「気」を吸い過ぎる
サラリーマン時代の私。
職場に到着しパソコンを起動させると、まず最初に社内情報共有ポータルサイトを開く。
そこにはあらゆる部署、あらゆる立場(もちろん社長も含め)にある人たちによる「断末魔」とも「脅迫」とも言える言葉たちが躍っていました。
『下期修正計画策定のスケジュールについて』→売上の下方修正をさせられるとともに経費・人件費の削減を限界まで求められ、しかもそれを何日か終電を逃しながら策定することになる。
『今期〇〇プロモーション 計画必達のシナリオ 』→ほとんど可能性の感じられない施策のPDCA報告を求められるので、業務効率が必然的に下がる。
『今期夏季賞与基本支給額についてのポリシー』→社会的経済状況などを長文で解説され、最終的にまた今年も目減りしたボーナスが給与口座に入金されている。
正直言ってもうこれだけで十分お腹一杯なのに、社内の人間が話すことと言えば、そのほとんどが悲鳴にも聞こえるような言葉ばかり。
『もうさ、3カ月くらいまともに休んでないよ・・・』
『ウチの部署さ、車取り上げられちゃったよ・・・』
『またウチから人が抜かれちゃうよ・・・』
私はこう見えて比較的「素直」な人間なので、どんなパスが飛んで来ようと、それを出来る限りいいプレーで返してあげようと思ってしまうのですが、それもあって「人件費を削れ」と言われれば、その部署にいる人たちの顔が浮かび、可能性の感じられない施策であってもPDCA報告を大真面目で作成してしまい、「3か月休んでいない」と言われれば、彼がどうすれば安心して仕事を休めるのか考えてしまうといった具合で、サラリーマンを辞めた今、あの頃のことを振り返ってみると、職場から一歩外に出た時の空が、いつだって曇り空であったように思えてくるのです。
一度同僚にこう言われたことがあります。
『毛利さんはその場の「気」を吸い過ぎてしまう気質がある』
こう言われて私は「あ、そうだったんだ」と若干の安堵を覚えたように記憶していますが、その一方で「気を吸い過ぎる自分」を変に明確に意識してしまうようになったと言うか、ともかく自分が属する集団ではなかったとしても、ある集団や他者に触れようとする時に、彼らが放つ「オーラ」みたいなものを妙に気にするようになってしまいました。
他者が放つオーラが妙に気になる
前段が少々長くなりましたが、ここからサッカーの話をしますので呆れないでそのまま読み進めて下さいね。
この「他者が放つオーラが妙に気になる」というこの心理。
実はサッカーの現場取材をする際などは、これが本当に邪魔で、勝者と敗者が共存することの多いサッカー場においては、どうしてもその「敗者」を遠ざけようとしてしまう自分がいるのです。
ただ、ここで私が言う「オーラ」というのはあくまで主観的なものであって、例えば重要な試合を落とした直後の監督や選手からイヤな思いをさせられたことなど皆無ですし、そんな時であっても彼らは取材者に対し真摯な姿勢を見せるのがスタンダードなスタイルであって、それを「遠ざけよう」と思ってしまうのは、完全に私の側にそれを受け入れるだけの器がまだ備わっていないだけのことですので、どうか誤解なきようにお願い致します。
と、ここまで書いてきて、何だか気持ちが滅入ってしまうような感じになってしまい本当に申し訳ありません。
ここから少し明るい方向へ話を進めて参りますので、是非とも最後までお付き合い下さいね。
アスリートならではの気質
「他者が放つオーラが妙に気になる」「サッカー場で敗者を遠ざけようとしてしまう」「サッカー場に感じる負のオーラを避けようとしてしまう」
こんな私ではありますが、これらが少しずつ解消されてきているんじゃないかと最近思うことが増えてきました。
と言うのも、私が今シーズン再注力し追っている地域リーグの現場においても、リーグ戦がそろそろ折り返し地点を迎え、それぞれのチームがこの先に辿り着く場所が、おぼろげながら見えてきておりまして「いいぞいいぞ!このまま優勝だ!」となっているチームもあれば、その逆の進捗状況にあるチームもあって、もうこうなってくると、単純にその試合に勝った負けたというだけでは彼らの感情が計れなくなってきているのですが、それでもこうして試合直後にインタビューをしたりコメントをもらったりしているうちに、そうした状況に対しての耐性がちょっとずつ出来てきている実感があるのです。いや「出来ている」と言うより「体得させてもらっている」と言った方が正確かも知れません。
当然ながら中には悔しさを胸の奥にしまい込みきれず、顔を真っ赤にして言葉を絞り出しているように見える取材対象者もいますし、明らかにいつもよりご機嫌斜めになってしまっている取材対象者もいます。ただ、例えそうした感情が垣間見れてしまう監督や選手であっても、彼らは必ず最後に前向きな言葉を発してくれる。
そしてこれはきっとアスリートならではの「気質」なんだろうと感じてもいます。
アスリートたちがほんの少し裏切ってくれる
関東リーグでは今シーズン既に2つのクラブが成績不振から監督交代をしています。
監督交代があってもなくても、そこでプレーしている選手たちも、シーズン終了後に自分が今と同じ場所にいるのか、違う環境へ移ることになるのか、さらに言えばサッカー選手を続けているのかすら分からないケースだって決して珍しくは無いでしょう。
そうした私から見れば非常に刹那的な状況に置かれているアスリートが、しかも自分の可能性を左右する「戦績」や「評価」が振るわない場合であっても、逆境に対する驚異的なタフさを感じさせるだけでなく、先ずはすぐ明日から始まる新たな挑戦に向け、ポジティブな姿勢すら見せてくれるわけです。
リーグ前半の最終戦、首位VONDS市原とのホームゲームに敗れ、さらに勝点差を拡大されてしまった栃木シティの岸野靖之監督に試合後インタビューさせて頂くと
『(現実的な目標に対して)戦い方を変えるとか、そんなことを言える状況ではない、先ずは次の試合で勝点3を獲ることだけ』
と話しながらも、シーズン前から追求し続けている
「ボールを保持しゲームの主導権を握り、数的優位を作りながら最後のゴール前では2対1の状況を作れるような」スタイルを目指すことは変わらない、そして
『そういうサッカーを目指さないとやっぱり面白くないでしょ』
と言う言葉を聞かせてくれました。
また、昨シーズン、クラブを運営するNPO法人が資金難となり、その存続も危ぶまれながら、年をまたいで何とか新たな運営会社が設立された福井ユナイテッドFC(前 サウルコス福井)のある選手は「クラブは選手に負担を掛けないようにやってくれていたし、今は何の心配もなく練習にも試合にも向き合えている」と話してくれました。
いずれも「サッカー場に感じる負のオーラを避けようとしてしまう」気質のある私にとっては、不得意なインタビューケースであったはずなのに、こうしてアスリートたちがそれをほんの少しずつ‟裏切って”くれることで、「避けようとしていた」ことなどどこ吹く風とばかりに、インタビューを終えるごとにいちいち充実感も覚えたり出来ているのです。
サッカーは常にままならず、常に逆境。
そして恐らくこうしたアスリートの姿勢は、何も地域リーグだけに見られるものではなく、日本のトップディビジョンであるJ1リーグで戦っている監督や選手も全く同じように持っているだろうし、だからこそ我々はこの世界に強く惹かれているようにも思えるのです。
Jリーグのスタジアムではチームの不甲斐なさを嘆いて、サポーターが試合後に選手や監督に対しブーイングを浴びせたり、チームバスを取り囲んで不満を訴えたりするシーンが頻繁に見られますが、きっとああした現象が起きている時点で、選手たちの頭は既に次の戦いに向け切り替わっているはずだと私は思いますし、仮にそれが出来ない選手がいれば彼はその舞台から脱落してしまうのではないかとも思います。
サッカー選手を見る時、高い身体能力やボールテクニック、戦術眼、そうした目に見える部分の優秀さにどうしても捕らわれがちですが、アスリートの本当の凄さ、強さはそこでは無いのかも知れません。
そう、サッカーとは常にままならず、常に逆境であると言ってもいい。
私のようにそれにいちいち振り回されていては、戦うことも楽しむことも出来なくなってしまうのでしょう。