心躍らせた記憶
「Jリーグ百年構想」とは一体何なのだろう。
Jリーグがスタートするのを見届ける形で、およそ四半世紀の間、Jリーグを「身近な存在」として感じることのない生活を送ってきた私にとって、このあまりに印象的な‟キャッチフレーズ”が、どんな風にJリーグと寄り添って歩んできたのか、それを肌感覚で理解することが実は難しい。
しかしながら、Jリーグを誕生させた初代チェアマン川渕三郎氏が、日本サッカー界における大革命に挑んいる時点から声高に叫んでいた「地域密着」というキーワードについては、それまでの日本スポーツ界には存在しなかった概念でもあり、当時二十歳そこそこだった私もワクワクしながら聞いていた記憶がある。
サッカーが街から愛されている光景
私は大学の卒業旅行で人生初の海外旅行をすることになったが(このパターンは我々世代のテッパンケース)その旅先で目にしたドイツやイタリアにおける「サッカーの姿」
大勢の観客を飲み込む熱狂のスタジアムはもちろん、それを下支えしているのが、公園で真剣に草サッカーに熱を上げる大人たちや、街のあらゆる場所で目にする地元チームのエンブレムやフラッグ、そしてサッカーを話のツマミに、バールで「トトカルチョ」に精を出す初老の男性たちであることを想像するに難しくはなかった。
まさしく「サッカーが街から愛されている光景」
サッカーがマイナースポーツの象徴として存在してきた日本社会において、それを好きだからこそ、長く陽の当たらない場所にいた自分が、突然にして燦燦と輝く陽当たりに飛び出してしまったかのような衝撃があり、2週間の旅の期間中ずっと興奮状態にあったように思う。
※イタリア語も出来ないのに、草サッカーに混ぜてくれと願い出たものの『お前が入ると片方が1人多くなるから誰かいなくなるまで待ってくれ、それにお前はサッカーシューズを履いてないだろ』とカタコト英語で説明されて『なんて真剣にやっているんだ!こんなデコボコでどこまでが線なのか分からないような広場で!ゴールだって誰かの靴が置いてあるだけだし!!』と返って感激してしまったほどだった。実際は訳の分からない東洋人を混ぜたくなかっただけだった気もする。
つまり私は、そんなサッカー先進国に当たり前に存在している、サッカーがある街、サッカーが愛される街を、川渕チェアマンの唱えるJリーグの目指す「地域密着」というキーワードの先にイメージして、心躍らせていたのだ。
「Jリーグ百年構想」が誕生した背景
Jリーグがスタートして3年が経過した1996シーズンの開幕に合わせ大々的に打ち出されたのが「Jリーグ百年構想」だった。
正確には「あなたの町にも、Jリーグはある。」がメインコピーで、初めの1シーズンについては「Jリーグ百年構想」はサブコピーだったが、1997シーズン以降は「Jリーグ百年構想」に「スポーツで、もっと、幸せな国へ。」が加わり、「Jリーグ百年構想 〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。〜 」となり現在に至っている。
このコピーが生み出された当時、Jリーグはスタート以来続いていたいわゆる「Jリーグブーム」が鎮静化し、観客動員数にもその陰りははっきりと表れていた。
そう言えば、日本が史上初のW杯本大会出場を決めた、1997年11月のジョホールバルで、三浦知良に「引導を渡した」中田英寿が試合後『代表はなんとか盛り上がったんで、Jリーグもよろしくお願いします!』とコメントしていたのをはっきりと覚えているが、当時Jリーグのスタジアムにほとんど行くことのなかった私には『え?盛り上がってないの?』とあまりピンと来なかった記憶もある。
ただ現実的には、日本代表選手が多くの日本人が視聴しているであろう試合の生中継で「Jリーグもよろしくお願いします」と言いたくなる実情がそこにあったことが、様々な数値情報からも明らかである。
※特に中田英寿がそうしたことを言える人間だったという側面も大いにあるが、Jリーグにとって最大の汚点とも言われる、佐藤工業の撤退に端を発した横浜フリューゲルス消滅が1998年である。
つまりスタートして僅か3~4年で、Jリーグは深刻な危機に晒されていた。
日本社会において圧倒的な市場規模を誇るプロスポーツ「プロ野球」に、追いつけ追い越せの勢いを見せ、景気のいい話題しか存在しないかに思われた「Jリーグ」が、実際にはその後塵を拝する道を歩み始めているどころか、消滅してしまうかも知れない。
「Jリーグ百年構想」が誕生した背景には、こうしたJリーグの当時の状況が、大いに影響していると見るのが自然だろう。
目先を遠い将来に向けさせて
当時のJリーグは、その多くのクラブが「実業団チームからの転向組」で、川渕チェアマンの唱えるJリーグ理念など、ほとんど具現化出来ている段階ではなかった。
そうであれば当然ながら、Jリーグは「プロ野球」との差別化を実態としてはほとんど図ることが出来ないわけで、その壮大な理念を「遠い将来」に目を向けさせる形で、広くアピールしていく必要が生じたのだろう。
ちなみに、この「Jリーグ百年構想」というコピーは、大手広告代理店によるコンペで決定。
「あなたの町にも、Jリーグがある。」と「Jリーグ百年構想」という2つのコピーは、現在では日本サッカー協会の首についたリードをガッチリ握っているとも言える電通が提案したものだ。
Jリーグは、その創設以来プロモーション活動の全てを博報堂に担わせていた。つまり、このコンペが行われた時点で、電通はJリーグのスポンサー営業やメディアプロモーションに関わっていなかった。
2010年にJリーグは広告代理店契約を博報堂から電通へと切り替え、現在に至っているが、その大きな転機となったのが「Jリーグ百年構想」という壮大なコピーだったと取ることも出来るだろう。
ともあれ、こうして誕生した「Jリーグ百年構想」によって、日本サッカー界はその壮大な将来像をどの程度実現出来ているのだろうか。
実現出来ている?!
Jリーグ百年構想 趣旨
- あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
- サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。
- 「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの場を広げること。
Jリーグスタート時と比較して、スタジアムや天然芝・人工芝のサッカー場は確かにあらゆる地方に建設・設置された。
スタート時に10だったクラブ数も50を超え、未だそのエクスパンションにストップは掛かっていない。
これらを以て「実現出来ている」と捉えることが、更なるJリーグの発展・進化を後押ししてくれるのだろうか。既にあの心躍らせていた二十歳の私は、既にそうは思えなくなってしまっている。
このシリーズ後編では「Jリーグ百年構想クラブ」をフューチャーし、Jリーグ理念の旗印「Jリーグ百年構想」について考察していきたい。