『ゴール裏から脱出』のすゝめ

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また「変なこと」を書き始めるのか?

『ゴール裏から脱出』のすゝめ

きっとこのタイトルを見て「また変なこと書いてるな?」と思われている方々も少なからずおられるでしょうね。

まあ「変なこと」って言えばそうですし、私の「正直な思い」って言えば、まさにそうなんですが、今回はこのタイトルが示すように「ゴール裏」つまり、熱心なサポーターが大勢集まっているあのエリアから脱出してみよう!というお話について書いていこうと思います。

ゴール裏→バックスタンド指定席

私は今から2年位前に、本当に久しぶりに訪れたJリーグの試合会場、具体的に言えば柏レイソルのホーム、日立台ですが、この時にあの迫力あるレイソルのゴール裏に感動するとともに驚愕したわけです。

そしてそれから一気にあのゴール裏に吸い寄せられ、年間パスを購入するまでになっていったのですが、そんな私が今シーズンについても継続して年間パスを購入をしたものの、その席種はゴール裏自由席ではなく、バックスタンドの指定席となっておりまして、それでもたまにゴール裏に行くこともありますが、基本的にはバックスタンドの居心地が思った以上に素晴らしく、新たな日立台の楽しみ方を満喫し始めているのです。

昨シーズンはゴール裏自由席だった年間パスを一番安い席種とは言えバックスタンド指定席に変更した理由、その多くが実は体力面の不安でありまして、そろそろ年齢的にも90分間立ったまま、場合によっては飛び跳ねて、しかもチャントを大声で歌いながら手拍子したり拳を突き上げたりする、この「運動」自体が昨シーズンの終盤くらいからキツくなってきていて、じゃあ取り合えず年間で1万円くらいしか変わらないし「避難所」的な指定席をバックスタンドのゴール裏寄りに持っておいた方がいいよねと、そんな考えで変更に踏み切ったわけです。

ただ、先でも触れましたが、この「年間パスの席種変更」つまり「ゴール裏→バックスタンド」が私にもたらせたもの、それが年間1万円の差額を十分に飲み込むどころか、むしろ随分大きなお釣りも貰えてるんじゃないかと思ってしまうくらいの「実り」あるものでして、その「実り」を物凄く端的に言ってしまえばまさに「居心地の良さ」なのですが、その居心地の良さが単に自分の座る椅子がちゃんとあるとか、ピッチを横から見ることが出来るとか、そういう「年間パスの席種変更」を決断した時点で想像出来た範囲を超えているのです。

そこで、その理由をここから解説致しますとともに、じゃあ何故それを他人に向けてまで『ゴール裏から脱出』のすゝめとか言えちゃってるのか、そこについてまでちゃんと書いて参ります。

自分のリズムで応援出来るエリア、出来ないエリア

私がゴール裏から脱出しバックスタンドへ移り、そこで「居心地の良さ」を感じている最大の理由。

これは「自分のリズムでチームを応援出来るから」なのであります。

誤解を覚悟で申し上げますと、ゴール裏で応援していた時、あの時の私は「自分のリズム」で応援することが出来ていませんでした。

それも当然です。

ゴール裏にはコールリーダーがいて、そのコールリーダーの指揮のもと、チャントが歌われサポーターも飛び跳ね手拍子を打っている。

ある意味でこれは集団芸で、それだからこそ発揮できる迫力と演出効果もあるわけです。

実際に2年前、久しぶりに目撃したレイソルのゴール裏は、私の目にそれはそれは魅力的に映りましたし、そこで応援している大勢のサポーターが楽しんでいるのも良く分かりました。

大声でチャントを歌い、ゴールが決まれば周りにいる人が誰であってもハイタッチしてその喜びを共感しあう。

こうした「非日常」がある空間、これこそがJリーグスタジアムにあるゴール裏の魔力だし、現在のJリーグを彩るあらゆる要素の中で、非常に重要かつその存在感が際立つものであると言ってもいいでしょう。

ただ、私の場合は「体力的にキツいかな・・」と言う思いから、そこを少し離れる決意をしたわけですが、その潜在意識の中にはもしかしたら「ゴール裏にいると自分のリズムで応援できない」というものがあったのかも知れません。

つまり、試合を見ながら、今まさにここで選手を励ましたい、褒めてあげたいと思っても、それがチャントを歌っている真っ最中だったりすると、その思いは叶いませんし、自分自身のサッカー観に照らした時に物凄くいいプレーがピッチ上で起きていて、それを周囲の人と共感したいと思っても、横にいる人は熱心にチャントを歌いながら飛び跳ねていているので、話しかけるのも申し訳ないですし、仮に話しかけたとしても周りの歌声が大きすぎて「えぇ??!!何??」となってしまう。

はっきりとした自覚はありませんでしたが、こうした「自分のリズムで応援できない」系のストレスがどうやら私には相当掛かっていたようで、それを一気に解消することが出来たバックスタンド指定席で想像以上の居心地の良さを感じられているのでしょう。

試合の流れに合わせ変動するテンション

そしてこの居心地の良さ、これを最終的に決定づけているのは、バックスタンド指定席が私の想像していた以上に「フリーダム」であったことだと思っています。

「フリーダム」などと少し変な表現を使ってしまいましたが、これについては私が未だ「バックスタンド初心者」であって、その全てを把握出来ているとは思っていないからこそのファジーな表現でもあるのですが、もう少し分かりやすく言えば「結構大きな声を出したりチャントを歌っている人もいるけど90分間ずっとって言う感じじゃない」状態がバックスタンド指定席にあるという事なのです。

ゴール裏にいた時は、バックスタンドやメインスタンドがもっと静かな空間なんじゃないかと想像していましたが、実際にはそうでもなかった。

基本的に後ろの人が見えなくなるので座っての応援ですが、それでもチャントに合わせて手拍子したり、声を出して歌っている方も少なくはない。

そして中には大きな声でヤジを叫んでいる方までもいる。

ゴール裏のようにコールリーダーが統制していない分、むしろ試合の流れに合わせてテンションも変動している。

これは私にとって非常に好都合で、ゴール裏で選手を励まそうにもチャント中で断念したり、素晴らしいプレーを周りと共感しようにもチャント中で断念したりしていた私にとって、まさに90分間、自分の好きなタイミングで選手に声を掛け、素晴らしいプレーがあれば大いに喜ぶことが出来るこの「フリーダム」な空間に居心地の良さを想像以上に感じてしまったのも当然であったかも知れません。

「ゴール裏から脱出」のすゝめ

そこでタイトルの『ゴール裏から脱出』のすゝめへと行きつくわけですが、きっと私のようなまだご自身では気がついておられないストレス、それを抱えながらゴール裏におられる方も少なからずいらっしゃるだろうと思いまして、中でも「自分自身のサッカー観」みたいなものが出来上がっちゃってる方には特に『ゴール裏から脱出のすゝめ』をさせて頂きたい。

正しいとか正しくないとか、最先端の戦術を知っているとか知らないとか、そんなことは全然どうでも良くて、ゴール裏におられる方は年間を通して何試合もサッカーを見られている方が多いですし、そうしていくと自然と「自分自身のサッカー観」は出来てきちゃうと思うんです。

するとどうしても、集団芸であるゴール裏の応援では自分の心の底から沸き立つ思いを発散出来にくい、そんな状況に陥ることもあるかも知れません。

そんな時「ゴール裏に行くのを辞めてしまう=スタジアムに行くのを辞めてしまう」という決断をされてしまう前に、一旦バックスタンドやメインスタンド側に身を置いてみてはいかがかなと。

少なくとも私はそれによって、日立台に行くモチベーションがさらに高まってきましたし、恐らく今後も「バックスタンド指定席」を如何にして楽しむか、これをどんどん追求し続けることになりそうです。

『ゴール裏から脱出』のすゝめ

どうでしょう?

それほど「変なこと」書いている感じでもないですよね?

やっぱりサッカーは自由でなくちゃ。

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5 件のコメント

  • 自分のリズムで応援する、自分がプレーを見て思ったことをその場で表現する、ということは、日本のスタジアムに圧倒的に足りない部分だと思います。
    個人的には、コールリーダーに合わせて歌うより、観客1人1人が思ったことを発し、それがスタジアム全体で揃った時の方が相手に圧力を与えることになると思いますが、いかが思いますか?例えばリバプールのアンフィールドは、その代表ではないでしょうか。

    • コメントありがとうございます。
      こんなことを書くと元も子もないと言われてしまいそうですが、日本人はサッカーをそれほど好きじゃないんじゃないかと、そう思うことがあります。
      つまり、Jリーグのゴール裏を見られる集団応援が好きだったり、レプリカユニフォームを身にまとうことが好きだったりはあっても、サッカーそのものが好きだという人は案外少ないんじゃないかと。
      だから、自分の応援するチーム以外の情報に全く関心を持てない人もいるし、自分なりのサッカー観みたいなものをスタジアムで堪能する文化もそれほど育っていない。

      戦術分析が正しいとか間違っているとか、深いとか浅いとか、すぐそうやってサッカーに正解を求めてしまいがちなところも、本質的な部分で自分がサッカーに何故魅力を感じているのか、それが明確になっていないどころか、むしろそれほど好きではないということの現れじゃないだろうかと、最近そんな風に思うようになってきました。

      • ご丁寧な返信ありがとうございます。
        私も似たようなことを考えることがあります。
        日本人の欲求はおそらく、自分の理想を追求してそれを自ら表現することよりも、帰属の欲求・承認の欲求なのではないでしょうか。そうすると、日本のサッカーファン(全員とは言いませんが、こういう人が多い、ということです)は、他の人と一緒に1つのチームを応援し、ゴール裏でみんなに合わせて歌うことで、○○ファンという帰属意識を得ることができ、周りの人にも認められる、ということがサッカー観戦の1番の目的と言うことができます。当然自分のチームが勝てば嬉しいことには変わらないので、負けたら文句も言いますが、もっとこうしろああしろと、自分の具体的な要求を言うのをあまり聞いたことがありません。言う人もいるでしょうし、心で思っている人も一部にはいるでしょうが。
        結局、日本人にとって、スタジアムのピッチで動いているフットボールは、映画館のスクリーンで動いている映画と同じです。”応援すること”は自分の楽しみであり、それは目の前のフットボールの行方に影響を及ぼしません。それを”野球的な”応援と表現するのを聞いたことがあります。まさに的を射ていると思います。欧米のサッカーファンと比べると、ピッチの結果にも差が出るのは仕方がないです。
        自分は日本のサッカーを、ピッチ外から変えたいと思っていますが、このように考えていくと、毎度、「日本人にサッカーは合わないな」という結論で終わってしまいます。欧米の真似をしているだけでは、絶対に日本サッカーは欧米を超えることはできないですね。

        • ひとつは多様性に対して寛容になるということなんだと思います。
          そして、その寛容さは自分自身にもちゃんと向けてあげる。
          サッカーに模範解答を求めない。その代わり自分だけの答えを持てるようにする、持つことを楽しむ。
          周りが口々に「つまらない試合だった」と言っていたとしても、自分自身が「面白かった」と思えたのであれば、それを大切にする。

          これを100人が100人出来るようになれば、日本サッカーの光景は大きく変わっていくんじゃないでしょうか。

          • そうですね。そうなれば理想ですが、島国日本では、それが実現されるには相当の時間がかかりそうですね。

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