Jリーグの誕生日

5月15日。
この日はがリーグの誕生日だったようでして、今回はそれにまつわる話を書いていこうと思います。
今から26年前、1993年5月15日。
今はなき国立競技場で行われたJリーグ開幕戦「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス戦」
現在40代後半の私にとって、この日の記憶が未だ遠い昔の物とはなっておりませんが、それでも既に一人前の大人が成長するに十分な時間の経過が存在しているわけで、30代前半くらいまでの方には、遥か昔のおとぎ話の如く捉えられているかも知れません。
ただここで私はそんな「おとぎ話」をことさら大袈裟に表現して「昔はこんなだったんだぞ、まあ産まれる前の話だから知らないよな」などと悦に入るつもりはさらさらございません。
ただ、あのタイミングで日本サッカー界に起こった大変化について、その意味を26年経った現在だからこそ理解出来るところもありますので、26年前に既に大人だった方、少年少女だった方、まだこの世に生を受けておられなかった方、そうした世代の違いがその理解の妨げにならないようなテーマについて書いて参ります。
では早速テーマタイトルを書かせて頂きましょう。
『1993年5月15日 日本サッカー界の常識は一夜にして変わった』
Jリーグ以前の日本サッカー界
Jリーグのスタートしたこの日、私はこの1993年5月15日が、日本サッカー界の常識が一夜にして変わった日だと思っています。
「それまで完全に日陰の存在であった日本サッカーが、Jリーグのスタートと共に一気にスターダムへとのし上がった」
この認識については、当時をご存知ない方であっても、知るところでしょう。
では、実際にこの‟現象”がどんなものであったのか、今回は「Jリーグスタート」以前と以降で、観客数にどの程度変化があったのか、それをご紹介してみたいと思います。
先ずは「Jリーグスタート」以前、つまり当時の日本サッカー界におけるトップリーグだった「日本サッカーリーグ」の観客動員数をシーズン毎にまとめてみます。
日本サッカーリーグ観客動員数推移(1985年~1992年)
1985 1,823人
86/87 2,768人
87/88 2,425人
88/89 2,518人
89/90 2,045人
90/91 2,857人
91/92 3,353人
※全て1試合平均観客数
※日本サッカーリーグは1985年までは春秋制シーズンで行われ、以降は秋春制シーズンに移行

よく「日本リーグ時代はガラガラだった」とラモスさんや木村和司さんがテレビ番組などで話していますが、これを数値として見ると、当時の日本サッカー界が相当の危機感を抱いていたであろうことは容易に予想できます。
もちろん、この数値はあくまでもリーグ全試合の平均観客動員数なので、中には「読売クラブVS日産自動車」のように2万人~3万人が国立競技場に集まる試合もありましたが、そうであれば余計に他の試合がどれほど観客を集められていなかったのか、それを暗示させてもいるわけです。
当時の日本サッカーリーグを戦っていたチームの多くが、読売クラブや全日空クラブといった例外を除いて実業団チームでしたが、その後の日本経済を鑑みても、もしJリーグがスタートしていなかったとすれば、更なる惨状が待ち受けていたでしょうし、そういう意味でもJリーグが日本サッカー界において果たした役割は計り知れないと思ったりもするわけですが、当時の機運としては「日本代表をW杯に出場できるようなチームにしたい」という大テーマがあって、その為に「日本にプロサッカーリーグを作らなくてはいけない」という壮大なビジョンが生まれ出てきたと私は解釈していましたし、実際にそうであったことで多くの人々の心を突き動かしたのだろうと思ってもいます。
ではそんなガラガラな日本サッカーリーグがJリーグとなってどう変化したのか、それをまとめていきましょう。
Jリーグスタートで感じた「居心地の悪さ」
Jリーグ草創期の観客動員数推移(1993年~1995年)
1993 17,976人
1995 19,598人
1996 16,922人
※全て1試合平均観客数

日本リーグ時代の10倍と表現してしまうのは少し適切ではないように思いますが、それでも1985年の日本サッカーリーグの観客数に対しては約10倍の増加率になっているのも事実で、これによってスタジアムの様子が大きく変わったであろうことは、ご理解頂けると思います。
そしてこの大変化は、なにもスタジアムで見られる光景だけに留まりませんで、この頃のJリーグチケットはどれもプラチナ化していて、どんな対戦カードであっても入手するのが非常に困難な実態もあったわけです。つまり、満員となったスタジアムの背後にはその何倍かの「Jリーグを観に行きたかった」人たちが存在していたと言うことです。
私自身、それまでは前売り券はおろか、場合によっては無料観戦も出来ていた日本サッカーリーグが、突如としてチケット入手も困難なJリーグとなったことに、大きく戸惑いましたし、心の奥底では「そこまで苦労してチケット取ったとしても、出てくる選手たちはこないだまでタダで見ることが出来た選手たちなんだぜ」と思ったりもしておりました。
そして、その「戸惑い」はチケットの入手が困難といった状況だけではなく、実際にJリーグをスタジアムに観戦しに行った時、さらに大きなものとなって降りかかってきたのです。
例え平日のナイターであっても、立錐の余地もないほどに埋め尽くされたスタンド。
ピッチ上で戦っている選手たちの異常とも思えるテンションの高さ。
これまで日本国内では体感した事のないような大歓声。
こうしたJリーグの風景に身を置きながら、私は何とも言えない「居心地の悪さ」を感じ、ひたすら戸惑っていました。
常識が一夜にして変わった

「居心地の悪さ」これを感じさせていた理由ははっきりしています。
満員の国立競技場に集まってきた人たち、その属性が明らかに日本サッカーリーグのそれとは異なっている。
年に数回、国立競技場が満員になる機会、TOYOTACUPや高校サッカーの決勝戦、そうした試合のそれとも異なっている。
まさに「常識が一夜にして変わった」のです。
つまり、それまでサッカーを見たことがないどころか、サッカーそのものに関心を持っていなかった層、彼らが一気にスタジアムに集まってきたことで、私の中に存在してきた「日本におけるサッカー場のムード」がほとんど消滅し、それに代わって「本当にココはサッカースタジアムなの?」と思ってしまうようなムードが物凄い勢いで押し寄せ、私に「居心地の悪さ」を感じさせていたのでしょう。
ただ、この時私が感じていた「居心地の悪さ」「本当にココはサッカースタジアムなの?」と思わせた光景、これらがあったからこそ、Jリーグはその草創期に成功を収め、日本サッカーの大躍進に繋がったのも間違いのないのです。
「常識が変わる」ということ

ここで一気に現在のJリーグへと話を移していきましょう。
「世間の関心を集める」「観客動員数を伸ばす」「選手たちの待遇を改善していく」
こうしたJリーグの発展に不可欠と言われている要素は、1993年の日本サッカー界がそうであったように「常識を変える」ことなくして達成するのは難しいでしょう。
あの時は本当に「一夜にして」それが変わったように私には思え、新たな日本サッカーの光景に「居心地の悪さ」さえ覚えた私でしたが、「常識を変える」ということは得てしてそういうモノであるのかも知れません。
それまでスタジアムに来たことが無いような新しいファン層が、既存のJリーグファンの数を凌駕するほどになれば、当然ながらそれまで存在してきたあらゆる常識は無力化するでしょう。
ゴール裏がサポーターの聖域ではなくなるかも知れませんし、チャントもコレオグラフィも絶滅するかも知れません。
レプリカユニフォームを着ないで観戦するスタイルがスタンダードになるかも知れませんし、スタジアムは全席指定になるかも知れません。
既存の常識が変わってしまう、変えられてしまうことを厭わない、そうした心情がないままに「Jリーグがもっと注目を浴びて欲しい」と言ったところで、それは単なる妄想に過ぎないのではないでしょうか。
後記
Jリーグがスタートして26年。
現在にあってはごく普通の「Jリーグの常識」も、そのスタート時は私が「居心地の悪さ」を覚えるようなものであった。
それにいつしか慣れていき、その価値観を共感出来る人のみが新たに加わりながらも、人口減少に伴ってその全体数は減少傾向にあるとも言えるでしょう。
そんな社会背景があったとして、それでもなおJリーグがこの社会で輝いていく為には、恐らく多くのJリーグファンが「居心地の悪さ」を覚えるような「常識の変化」を受け入れざるを得ない時がやってくる。
私はそう思うからこそ、今のJリーグを今の日本サッカーを出来るだけ客観視する姿勢を失いたくないと考えています。