高校サッカー漬け
この年末・年始にかけ、例年になく「高校サッカー漬け」になっている。
これまでの正月も、高校サッカーを全く観戦していなかったわけではないが、大抵は準決勝・決勝といった大会終盤か、それプラスアルファが関の山だったので、既に4会場で8試合(厳密に言うと1月2日の浦和駒場では駐車場所に苦慮し、第1試合の昌平VS興国を半分くらいしか見ることが出来なかったので7.5試合)を観戦している2020年の年末年始は間違いなく異例と言える。
一応以下に私がこれまでに会場で観戦した試合を一覧で記しておく。
- 12月31日 1回戦(駒沢陸上)静岡学園VS岡山学芸館 丸岡VS長崎総科大附
- 1月2日 2回戦(浦和駒場)昌平VS興国※ 富山第一VS神村学園
- 1月3日 3回戦(浦和駒場)国学院久我山VS昌平 青森山田VS富山第一
- 1月5日 準々決勝(駒沢陸上)矢板中央VS四日市中央工 徳島市立VS静岡学園
現時点でベスト4が出揃った今年の高校サッカー選手権だが、今のところ11日に行われる準決勝、13日に行われる決勝も埼玉スタジアムで観戦するつもりなので、今大会においては合計11試合(厳密に言うと10.5試合)の観戦となりそうだ。
と、何やら「サッカー現場主義」を殊更にアピールしているように見えてしまっているかも知れないが、今回私が述べたいのは、その様なくだらない優越感に浸る話ではない。
私がこの年末年始にこれほど高校サッカーの試合会場へ行ってしまったのは、そこが非常に居心地の良い空間であることに気がついてしまったからなのだ。
サッカー観戦の原点
勿論、そうさせた大きな要因として、この正月が我が家的に高校サッカーを観戦しやすいスケジュールだったことは無視出来ないが、それでも他にいくらでも行くところはあったろうに、里帰りしてきていた妹を引き連れてまで連日試合会場に足を運んだのには、そこに「サッカー観戦の原点」のようなものを感じたからであり、しかもそれが私にとって非常に心地良かったからであるのは間違いない。
これら「サッカー観戦の原点」「心地良い空間」が具体的に何を指しているのか、それを端的に表現するとこうなる。
「高校サッカーに集まる観客はサッカーを観にきている」
「何を当たり前のことを」と思われてしまうかも知れないが、少なくとも私がこの数年の間に足を運んできたJリーグのスタジアムでは、必ずしもそうした観客が多勢だったとは感じていない。
いやむしろ、Jリーグのスタジアムに集まってくるファン・サポーターと称される「観客」は自らを「観客」と表現されるのを不快にすら感じるかも知れない。
つまりそれくらい、Jリーグのスタジアムに集まる人の中にあっては「応援者(ファン・サポーター)」が圧倒的多数を占めているのは事実だろう。
トヨタカップの記憶

1月3日 浦和駒場スタジアム(国学院久我山VS昌平)
バックスタンドはほぼ満員。ゴール裏もかなり埋まっている。
高校サッカーの試合会場で明らかな「応援者」として存在しているのは、大会メンバーに選ばれなかった大勢のサッカー部員や、その学校の生徒たち、そして選手たちの家族やOBなど「学校関係者」に限られる。
中には、これといった縁や所縁はなくても「青森山田ファン」とか「静岡学園ファン」を自認し本気で応援している人もいるかも知れないが、基本的には先に書いた「学校関係者」以外の人は「観客」として試合を観に来ているはずだ。
そうしたこともあり、高校サッカーの試合会場では、時に水を打ったような静寂が訪れる。すると、そこがやや大き目な陸上競技場のバックスタンドであっても、選手同士が交わしている声や、コーチングエリアから監督が叫ぶ指示などが、結構明瞭に聞こえてくる。(勿論、ブラスバンドの合奏応援などが入るタイミングではそれを聞くことは叶わないが、それも試合を通しずっと行われているわけではない)
「サッカーを観にきている観客」にとって、どの選手がどの選手とどんな言葉を交わしているのか、この場面で監督がどういう指示を出しているのか、といった部分についても、試合を堪能する上での大切な要素なので、それらを聞いて「監督が右サイドにボール回せって叫んでるよ」等と言いながら試合を楽しんでいる。
或いは、目の前で行われている試合から何かを得ようと、そうした声すらも聞き逃さないよう、全神経をピッチ上に傾けながら、今その時をスタジアムで過ごしていること、それを満喫しているのだ。
そして私は、こうしたサッカースタジアムのムードにある記憶を呼び覚ましていた。
このムードはまさに、毎年12月の第2日曜日に国立競技場で行われていたトヨタカップで感じていたスタジアムの雰囲気だ。(1980年に行われた第1回大会は2月開催だった)
やっぱりサッカーは面白かった

1月5日駒沢陸上 「サッカー観戦者」はキックオフ直前に集まり、試合終了とともにサッといなくなる。
Jリーグがスタートする以前、まだ「サポーター」といった言葉も日本サッカー界で一般化されていない時代に、欧州と南米のクラブ王者が戦うこの試合だけは、チケットを獲るのに子どもながら苦労した記憶がある。
そして、あの満員のスタジアムでプレーするスーパースターの一挙手一投足を見逃すまいと、固唾を飲みつつ集中力を発揮していたのは、少年だった私たちだけでは無かったはずで、ほとんどの観客がそのピッチ上(当時は「ピッチ」という言葉も一般的ではなかったが)で起きていることを貪欲に見つめ、時にそれを言葉で評しながら、自分の頭で「解釈」しようと必死になっていたように思う。(当時は当然ながらフットボリスタの様な戦術論が交わされているメディアも皆無だったので、試合に対する評価は全て自分でする必要があったし、それが至って普通のことでもあった)
試合前に何かイベントがあるわけでもないし、スタジアムで販売されている飲食と言っても、日清カップヌードルが最高レベルで、当時は円高もあって欧州や南米から応援団が大挙してやってくるようなことも無かった。
それでも、観客がスタジアムに求めているものは、ピッチ上で繰り広げられる試合そのものであり、だからこそほとんど「当たり外れ」もない。
すると、他者が創り出す「ムード」や、主催者側が提供する「サービス」がどんな内容・レベルであったとしても、「やっぱりサッカーは面白かった」と、心から満足してそれぞれが帰路につくのだ。
これに限りなく近い空間が、高校サッカーの試合会場には今でも存在しているように思う。
「サッカー観戦」と「サッカー応援」
つまり「サッカー観戦」と「サッカー応援」は決してイコールではないのだ。
しかしながら、「サッカー観戦」と「サッカー応援」が同義語であるが如く扱われている場面は多いし(実際に私自身もこの正月の高校サッカーによって、両者の明確な違いを改めて認識出来た)そうして両者が混同されてしまっているから、それぞれのニーズが大きく異なっていることにも気がつくことも出来ない。
ただ、この「サッカー観戦」というニーズが、この日本においても充分に存在していることを、高校サッカーの試合会場の盛況さが示しているように私は感じている。
何しろ思った以上に盛況で、決して安いチケットでは無いのに(大人当日1800円)1月3日の浦和駒場などは、アウェイ側のいわゆる「出島」以外のスタンドがほとんど埋まってしまうほどの観客動員力だった。
かつて数千人すら集めることが難しかった日本サッカーリーグが、Jリーグとして装いを新たにした時に、そのスタジアムを満員にする為の切り札として創り出された「サッカー応援文化」。
あれから四半世紀の時を経て、それは「サポーター文化」としてJリーグを中心に日本サッカーを支える大きな要素であり続けたのは事実だろう。
とは言え、この先の四半世紀を考えた時、サッカーそのものを堪能しようとする人たち、応援者としての立場を取らないサッカーファンをどれだけスタジアムへ呼び込むことが出来るか、それが日本社会でサッカーが永く愛され続ける土壌を作る上で、大きなヒントになるように私は感じている。
奇しくもそれを、Jリーグがスタートする以前から日本サッカー界唯一の人気コンテンツとして存在してきた高校サッカーの試合会場で気づかされ、決して刺激的ではなくとも私にとって心地良い「サッカー観戦」のスタイルを改めて思い出させてくれたのだ。