闘将 流経大中野雄二監督の提言 第4回「Jリーグ拡大路線と選手へのしわ寄せ」

流通経済大サッカー部 中野雄二監督(2019年7月 RKUフットボールフィールドにて)
5年後も変わらず同じリーグにいる
ー「自己責任」と捉える人もいるかも知れませんが、事実上「貧困なアスリート」を増産するシステムであると、それがJリーグのクラブ数拡大というそもそもの方針が間違っていたんじゃないかと言うことでしょうか?
『うちの学生もJ3が無かったら就職するんですよ。J3があるから1000人に1人とか10000人に1人とかの確率を求めてその中に飛び込んで行っちゃうんです。「でも俺は無理だと思うよ」と学生にも言うわけです。
4年間見てきたけど、4年間出来なかった人がすぐ明日出来る、やりますって、それは現実的に評価するの難しいよと。
今大分にいる藤本憲明がJFLからJ3、J2、J1と上がってきて活躍していると話題になってますけど、彼みたいなケースはレア中のレア中のレア中のレアなんです、ああいうケースが沢山あるんであればJ3が存在している意味もあると思いますよ。でも(大学サッカー連盟の技術委員会で統計調査をしたところ)多くの場合、J1に行った子は5年後もJ1に変わらずいて、J3に行った子はJ3にいるんですよ。
大学サッカーからプロになるって言いますけど、J1クラブに入る選手は10人くらいで、他はJ2やJ3クラブに入っているわわけで、契約内容を見ると「これ本当にプロなの」というケースも少なくない。』
ーそうしたデータは何か公開されている資料で見ることは出来るのですか?
『JFAでもそうした統計は取っていないと思います。大学サッカー連盟は独自に(Jリーガーになった大学出身選手の追跡)統計調査をしましたが、本来であればJリーグがそういうデータを取って然るべきだとは思いますが。
選手の給与についても、J2の平均はこれくらいだとか、J3の平均はこれくらいだと、そういうデータもJリーグ側が表に出すべきだと思います。』
ー大学サッカー連盟が統計調査した(Jリーガーになった大学出身選手の追跡)データについては、我々も見せて頂くことは可能でしょうか?
『全く問題ありません。調査した範囲のものであればお見せすることは出来ますよ。この統計調査をした目的としては、我々もJ1クラブに入れるような選手を大学サッカーからもっと誕生させなくてはいけないと、これくらいのレベルの選手を育成しないと「プロ」と呼べるようなクラブには入れないんだと、それがあったわけです。
僕はJリーグの「将来構想委員会」にも入っていたんですが、その委員会の中で「Jリーグはブラック企業じゃないか」とそう発言したんです。田嶋幸三会長は「それ凄くいい表現ですね」とおっしゃってましたよ。
もちろん、Jリーグも努力していると思いますよ。でも現状がそうなんであれば、チーム数を増やすのを一旦やめて、経営的に充実したクラブだけにして、増やしたいのなら最低条件というのを決めて、例えばJFLで3位以上に入れないとJ3に昇格出来ないと言うときに、集客数、興行としてこれくらいの人を集めないといけないねと、決めているじゃないですか、でもほとんどの場合、本当に適当ですよ。2,500人しか入っていないのに3,000人と言ってみたり、そういう水増し数字で出していても、みんな水増しだって分かっていても、認めてきちゃっているんですよ。それはその場しのぎであって、結局最後に苦しむのは選手たちになるんです。全部しわ寄せが選手にくるんですよ。』
J3の拡大路線
ー多くのサッカーファン、そして業界側が「粉飾なんていいんだよ」と、そこに対する危機感を持てていないように思えますね。
『Jクラブの収支決算書についても、Jリーグ側がちゃんとチェックしているはずじゃないですか。でも、例えばトレーニング・フィ(JFAの規定で国内においてアマチュア選手がプロ選手として移籍する場合に請求出来る育成保証金)についても、大学卒の選手を獲ると、大学に120万円、高校に45万円、計165万円は必ず掛かるんだから、収支決算書にどういう項目があるのか分かりませんけど、大卒の選手を10人獲る場合は165万×10人分、1650万円が年間予算の支出のところに無ければ、チェックした側もおかしいなと、思うのが普通じゃないかとずっと言ってきたんですよ。でもそれがないのに、その収支決算書を認めてるって言うのは、単に監視する機能が破綻しているっていうことですよね。
それでも3年後までにそこを改善していこうとか、そういう青写真があればいいですよ、でも実際にはそういうこともしないまま、Jクラブを増やしているんです。
Jリーグ側にも百年構想とか、将来的には100くらいのJクラブを作りたいとか、47都道府県の全てにJクラブを作りたいとか、そういう理想があるのは悪いことではありませんよ、ただヨーロッパの国なんかの場合、そこに至るまでに長い歴史もあるわけですが、僅か26年くらいであまりにチーム数を増やしすぎたんじゃないかと。
一回立ち止まって見直すことをしないまま、(Jリーグが)チーム数を増やすことだけに邁進してきてしまった結果が、ちゃんとした給与体系下にない選手を犠牲者のように抱えてしまっている原因じゃないかと私は思っています。』
ー社会問題の中にも「今すぐやめた方がいいんじゃないか」というような政策も沢山ありますが、一度走り出してしまうと止めることが出来なくなってしまうことも多いですよね。
『J3リーグが誕生し拡大していく中で、大卒の選手が非常に多くそこに入っていったわけで、ある意味で一番多く犠牲者を出しちゃったとも言えるんです。だからJリーグに送り出す側としては、そういう状況が分かっているのに、そこに行けって言えないですよ。「お前月給5万円でどうやって結婚すんだよ」って。
ただ、サッカーを嫌いになれって言っているわけじゃないんですよ、サッカーは好きでいいんだと、でも食い扶持はどっかに作って、会社に勤めて、それでサッカーを続ければいいじゃんと、何でJ3じゃなきゃダメなんだよと、そう話を学生にするしかないんですよ。』
「流経大に行ったのにプロになれなかった」
ー中野監督は毎年、大学3年生くらいになった選手たちにそういうお話をされるんですね。
『溝が出来るんですよ(笑)
保護者もその子が子供の頃からの夢だからって言って、一回はJリーガーって言う名前の付くところへ行かせたがるんです。言っていることは分からなくないですよ。でもJ3の場合なんかはJリーガーとは名ばかりで、現実はこうなんですよと言っても、次にこう言ってくるんです「頑張ればそこから這い上がっていく人もいますよね」って。本当に大変です。
小学校の指導者の方は「チームは勝てなかったけど、中学に行ったらお前ならもっといい選手になれるぞ」と言って送り出せるじゃないですか、本当か嘘かは別ですよ。中学の先生は「お前は帝京に行ったら高校選手権出られるかも知れないよ」って言って送り出すんです。高校の先生は「お前流経大行って頑張れ」って、でも大学の指導者はそんなことを言って社会に送り出せないですよ、大学の指導者は言いたくないことをはっきり言うしかないんです。「お前頑張ってきたけど、サッカーを仕事にするって言うのは、ちょっと無理があるぞ」と「お金を稼ぐことは他でやった方がいいよ」と「でもサッカーをしたいのなら、Jリーグじゃなくても他にサッカーが出来る道はあるじゃん」と、これを的確に言わなくちゃいけない。
サッカーを嫌いになって欲しくないんです。でも、サッカーを職業にするとなった場合、それを評価をしなくちゃいけない立場にいるから、それをちゃんとやっているわけですが、みんな「夢」だけをそこで言うんですよ。
これは保護者もそうです。特にJクラブのアカデミーから来た選手の保護者は、自分の子供が例えば浦和レッズのユースにいたとか、アントラーズのジュニアユースにいたとか、そういう場合は、親戚とか近所の人に「将来はJリーガーになるんだね」なんて言われていて、保護者としてもそう言われれば鼻が高くなって、「いや、そんなそんな、、厳しい世界なのよ」と謙遜はしながらもですよ、子供に対しては「なんであんた流経大行ったのにレギュラーになれないの!」と、そういう保護者からのプレッシャーも大学生は感じていて、自分が実力で出られないのを親に言えないんです。「俺は頑張っているんだけど、同じ年に流経大柏から来た凄い選手がいて、そいつを抜けないんだ」って言えないんです。』
ー選手たちの保護者もJリーグの「プロバガンダ」を信じてしまっているということですね。
『本来は構造としてJリーグを見なくちゃいけないのに「流経大に行ったのにプロになれなかった」となってしまう。
あんなにサッカーが好きで、一生懸命やってきた子が流経大に行ってプロになれなかった、流経大の指導がおかしいんじゃないかと、そういう方向に取ってしまいがちなんです。これは明治大でも筑波大でも同じように見られる傾向です。』
ーこじつけかも知れませんが、J2、J3とクラブ数が増えて、Jリーガーになることの敷居が低くなってきたことも、そうした保護者の感情を生み出しているのかも知れませんね。
『僕は毎年1年生に言うんです。今年であれば73人いますけど「隣見てみろ、みんなが本当に努力しても、この73人が全員プロになるということはあり得ないぞ、せいぜいこの中で2~3人だぞ」と、だから隣にいる奴はみんなライバルなんだ、そういう覚悟でやらなくちゃダメだぞと、それから「プロありき」でサッカーをしてはいけないとも言います。何故なら「プロありき」でサッカーをしてしまうと、どこかの段階で自分がプロにはいけないと気がついた瞬間にエネルギーがなくなってしまって、ルールも守らなくなってしまうし、自分の存在意義を感じられなくなってしまう傾向があるんです。そんな場合も少し昔の保護者は「あんたの努力が足りないんだ」と子どもに言うケースが圧倒的に多かったですけど、最近はそうでもなくて「あんたプロになれないならもう大学辞めなさいよ」と言う保護者もいます。
学生たちにはことあるごとに「プロになれるのは本当に一握りなんだよ」と言っているので、むしろ子どもたちの方が冷静なんです。プロに行きたいって言っている学生に「J1に行きたいの?J2に行きたいの?J3に行きたいの?」と僕は聞きますし「J3だったらそのプレーでも指摘することはないな、J1だったらそのプレーじゃ無理だよ」とも言います。結局キミは「どのプロに行きたいの?」とそれを言いなさいと、そうやっているから、学生たちが安易に「プロ」とは言えなくもなっているんです。』
【中野雄二(なかのゆうじ)】
1962年東京都出身。
高校1年時、3年時に古河一高で全国高校サッカー選手権大会優勝。(3年時は主将)
法政大では2年時に総理大臣杯優勝。(4年時は主将)
大学卒業後、1985年より水戸短大附属高(現水戸啓明高)に教諭として赴任。サッカー部監督も務め、弱小チームだった同校サッカー部を5年後には県準優勝にまで導く。
1991年、プリマハムに社員として勤める傍ら、プリマハム土浦FCの前身プリマハムアセノFCのコーチとなり、チームがプリマハムの単独出資となった1992年以降は監督となる。
同年茨城県社会人サッカーリーグで優勝、1994年に関東サッカーリーグ昇格、1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)で準優勝し、チームはJFL昇格を果たす。
1996年シーズンが終わると、プリマハムがプリマハム土浦FCの運営から撤退。当時茨城県リーグに所属していた水戸FCと統合する形で1997年に誕生した水戸ホーリーホックで監督と常務取締役を担うも、チームがJFLで最下位となり1シーズンで辞任。
1998年にかねてより要請のあった流通経済大サッカー部監督に就任。以来大学サッカー界を牽引する指導者として、数多くのサッカーマンを世に送り出している。
流通経済大社会学部教授、全日本大学サッカー連盟副理事長、関東大学サッカー連盟副理事長