闘将 流経大中野雄二監督の提言 第2回「水戸ホーリーホック時代と反省」

Jリーグ

関連リンク

 

Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第2回「水戸ホーリーホック時代と反省」

流通経済大サッカー部 中野雄二監督(2019年7月 RKUフットボールフィールドにて)

月給10万では結婚も出来ない

『間違いなく今わかっているのは、少子化で人口が減っているわけですよ。ということはつまり「サッカーファミリー」の数は基本的に増やせないですよ、子どもの絶対数が減っているわけですから。これを「サッカーファミリーを増やせ」といったところで、子どもたちが全員サッカーをするわけじゃありませんから、ましてや今でも、本当に運動能力の高い子どもは野球をやっている傾向があって、例えば大谷とかダルビッシュとかマー君がサッカーやっていたら、どんな選手になっていたんだろうとやっぱり考えますよ。

これはやっぱり、日本社会の中で「野球の方が儲かる」と。

ドラフトなんかを見ていても、大卒ルーキーの選手が1億円貰えることもあるわけですよ。これがJリーグの場合だと年俸の上限がプロC契約で480万円に抑えられていて、支度金が360万円。で、支度金360万円出せているところもあんまりないですから。これを足してもMAXで800万円くらいですよね。

もちろんそれでも、プロがない競技に比べれば、一生懸命やってきてもプロがなければ、自腹を切って海外遠征しているような競技もあるから、と考えることも出来ますが、でもそれを言い出したらキリがない。

480万円というのがプロC契約の上限年俸額なわけですけど、上限を決めるのって獲得する方からすれば、都合のいい話ですよ。談合って言ったら失礼だけど、それに近い状況ですよ。だって人の価値は計り知れないわけですよ、中野雄二に価値があったら、例えばアントラーズが茨城県の選手だし、3000万円出してでも獲得しようと言ったとして、今度は浦和レッズがいやいや5000万円出してでも欲しいよと、これが競争であって価値ですよね。

もともとこの決まりを作ったのが、フリューゲルスが消滅したことで、当時ヴェルディなんかが、ラモスとか三浦カズとか北澤だとか柱谷だとかに1億円だ、1億5千万円だとどんどん高騰していたわけですが、この時にフリューゲルスが消滅したことがポイントとなって、このままじゃ経営を成立させることの出来ないクラブが増えてしまって、元も子もないんじゃないかということで作られた背景があるわけです。でもそれから四半世紀経って、いまだにそのルールでやっているということが、失礼な言い方にはなりますが、経営者が努力出来ていないんじゃないかと、そう感じるんです。』

ーそれは流経大サッカー部中野雄二監督という立場からはなかなか言いにくいことですね。ただ、教え子たちの将来を思うとそう言わざるを得ないと。

『J2で月10万円とかの給料でやってくのもいるわけじゃないですか。だって、10万の給料じゃ結婚も出来ないし、出産だって出来ないですよね。生活出来ないんですよ。首を吊るようになっちゃうんですよ。

サッカー界だけじゃなくて、今吉本興業さんの末端の芸人さんなんかが、1回ステージに出て500円とか、そういう話もありますが、経営するっていうことは、もちろん会社を運営するってことは大事だけど、そこで預かる社員に対して、やっぱりそこには奥さんの顔や家族の顔も描きながら、どういう給料を払うことで守っていけるのかっていう、それを考えるのが経営者の仕事なはずですよ。』

ークラブ経営サイドの考えの中には、でも厳しいんだと、スポンサーも沢山ついているわけじゃないし、払いたくても払えないんだという思いもあると思うのですが。

『やめればいいんですよ。背伸びしてそこに入ろうとしなくたっていいんです。結局みんな不幸になっちゃうんですよ。』

 

水戸ホーリーホック時代と反省

ー数多くの学生を送り出す側の中野監督だからこそ、そうお考えになるんですね。

『これは何も大学サッカーの指導者だからと言うことだけではなくて、僕は水戸ホーリーホックを作った1人ですから、その反省もあります。

反省って言ったら、今頑張っている人たちに怒られるかも知れないけれど、頑張ればこうなるよ、勝てばこうなるよって言いいながら、現場の監督はそうやって選手を鼓舞して引っ張っていきました。JFAもそうやって上を目指しているクラブをどちらかと言うとサポートしてでも、そういうクラブを沢山誕生させることがいいことなんだとう方向性があったと思うんですよ。でも結果として、今J3がこういう状況で、J3の選手たちの給与体系がどうなんだっていう話になったら、国全体が働き方改革って言葉でやっていっている中で、スポーツ界の中にあるサッカーが、働き場所として素晴らしいところだって言うのを周りに示せなかったら、これから追っかけてくるであろうバスケットボールや他の競技にしても、サッカー界が上手くいっていなかったら、他も多分上手くいかないだろうと思うんですよ。

無責任に経営しちゃいけないんだなって言うのは、僕は水戸ホーリーホックに夢を持たせて作りましたけど、非常にその辺に反省と言うか、改善をしなくてはいけないと思っています。』

ーつまりプリマハム土浦FCが水戸ホーリーホックへ移行していくあの時期に、そこに関わっていた中野監督がご自身の反省もそこで感じておられるということでしょうか?

『当時、中野雄二について行こうって言って、プリマハムを退職して水戸ホーリーホックまで来た選手たちが、今どういう生き方をしているかって言ったら、誰一人としてその組織には残っていないし、みんなそれぞれに中途採用とかで就職をして、それぞれ食い扶持を作って生きているわけですよね。

あの時あれだけ貢献して、プリマハムっていうクラブからホーリーホックに移ってきて、当時JFLですけど、まだJ2が無かったですから。午前中に仕事して午後場所を変えながらジプシーで練習しながらも、チャレンジをしてきました。その当時と比較すれば、水戸ホーリーホックは多少なりとも年間運営予算も大きくなったというのはあるでしょう。集客も平均3,000人くらいは入るようになったとか、そういうのはあると思うんですけど、でもそこに所属している人たちは、一般的なサラリーマンの給料と、プロスポーツっていう分野の中で、限られた年数でお金を稼ぐっていう特性を考えた時に、やっぱりある程度単価って言うのは、高くなければ成り立たないんじゃないかって言うのが僕の中にはあります。

サッカー界を良くしていくためには、今の480万円って言うのを最低年俸、保障じゃないですけど、プロである以上最低限貰える金額にして、上は自由なんだと。1億稼ごうが2億稼ごうが、その才能に対して払うべきなんじゃないのって言うのが僕の基本的な考えです。

この辺がしっかりしないと、たまたま今吉本興業さんで起きているようなことは、実はサッカー界にもいっぱいあるんじゃないかなと、闇営業ってわけじゃありませんが、結局コンビニでバイトしながら「Jリーガー」って言う姿でやっているだけで、これが健全なの?って言ったら、決してそうは言い切れないでしょうし、そんなJリーガーを見て「努力しているね」とは言われるかも知れないけれど、本当の意味で、職業として集中してやれる環境にはなっていないわけですよ。』

 

次世代に良い環境を

ー「プロサッカーリーグ」という言葉と「プロサッカー選手」という言葉がまずあって、Jリーグにおいては「プロサッカーリーグ」に参加しているクラブに所属している選手たちの全員が、必ずしも「プロサッカー選手」ではないという現実があるということでしょうか?

『まずそれが理解されていないですよ。』

ー実際には所属選手の半分以上に報酬を支払っていないようなクラブを「プロサッカークラブ」と呼んでしまっていいのか、「プロサッカーリーグ」に参加はしているけれど、何かそうしたクラブに対する新たな言葉の定義づけをしないといけないと思っているのですが、Jリーグがスタートして四半世紀経過する中で、創設当初に作られた考え方や言葉には、時代の変化とともに形骸化してしまっているものもあるのに、未だに幻想だけを追い求めている現場が非常に多いように思うのですが中野監督はどうお考えでしょうか?

『簡単に言えば、「きみサッカーをやりたいんなら、いいよウチにきなよ。でもウチ金がないんだよ。時給300円だけどサッカーやらせるから来ない?」って言っているのと一緒ですよ。時給300円でコンビニでバイトするかって言ったらそれはやらないじゃないですか。』

ーそれは完全に労働基準法アウト案件だと思うんですが(笑)でも何故、それがJリーグの中に蔓延し放置されているのをどう改善していけるのか、その為にはその現象を表した言葉を生み出さないと、クラブのある地域、自治体、行政も含めた中で大いなる誤解を生じさせたままあらゆることが進んでしまいますし、よほどJFLの実業団チームの方が潔いと思ったりもするのですが、その価値観がなかなか多くの人たちに伝わっていかないと日々感じているのですが。

『サッカー界だけの問題として直ぐに全てが解決出来るとは僕も思っていないです。でもそういうことを僕が言うと必ず周りの人たちから「そうは言っても」と、そういう反応が返ってきます。例えば「既存の選手も給料を上げなくちゃいけなくなる」とか、それに付随して起こり得る現象を恐れてしまって、そこに踏み込もうとしないんですよ。

チームによって様々ですけど、例えば親会社から出向で社長さんが来ていたりすれば、自分の任期中にはあまり改革的なことをしたくないと。日本サッカーの将来、5年後、10年後をちゃんと見据えて、このままでいいのか?っていう捉え方がされないんですよ。みんな自分の立ち位置だけで考えてしまっているんじゃないかなと。

だから僕はその大元のところで「次の世代により良い環境を」という風に取り組んでいくのが、上の世代にある人のするべきことだと思いますし、「自分のため」ではないんですよね。10万円の給料で生活できるのか出来ないのかって、自分が親だとして子どもがそういう状況にあれば「10万円の仕事じゃ食っていけないだろ」ってみんな言うに決まっているじゃないですか。だから、そんな状況が蔓延しているのであれば、チーム増やすべきじゃないだろと単純にそう思うんです。だって最後には「本人がそれでも来たから」って言うんですよ。』

第3回に続く

【中野雄二(なかのゆうじ)】

1962年東京都出身。

高校1年時、3年時に古河一高で全国高校サッカー選手権大会優勝。(3年時は主将)

法政大では2年時に総理大臣杯優勝。(4年時は主将)

大学卒業後、1985年より水戸短大附属高(現水戸啓明高)に教諭として赴任。サッカー部監督も務め、弱小チームだった同校サッカー部を5年後には県準優勝にまで導く。

1991年、プリマハムに社員として勤める傍ら、プリマハム土浦FCの前身プリマハムアセノFCのコーチとなり、チームがプリマハムの単独出資となった1992年以降は監督となる。

同年茨城県社会人サッカーリーグで優勝、1994年に関東サッカーリーグ昇格、1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)で準優勝し、チームはJFL昇格を果たす。

1996年シーズンが終わると、プリマハムがプリマハム土浦FCの運営から撤退。当時茨城県リーグに所属していた水戸FCと統合する形で1997年に誕生した水戸ホーリーホックで監督と常務取締役を担うも、チームがJFLで最下位となり1シーズンで辞任。

1998年にかねてより要請のあった流通経済大サッカー部監督に就任。以来大学サッカー界を牽引する指導者として、数多くのサッカーマンを世に送り出している。

流通経済大社会学部教授、全日本大学サッカー連盟副理事長、関東大学サッカー連盟副理事長

 

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第1回「大学サッカーと高校サッカー」

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第3回「プロサッカーと社会人サッカー」

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第4回「Jリーグ拡大路線と選手へのしわ寄せ」

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第5回「大学チームの社会人リーグ参戦」

闘将 流経大中野雄二監督の提言 第6回「練習試合は練習試合でしかない」

闘将 流経大中野雄二監督の提言 最終回「JFLとJ3と大学サッカーと新しい枠組み」

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で