女川‟ガル屋”でコバルトーレ女川と東北リーグの未来を想う

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女川 ガル屋にて思わぬ遭遇

かなり遠い地点から点在していた試合会場への案内板

今回の女川取材に際して、私は試合の前日から女川に入ることを決めていました。

試合のキックオフ時間が11:00と早めであったことがその最大の理由ですが、昨年の夏、長くこの町の復興ボランティアを続けている友人たちと共に初めて女川を訪れた私にとって、旅の印象を最も深く刻んだのは、FC今治と戦ったコバルトーレ女川でも、私が石巻まで前日練習を見に行っている間に仲間たちが釣ってきた新鮮な魚介の味でもなく、兎にも角にも、観光商店街「シーパルピア」の中にあるバー‟ガル屋”で過ごした、見知らぬ女川の人々との時間であったのは間違いのないことで

「ガル屋に行きたくて今回も女川町に宿を取ったんだ」

と、この旅を振り返ってみて改めてそう思えてもいます。

夕方に女川入りしたいわきサポーターのMさんと合流し、食事をした後に早速あの“ガル屋”へ行くと、先に立ち飲みされていた男性に赤いユニフォームを着ていたMさんが早速声を掛けられます。

『あ!いわきから いらしたんですか?』

こうして、しばしその男性を含めた数人で明日の試合についての話に花が咲いたわけですが、話しているうちに私は、この男性が女川の須田町長であることに気づき(昨夏にJFLの試合会場でコバルトーレを一緒に応援したことがあったので)そんなことを改めて確認したり、畏まって挨拶することもなく、そのまま酒場のノリで店の閉店時間までサッカー談義を続けていく中で、この町にとってコバルトーレ女川とはどんな意味を持つ「ツール」であるのか、我々がそこに居たからこそ、敢えてその話題をサッカーに向けて下さる須田町長のお気遣いの中にも、それを強く感じることが出来たのです。

コバルトーレと女川の町

水上バス乗り場で震災の日の話して下さったおじいさん

その日の午前中に訪れたコバルトーレ女川の試合前日練習で、何人かの選手にインタビューしてみると、キーワードとして「町の方々」という言葉必ずと言っていいほど出てきました。

もちろん、所属選手のほとんどが女川で職を持ち、サッカーに打ち込む環境を与えられ、それに感謝する気持ちを持っているところくらいまでは私にも想像はつく。

しかし彼らの口から出てくる「町の方々」が意味するところは、どうやらそんな狭義の意味で使われていないような気もしてくるのです。

そしてこれはコバルトーレ女川というサッカークラブを受け入れてきた女川町の人々にとっても、同じことが言えるような気がします。

仕事を通じて、或いは日常生活の中で選手たちと接点を持つことで、「感謝」なんて言う安っぽい言葉を超える感情がクラブに対して存在していても何ら不思議ではない。

何しろこの町は人口僅か6000人の小さな町。

名前は分からなくても、顔くらいであれば町民全てを把握出来てしまいそうな規模感なのです。

今の女川は大好きです

ハーフタイムに挨拶をする須田女川町長

「地域密着」「地域貢献」

Jリーグクラブやそこを目指しているようなチームは、どこも皆こうしたポリシーを声高に叫びます。

しかしコバルトーレ女川を通して女川の町を見ていると、どうもこうしたポリシーがしっくりと当てはまらないようにも思えてきます。

敢えて言うなれば「一心同体」「運命共同体」「一蓮托生」…..

つまりコバルトーレ女川は町の人々の一部であって、町の人々もまたコバルトーレ女川に欠かせない存在であると、‟ガル屋”で新たな出会いに遭遇する度にそんな思いが強くなるのです。

“ガル屋”では件の須田町長だけでなく、他にも印象的な出会いがありました。

『俺はこの町が嫌で一度女川を捨てたんです。でも津波に何もかも流されてしまったこの町で俺と同世代の奴らがみんな頑張ってる。だから俺も戻ってきたし今の女川は大好きです』

“ガル屋”の経営者であるマスターとも幼馴染みで30代半ばのこの青年は、自らが経営者となる移動ラーメン店をこの夏にスタートさせる計画を私に話してくれました。

そして

『俺はコバルトーレの選手なんて1人も知らないけど、コバルトーレの試合会場でみんなにラーメン食べてもらおうと思ってます』

と話し、私たちとそこで出会うまでは観に行くつもりのなかった東北リーグの開幕戦を

『俺も観に行ってましたよ!』

と、観戦後(応援後)のいわきサポーターで溢れる観光商店街「シーパルピア」に私を見つけ報告して下さいました。

コバルトーレ女川の未来は

コバルトーレの選手たちが口を揃えて勧めてくれた明神丸のマグロ丼

こうして女川の町とコバルトーレ女川を様々な視点から見つめてみると、このフットボールカルチャーが必ずしもJリーグやJFLを必要としていないようにも思えてきます。

もちろん選手たちは皆「もう1度JFLで戦いたい」と真剣に話してくれましたし、そう考えるのはアスリートとして当然です。

しかし、東北リーグのホームゲームで、いつも今回のように、果ては今回以上の活況がスタンダードとなるのであれば、必死になって運営予算の桁が1つ多くなるJFLに、さらにもう一桁多くなるJ3へとカテゴリーを上げて行ったとしても、それが果たしてコバルトーレの、女川のためになるのだろうか、と私はそう思うのです。

女川町に新設される天然芝のJ3規格スタジアムについても、それはあくまでも津波被害に伴う住宅建設地として、それまで存在した女川町総合運動公園陸上競技場を閉鎖し転用した、その代替地としての意味合いも強いのが実態だと私は解釈していますが、仮にチームがJ3リーグに昇格したとして、いわきサポーターと同じ規模のビジター客が、九州や関西からやってくるとも思えませんし、いわきサポーターの方々のように「今度はサッカー関係なしに来てみたい」と思わせるだけの地理条件にある地域リーグである必要性も生じてきます。

ツイッター?やってないけど つぶ焼くよ。

つまりコバルトーレ女川の未来は、必ずしもカテゴリーを上げていくこと、そこに集約されるようなものでは決してなく、むしろ地域リーグの成功事例としての道を歩んでいくことではなかろうかと、そしてそれを創るのには、選手やクラブがひたすらにリードすれば良いという事ではなく、地域がその価値を十分に理解すること、それなしには成し得ないことであって、女川にはそれを可能にするだけのシチュエーション、ポテンシャルが備わっているようにも思えたのです。

石巻から女川へ車で入っていくと、この地域が津波による壊滅的なダメージを受けた傷跡をそこかしこに確認することが出来ます。

現在の人口6000人も、震災前と比べれば4000人も減少しています。

ただ、そうした町であっても「大好き」と話す青年がそこで新たな事業を始めようとし、いわきからサッカーの為にやってきた100人を超える客人を歓待することくらい、9月の秋刀魚収獲祭に比べれば容易いことと言わんばかりに完璧にやり切った。

そんな町にあるサッカークラブだからこそ、いつまでも大切なものとして存在し続けて欲しい。

私の思いは全てここに起因しているのです。

東北リーグ1部 「女川町がいわきFCと創り出したフットボールの祝祭」

東北リーグ開幕戦「コバルトーレ女川VSいわきFC」を食べ物で表現すると

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