サッカーが無くても困らなかった私
こんなツイートを見つけました。
サッカー界の人は基本的にサッカーが好きすぎて、
「サッカーは世界にとって無くてはならないもの」
という前提が強い。「無くても全く困っていない人にどう届けるか」、ゼクシィの「結婚しなくても幸せになれる~~」コピー的な発想が必要なのかなと。https://t.co/4jMUP3zXeh— 澤山モッツァレラ (@diceK_sawayama) June 11, 2019
サッカーを再び熱心に見るようになってからせいぜい2年ほどしか経過していない私には、この澤山モッツァレラさんが書かれていることが非常に良く理解出来ると言いますか、単にサラリーマン時代の人間関係の中で「サッカー」が日常的会話のテーマになることが皆無に近かったとか、そういうエピソードだけに留まらず、ある意味で私自身も「サッカーが無くても困らない」側にいたわけです。
だから「コアサポ」とか「チャント」とか「スタグル」とか、そういうJリーグファン・サポーターの間では当たり前のように使われている言葉についても、それを覚えたのは再びサッカーを熱心に見るようになって以降の話なのですが、言うなれば「サッカーが無くても困らない側」時代の記憶がまだ鮮明に残っているとでも申しましょうか、澤山モッツァレラさんのこの一連のツイートがストンと心の中に落ちてくるのです。
では、肝心のツイートをもう少し深掘りしていきましょう。
澤山モッツァレラさんが呟いておられる「サッカー界」とは日本サッカー協会やJリーグの中の人を指しているわけで、彼らが「サッカーを好きすぎる」ことで、つまりあまりに「サッカーに対して盲目」になってしまっていることで、そうでない人たち、少し前の私のように「サッカーが無くても困らない側」にいる人たちの心を突き動かすようなプロモーションが甘いと、このツイートが言わんとしているのは、そうした主旨の話でしょう。
これは本当にそうでしょうね、何しろ大学時代までは自分がサッカーをしていて、日本リーグに子どもの頃から通いつめ、社会人になって以降は東京都リーグ所属の社会人チーム運営にも携わり、決して頻繁とは言えないものの、Jリーグだって5年に1度くらいはスタジアム観戦し、日本代表については割と熱心に見ていながら、それでも生活に占める‟それ以外”の要素が大きく「サッカーが無くても困らなく」なっていた人間が「チャント」「スタグル」といった言葉をつい最近まで知らなかったのですから。
私はこうした状況を本当に深刻に受け止めてもおりまして、それはひとえにJリーグを頂点とした日本サッカー界全体が、新たなファン層を取り込む努力をしていないと言うか、その手法が分からないどころか、「サッカーが世界にとって無くてはならないと思ってる」ことで、もしかしたらその必要性すら感じることが出来ていないのではと思わされるからで、私がこのブログに書いてきたJリーグに関する記事のほとんどが、そこへの危機感に集約されてもいるのです。
私がJリーグをテーマに書いてきたブログ記事
では折角なので、私がこのブログに書いてきたJリーグに関する記事をいくつかちょっと挙げてみます。(もっと沢山あるのですが最近のものだけ)
まあこうやってJリーグをテーマにした記事を書くと、少なからず現在のJリーグに苦言を呈するスタイルを取らざるを得ないので(なにしろ「サッカーが無くても困らない側」の心を突き動かすプロモーション力に欠ける深刻な日本サッカーの現状を憂いているので)大抵の場合、既存のJリーグファン・サポーターの皆様から猛烈なる反論、批判、批難を浴びる形になります。
確かに「サッカーが世界にとって無くてはならないと思ってる側」におられるそうしたファン・サポーターの方々にしてみれば、私の書くことが単なるネガティブキャンペーン、盛り上がりに水を差す行為に映ってしまうのでしょうし、そもそもそうした方々は「サッカーが無くても困らない側」に向けたプロモーションを求められる立場にもないのですから、私のような「中の人」でもない人間が「日本サッカー、Jリーグの将来を憂いて意見発信をする」のは何故なのか、それ理解するのも難しいでしょうし、だからと言ってとくとくと説明する必要もないと思ってもおります。
サッカーが無い社会なんてイヤ
ただ、そんな方々の中にも「Jリーグにみんなもっと注目して欲しい」と考える方は結構おられるはずですし、しかもそう考える理由の中に「でないとJリーグの将来はどうなってしまうの?」という不安要素が少しでもあって、澤山モッツァレラさんの呟きに「そうだよな」と思われるのだとすれば、きっと私が猛烈に反論、批判、批難されながらも数々のブログ記事をどうして書いているのか、それを少しだけご理解頂けるかも知れません。
ただ、敢えて申し上げますが、そうして「サッカーが世界にとって無くてはならないと思ってる側」におられる方からご理解を頂くこと、これをマストだと私は思っておりません。
別にこれは偉そうにそう言っているのではなく「サッカーが無くても困らない側」に向けたプロモーションが甘いのは、あくまでも日本サッカー界、Jリーグ界の「中の人」なのであって、その課題を乗り越えていく必要があるのも基本的には彼らだからです。
そう、えとみほさんとか、高田社長とか、野々村社長たちは勿論そうですし、現役Jリーガーもそうでしょうね、だって自分の将来の問題でもあるんですから。
ただ私自身は、こんなにまで情熱を傾けることが出来ている日本サッカー界が、延々と「サッカーが無くても困らない側」の心を突き動かすプロモーションが出来ないまま、徐々にその体力を失っていき、気がついたら「2002年頃がピークだったよね」なんてノスタルジックに廃れていくのを指くわえて眺めている気にはなりませんので、常に日本サッカーの、Jリーグの明るい将来のために、今感じている危惧を引き続き発信していくつもりです。
何故ならもう私「サッカーが無い社会なんてイヤ」なんです。
国民が穏やかに生きていく上で物凄く重要な年金ですらどうやら制度破綻しそうなことが分かってきたのに、サッカーがこの先何十年も日本社会に残っていく保障なんてどこにも無いでしょう。