ビッグゲームの記憶

5月4日。
東京多摩南豊ヶ丘フットボールフィールドで行われた関東リーグ2部の首位攻防戦「Criacao Shinjuku VS エスペランサSC」
「この試合をどう受け止めるべきか」それを改めて考えようとした時、歴史的なビッグゲームの記憶が蘇ってきました。
そのビッグゲームとは、1990年にイタリアで開催されたW杯の決勝戦。
対戦カードは「西ドイツVSアルゼンチン」
二大会連続で同じカードとなったこの対戦。その戦いに挑む両チームに対する視線は、4年前、つまり「マラドーナの大会」と言われた1986年メキシコ大会のそれとは大きく異なっていました。

グループリーグから盤石な戦いを続けてきた強者ドイツに対し、この大会でのアルゼンチン代表は良くも悪くもマラドーナ1人の閃きとスーパープレーだけで勝ち上がってきたようなチーム。
決勝トーナメント1回戦では優勝候補だったブラジルをたった一度のチャンスで仕留め、準々決勝では内戦の最中にありながらもイビチャ・オシムがまとめ上げたスター軍団、ユーゴスラビアをPK合戦で下し、ナポリで行われた準決勝ではとうとう開催国イタリアを準々決勝に続きPK合戦で打ち破って”しまった”。
そんなアルゼンチン代表はいつしか猛烈なブーイングをされる対象となっていき、自らが成功した街ナポリに続き、決勝の地ローマでも、マラドーナが国歌斉唱で画面に大写しになる度、そのブーイングは更に大きな騒音となり、どんどんエスカレートしていったのです。
天才は奇人に

あの時、あのピッチ上でマラドーナがどんな気持ちで戦っていたのか、それは計り知れませんが、試合終盤に味方DFが犯したレッドカードに繋がるファールで与えてしまったPKが決まり、大会連覇という野望が果たせなかったマラドーナの少年のような涙姿を記憶に刻まれている方も少なくないでしょう。
彼がその後歩んでいったキャリアを顧みると、‟天才”として認識されていたマラドーナがいつしか‟奇人”として認識されるようになっていくわけですが、そのターニングポイントがこの決勝戦であったように私は捉えていますし、国歌斉唱中、自らへ浴びせられる猛烈なブーイングに抗うかのように、スペイン語の侮蔑スラング‟Hijo de Puta”(英語で言うson of bitch.つまり「売春婦の息子」)を口から放ち続ける彼の表情が、中継画面を通して世界中に配信されたことも大きく影響を及ぼしてしまったように感じています。

つまり「天才マラドーナ」を「サッカー界の奇人」に仕立て上げてしまったのは、ブラジルをたった1プレーで地獄へ送り、自身を「救世主」と崇めてくれた街ナポリでイタリアを破り、あの時まさに「分不相応」な決勝進出チームの主将として西ドイツへ挑もうとしていた超人に、国歌ではなく口汚い言葉を発し続けるように仕向けたローマのブーイングであったのではないかと、私には思えてしまうのです。
「0か100か」

確かにあの大会のアルゼンチン代表は決して美しいチームでは無かった。しかし、だからと言って1人の天才、1人の超人を何万もの観客が追い込み、結果的に奇人の道を歩ませてしまうようなことがあって良かったのだろうかと、そう思うのです。
ただ、これは私自身がマラドーナのプレーに心酔させられた世代であることで、相当「マラドーナ側」に寄った気持ちになっていること、それだけに若干の偏見は承知の上、敢えて書かせて頂いているわけで、異なる立場、異なる美学によっては、その評価を正反対とされる方がいても、それを否定するつもりも無いし、そもそもこういう話を「0か100か」で秤にかけること自体が得てしてミスリードを生じさせ易いと、そうも思っております。
と、少々深い思い入れもあって、前段が長くなってしまいましたが、そろそろ冒頭に書いた関東リーグ2部首位攻防戦「Criacao Shinjuku VS エスペランサSC」について述べていきましょう。
この試合をどう受け止めるべきか

「この試合をどう受け止めるべきか」
などと仰々しい書き方をしてしまいましたが、これを読んで下さっている方のほとんどがこの試合を観戦されていないでしょうし、それでも「誤解覚悟」でこの試合を言葉で表現させて頂くと
『エスペランサがCriacaoに完敗したゲーム』
なのです。
試合の光景を振り返ってみると、CriacaoのDF、徳島ヴォルティスから鳴り物入りで加入した井筒隆也選手(背番号3)の左目瞼は大きなコブとなって腫れあがり、エスペランサDFによる必死のクリアボールを再度攻撃に繋げようとしたMF、上村佳祐選手(背番号17)はジャンプした状態で体当たりされ、そのまま負傷退場し、試合後は救急車で病院へ搬送されました。

また、エスペランサが犯したファールを巡るジャッジで、Criacaoの選手たちがレフリーに激しく抗議する場面も少なからずありました。
エスペランサの屈強なCB、ジョアン選手(背番号2)がプレーの切れたタイミングで相手選手を突き押し、それでも2枚目のイエローカードが提示されなかったのはラッキーであったと言えたのかも知れませんし、上村選手に空中でアタックしたエスペランサDF、栗原滉平選手(背番号13)には一発レッドカードが提示されていても不思議ではなかったかも知れません。
つまり、「エスペランサにとっては完敗」であったゲームも、Criacaoにとっては単なる「完勝」で済ませられるようなゲームではなかったと、そういう見方をする人がいてもおかしくない試合ではあったのです。
note記事「勝利以上に大切なこと」

試合が終わって2日後、Criacao Shinjukuの丸山和大代表が、noteにこの試合に関して意見発信をされました。
『勝利以上に大切なこと』とタイトルがつけられたこの記事の中で、丸山代表は「ラフプレーという事象」とそこに関わる人々の「価値観や倫理観」について、多角的な視野を以て書いておられます。
もちろん、この記事が書かれた背景に5月4日の試合が存在しているのは間違いありませんが、恐らく丸山代表が伝えようとされているのは、その1試合についての評価をどうしようと言うことではなく、選手や指導者はもちろん、審判、試合運営側、さらにはそれを応援する観客に至るまで、「スポーツを通じて戦う」ことの意味、それを問われているのではないかと、私はそう解釈しました。
故に、丸山代表のnote記事を受け止める側が、5月4日の試合、つまり「エスペランサ=ラフプレーを厭わないチーム」「Criacao=エスペランサの‟被害”に遭ったチーム」と「0か100か」で評価してしまうのではなく、自らのサッカー観、自らのフットボール観を研鑽する機会として、この提言を受け止めるべきではないかと、私は思うのです。
「0か100か」ではなく「100人いれば100通り」
実際に記事の中で丸山代表はこうも書かれています。
今回我々の試合の事象を取り上げるのですが、決して個人や組織が必要以上に非難されたり、人格として非難されるものではあってほしくないと思っています。
スポーツ界、社会がより良くなるための、議論として捉えてもらいたいと思います。
note 勝利以上に大切なこと 丸山和大 5月6日配信 より引用

私はエスペランサSCというチーム、そしてこのチームを創ったオルテガ監督の生き様、それらに触れれば触れるほど、サッカーというスポーツの本質を伝えられているような気持にさせられてきました。
そしてこれから先もこのクラブが日本サッカー界に様々な「フットボールの魂」を与えてくれる存在だと思ってもいます。
だからこそ、彼らがかつてのマラドーナのように「0か100か」だけで評価され、彼が”奇人”とならざるを得なかったように、日本サッカー界に存在しにくい状況が訪れるようなことだけにはなって欲しくない。
そして一方のCriacao Shinjukuも日本サッカー界に新たな風を吹き込む素晴らしいチームだと私は思っています。
そんな素晴らしいチームを抱えるクラブの代表が、批判も覚悟の上で世間に自らの思いを発信したのですから、その意図を出来る限り正確に捉えようとする姿勢も大切であるように思います。
「0か100か」「賛成か反対か」ではなく、100人いれば100通りの思いがあるはずで、そうであるからこそ、ピッチ上の文化も深まっていくのではないでしょうか。