あるサッカー記者のツイッター上での呟きが
もう時効(のはず)だから明かすけど、西野さんが監督だった当時、契約更新の時期になると倉田に「来年も西野さんいるんすか」って話をされて、僕も「そう言わず、ガンバでレギュラー取ろうや」って話をしたことを思い出す。
朝日新聞記者を経て現在はガンバ大阪を中心とした取材活動をされ、2015年には『ラストピース J2降格から三冠達成を果たしたガンバ大阪の軌跡』という著書も出されているサッカー記者下薗昌記さんによるTwitter上でのこの呟きが、ちょっとした波紋を巻き起こしています。
この騒動を良くご存知ない方にとっては、冒頭のツイートが何故「波紋を巻き起こす」ことになっていったのか、それを理解するのは恐らく難しいでしょう。
実際このツイート自体は『もう時効(のはず)だから明かすけど』と、やや選民意識がこぼれ出してしまっているきらいはあるにせよ、その「明かしていること」は些細なことで、これが即何らかの問題を引き起こすようなものでは無いように見えます。
と言いますかむしろ、ガンバ大阪ファン、倉田秋ファンにとっては、そのファン心をそそるような内容であると私は思いますし、下薗さんがこれを呟いた直後には少なからず好意的に受け取った方がおられたのも私は確認しています。
ただ、この呟きに当の倉田秋選手が自身のブログ上で不快感をあらわにしたことで、形成が下薗さんにとって一気に不利な状況へと変調していきました。
倉田選手はこのツイートのスクリーンショットをブログ記事画面に大きく表示させた上で
なんだこのコメントは‥
記者の人の話題作りの為に自分のコメントの一部が意図していないように悪意的に切り取られて拡散されるともう何も話したくなくなります。
とだけコメントをつけたわけですが、これによって下薗さんは当該ツイートを削除し、以下のようなツイートをしました。
倉田秋選手の信頼を貶める一連の表現不足なツイートで倉田選手並びに、倉田選手に関係する皆様、ガンバ大阪、倉田選手のファン、サポーターの皆様に誤解をさせた上、不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをお詫… https://t.co/TWPy7vT6iR
— 下薗昌記(Masaki Shimozono) (@Brazileaks) June 5, 2019
取材者の地位は決して高くない
今年になってから様々なサッカー関係者(地域リーグ、JFL、あるいは都県リーグなどで戦うクラブの社長や監督、そして選手たち)の声を聴こうと、リーグ運営側やクラブ側に取材の申し入れをする機会が非常に増えて参りましたが、それが例え私のように現状はほとんどそれで商売が成立していないような取材者であったとしても、必ずしも常に歓迎される存在ではないということを実感もしております。
もちろんそうなっている大きな理由のひとつとして、私が非常に影響力の小さな取材者であるという事実もあるわけですが、それでも「第三者による情報発信」に価値を見出し、取材に対し協力的な姿勢を以て対応して下さるリーグ関係者やクラブ関係者も少なからずおられる中、言い方は悪くなりますが私のような取材者を「ハイエナ」か「サッカー乞食」であるかのように扱ってくる取材対象が全くないかと言えば決してそうではありません。
つまり何を言いたいかと言えば、大手マスメディアの庇護の下にあるような取材者でもない限り、スポーツ取材の現場において「情報を引き出し広く伝える側」にいる取材者の地位は決して高くないのです。
そういう意味で、ガンバ大阪に関する著書まで出版している下薗昌記さんにしてもそれに近い立場にあることは容易に予想がつきますし、この一連の流れの中で倉田秋選手のみならず、その関係者やファン・サポーターにまで全面的に謝罪している光景をみれば、その予想が確信にも変わっていきます。
取材対象に忖度して欲しくない
そしてここからは私が「こうあって欲しい」と思うメディア側の姿勢についてですが、メディアがその取材対象の思惑だけを忖度する存在であって欲しくないし、私自身もこうしてブログなどを通じて様々なテーマを扱った文章を世に出す上で、そうであってはいけないと常々思ってもいます。
それでも取材は人間と人間とのやり取りですから、どうしたって愛着も湧きますし、自分が書いたり表現したりすることで、その取材対象が何らかの不利益を被るような事態になって欲しくないという思いも出てきてしまいます。
そしてこうした心理は、そこにおカネが絡んでくると余計に拍車もかかり、例えばフリーのサッカー記者が(これはエルゴラなどの専門誌の番記者もそれに当たります。彼らは基本的にフリーの記者です)番記者としてあるクラブに出入りしているとして、Jリーグ発展の為、日本サッカー発展の為に有益な情報をそこで入手したとしても、その情報がクラブや選手にとって都合の悪い情報だったりすると、それを表に出しにくいという状況も生まれてきてしまう。
つまりそれを表に出してしまったことを良しとしないクラブ側から「出入り禁止」を言い渡されてしまえば、そこで彼の活動は一時的に立ち行かなくなってしまいますから、そういう「忖度」をしてしまうわけですが、メディアの本来的な役割、少なくとも私が「こうあって欲しい」と思うようなメディア像を追求していくのが、構造的にも非常に困難な状態がそこにはあるということなのです。
提灯記事で溢れる世界
下薗昌記さんが呟いた倉田秋選手の過去の話。
これが「Jリーグ発展、日本サッカー発展」の為に必要な情報であったか否かはさておき、記者が発信した言葉に対して取材対象(この場合倉田選手)が不快感を表明するのを否定しているわけではありません。
ただ今回のケースの場合、倉田選手が下薗さんだけに対してそれを訴えるのではなく、ネットを通してその思いを吐露してしまったことで、それが物凄い力を持ってしまった。
サッカーファン、サポーターの一部には選手に対して無条件で信頼感を持ってしまう方々もおられますから、このケースで言えば、倉田選手の抱いた不快感が向いた先、つまり下薗昌記さんに対しての攻撃が一気に加速してしまいました。
そして下薗さんを攻撃した方々の多くは、何の悪気もなく、むしろ正義感すら以てそういう行動に出られたと思いますが、ここで一歩立ち止まって頂き、そうした行動が将来的に何を生みだしてしまう可能性があるのか、それを是非想像してみて頂きたい。
クラブや選手に都合の悪い情報、それが例えサッカー界全体にとって非常に重要で、かつ多くの人が知っておくべき情報であったとしても、その当該クラブ、選手のお墨付きを貰わなければ表に出すことが許されないような風潮が蔓延してしまえば、それこそサッカー情報が提灯記事だけで溢れかえってしまうでしょう。
もちろん、そうした作業(クラブや選手のお墨付きをもらう)が全てにおいて不要だと言っているのではありません。
ただ、メディアが取材をしそこで得た情報を世に出そうとする時、その作業が「マスト」になってしまえば、メディアが第3者である必然性もなくなってしまいます。
メディアは何を伝えるか
この世の中に100%良いものもないし、100%悪いものもない。
だからこそ、それが78%良いけど22%悪いとか、35%良くて20%判断が難しくて45%悪いとか、そういうことをなるべく公平に客観性を以て伝える人が必要なわけで、それがメディアであるのではないでしょうか。
今回の一件については下薗さんが軽率だった側面もあったでしょう。
しかしながら、それを有益な情報として享受した人は一番最初の段階で間違いなく存在していましたし、倉田選手が仮に下薗さん本人に面と向かって、或いは電話やメールなどで直接不快感を述べていただけであったら、きっと「下薗さん攻撃」など発生していなかったはずです。
もちろん、この件があったからと言って、ベテラン記者の下薗昌記さんが再起不能になるほどのダメージを受けることなどないでしょう。
ただ、この一件、一連の流れをみて
「番記者が選手に叩かれた、いい気味だ」
と‟だけ”思ってしまう方が多ければ多いほど、日本サッカー界は「提灯記事で溢れる世界」に向かってより加速していってしまうのではないでしょうか。
私はそんな世界に全く未来を感じられません。