまま自分に降りかかってくる覚悟もしなくてはならなくなる。

つまり、この世界中で起きてしまっている大騒動が、実はその社会を構成している全ての人、その1人1人に課せられた命題であって、それを物見雄山出来る立場にある人は皆無なのだ。(かく言う私自身も自分が100%新型肺炎に感染していないとは言い切ることが出来ない)

逸脱したツイート

ただ、そんなことは至極当然のことで、こんな風に私が改めてそれを訴える必要のない「社会通念」「最低限のモラル」と言ってもいい話だと思っているが、今回の田嶋会長感染に際しては、その「社会通念」「最低限のモラル」を明らかに逸脱した、決して看過できない一部サッカーファン・関係者の反応があったので、今後の日本サッカー界を考えていく上での備忘録として、以下にそれが見受けられるツイートの中で、特に大きな反響を生み出している(リツイートやコメント、いいねの多い)リンクを貼っていこうと思う。

反響の少ないものも加えれば、上に挙げたものを同じようなツイートを相当な数確認出来たが、そもそも「いいね」や「リツイート」がほとんどつかないツイートも少なくなく、そうした「便所の落書き」的ツイートは、賛同を得られていないものとして黙殺出来る。

ただ、少なくとも上に挙げたツイートについては、数千からの「いいね」「リツイート」に加え、これに賛同する(いや、更にエスカレートさせたと言ってもいい)コメントがも多くつけられており、今回の田嶋会長感染に対するサッカーファンの反応の中でも、それなりに存在感のあるものとなってしまっている。(試しに是非〔#田嶋〕でワード検索してみて下さい)

田嶋会長への風当たり

かねてから、田嶋会長に対するサッカーファンの風当たりはきつい。

大きな大会の試合前セレモニーなどに田嶋会長が登場すると、大抵の場合盛大なブーイングが発生するほどだ。

田嶋幸三という人間のJFA会長としての功罪について、私自身も思う所はあるが(恐らく多くの人が問題視する部分とは異なるポイントだとは思うが)それよりもこの国難が収束することを願う気持ちの方が遥かに大きい。

上に挙げたツイートの中には「遺志」などと、あまりに酷い表現を使った低俗なものだけでなく(それでも数百の「いいね」がついているのが恐ろしい)田嶋会長の感染を「最悪のタイミング」として批難しているものもある。

これは恐らくJリーグ再開が予定されている4月上旬に向け、サッカー界から感染者が出てしまったことに対し、その再開時期がさらに延期されてしまうことを危惧してのものだと思うが、4月以降の子どもたちへの教育「義務」をどう果たすのか、それすらしっかりと議論されていない状況、或いは、毎日のように「医療崩壊」という恐ろしい言葉がニュースを騒がせている実情にあっては、冒頭にも書いたように「もはやJリーグ再開を期することに虚脱感」すら覚えてしまうわけで、この期に及んで「田嶋会長感染=Jリーグ再開への障害」と取ってしまう感性が、率直に言ってあまりに世情と乖離ししてはいないか。

社会に寄り添うサッカーであって欲しい

今日本サッカー界に求めらえているものを敢えて挙げるとすれば、それは「より社会と寄り添うこと」であろう。

Jリーグのみならず、日本国内にあるあらゆるサッカーの光景は、サッカー界に関わる人、またそれを心から愛する人だけの力で成立するものではないし、そうでないからこそ、多くの人が関心を寄せる可能性を孕み、サッカーによって救われる人を社会から1人でも多く生み出すことこそが、本質的かつ唯一の価値であるはずだ。

気に入らない人間だからと言って、感染者を踏みつけるような姿勢を取る人たちが、どうやって社会に寄り添うことが出来よう。

目先の1試合、目先の豊かさ、そして一刻も早く日常を取り戻すこと。

これらを追求したくなる心情は分からなくもない。

しかしながら、それを現実のものとする上で、サッカー界が社会とあまりにかけ離れた感性に満ちた世界であっては、それらを共感出来る人を生み出すことは困難である。

サッカーを愛するからこそ、それが社会とともにあることを私自身も、改めて肝に銘じたい。

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