東北リーグ開幕戦‟復興支援マッチ”女川対いわき

東日本大震災発生から丁度8年が経過した3月11日。
東北社会人サッカーリーグの開幕戦カード「コバルトーレ女川 VS いわきFC」が正式発表され、「復興支援マッチ」とタイトルのついたこの試合を「見に行こう」と決めるのにさほど時間は掛かりませんでしたが、それにしても‟たかだか”地域リーグ。‟たかだか”1試合だけを取材したに過ぎないのに、今まさに何から書くべきか、それが未だ定まらず、それでも「早く書かなくては」と焦燥感に駆られることとなってしまおうとは、ほとんど予想していなかったわけでありまして、
今回のコラムに関しては「考えながら書いている」というハンディキャップを考慮しつつ読んで頂きたく(いつもじゃないかと叱られそうですが。。)先ずはその熱量だけでも伝えることが出来ればOKと私自身も多くを期待しないようにしたいと思っております。
とは言え、試合前日から滞在した女川で見たこと、感じたこと、それを何の制約もなく書いてしまえば、その熱量さえも伝わりにくくなってしまうような気もしますので、今回はこの旅においてそもそもの目的であった試合について、その当日の様子。そこから書いていきます。
「いわきサポーターを歓迎する女川の人々」という構図
コバルトーレ女川にとって、この小さな港町、女川町でリーグ戦を行うのは2年ぶりのこと。
人工芝ピッチが認められていないJFLを戦うにあたって、彼らはホームゲームのほとんどを女川から車を使っても30分は掛かる石巻市内で開催していたわけですが、昨シーズンから本格的にアンダーカテゴリーのサッカー世界に触れ始めた私にとっては、コバルトーレ女川のホームゲームが地元町内で行われている状況に遭遇する事自体初めての体験でもありました。
昨年の全社(全国社会人サッカー選手権)でも、その圧倒的な人数、圧倒的な「アンダーアーマー着用率」で存在感を示し続けていた「いわきFCサポーター」
彼らが女川にどれくらいやってくるのか、そしてこの小さな女川の町でどのくらいの存在感を発揮するのか。
これを単純な期待感だけではなく「どんな化学反応が起こるんだろう」と言うようなスリリングな思いも抱きつつ見つめていた私でしたが、それは良くも悪くも想定の範囲内であって「大勢のいわきサポーターを歓迎する女川の人々」という構図が、試合会場のみならず、そこからほど近い町の中心にある観光商店街「シーパルピア」でも見ることは出来ました。
フットボールの祝祭
女川の運営スタッフの方が
「まさかこの駐車場がこの時間(キックオフ1時間半前)で満車になってしまうとは思っていなかった」
と話すくらいにいわきサポーターが試合会場にドンドンやってくる中、それでも既にその段階で「女川運動公園第2運動場」は彼らの胃袋を満たすのに十分な体制が整っていましたし、選手の写真が印刷されたのぼりがいくつも立っている光景は、まさに「祭りの光景」そのものでありました。
大音量で流れる音楽、女川の特産品を中心とした飲食ブース各店から漂ってくる香り、コバルトーレ女川の情報が満載されたミニ新聞を配布する育成チームの少年たち…
初めのうちは遠方からやってくるいわきFCの赤いユニフォームを着たサポーターばかりが目立っていた会場も、両軍選手たちがピッチ上でウォーミングアップを始める頃には、それに合わせやってくる女川町民の姿も見え始め、その光景もただの「祭り」から「フットボールの祝祭」へと変化していきます。
そうしているうちに、女川のクラブスポンサー「高政」の社長でありサポーター(コールリーダー)の高橋正樹さんが会場に現れ、それを追ってこの町の若きリーダーである須田町長が‟昨晩”とは打って変わってビシッと決めたスーツ姿で会場に入ってくる(「昨晩」のエピソードについては次回にでも)
こうして否が応でも熱気を帯びていく試合会場の中にいて、私はこんな風に思っていたのです。
「どうしてこの祭りが東北リーグの全ての試合で作り出せないのだろうか」
「フットボールの祝祭」を作りだす資格

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これはなにも現在東北リーグに所属している各クラブを責めようとか批難しようとか、そういうことでは決してありません。
そもそも全国の9つある地域リーグの試合会場で「祭りの光景」が目撃出来るケースの方が少ないのですから、むしろこの日の女川で「フットボールの祝祭」に立ち会うこの感覚を得られたことがレアケースだと考えることも出来るでしょう。
ではそこにある境界線は何故生み出されてしまっているのか。
どうして「女川対いわき」の行われる女川町には祭りがあって、「東国大FC対エスペランサ」の行われた坂戸には祭りがなかったのか。
確かにこのカード、その一方は昨シーズンのJFLから降格してきたチームであり、もう一方は天皇杯でコンサドーレ札幌を撃破し一気にその名を挙げた地域リーグ随一の知名度を誇るチームでもある。
でもそんなことにどれだけの意味があるのか。
コバルトーレ女川はJFLで戦ったチームだから、いわきFCはこれまでに大番狂わせを何度も起こしてきたから、だからこそ「フットボールの祝祭」をする資格があるとされているのでしょうか。
町を「フットボールの祝祭」に巻き込もうとする意図
この日ピッチ上で繰り広げられた戦いが、この「フットボールの祝祭」に恥じない、感動的で素晴らしいゲームであったのは事実です。
地域リーグというカテゴリーにあっては、非常に質の高いゲームであったのも誰もが認めるところでしょう。
では、ここに集まってきた800人を超える人々は「質の高い地域リーグ」「感動的なゲーム」を見るためだけにここまでやってきたのか。
試合後選手にコメントを求めようと女川の阿部裕二監督にお願いをすると、快くそれを了解して頂くとともに、その後に選手たちが観光商店街「シーパルピア」でファンサービスをするスケジュールになっていることを知らされました。
取材を終えた私たちが試合会場をあとに町の中心に戻ると、観光客に混じり赤いユニフォームを着たいわきFCサポーターが大勢いる光景が目に入ってきます。
そして、チームのPRブースで並ぶコバルトーレ女川の選手たちが、家族や知人、地元ファン、そしていわきサポーター、それらの区別なく交流を図っている姿も。
私たちがしばしその光景を眺めていると、昨晩バーで知り合った女川の青年が「今日試合観に行きましたよ!」と話しかけてきて下さる。
ひとつだけ言えるのは、ここが人口僅か6000人の小さな町であることで、この日の午後はその中心エリアさえも「フットボールの祝祭」に巻き込まれていたし、巻き込もうとする意図も強く感じられたのです。
まさに
「フットボールがここにいる人たちを結びつけている」
その光景が私の目の前に間違いなく広がっていました。
錯覚
おそらく全国に9つある地域リーグの所属しているチームの中で、最も人口規模の小さな町をホームタウンとしているであろう女川で「フットボールの祝祭」を感じることが出来たのに、それが何故他ではほとんど感じることが出来ないのか。
これについての明確な答えを私は見出すことが未だ出来ていません。
クラブの運営予算や方向性、自治体との関係性、リーグの運営実態。
未だ見出すことが出来ていないのは、こうした部分に‟だけ”その理由、エクスキューズを求めようとしていないからでもあります。
もしかしたら我々は錯覚しているのではないだろうかと思うこともあります。
誰もが知るスター選手がプレーし、誰もが認める高いレベルのゲームが立派なスタジアムで行われていないと「フットボールの祝祭ではない」とする感性が、世間一般で普遍論の如く肥大化してしまっているのではなかろうか。
どんなに大騒ぎしたところで「女川対いわき」が作り出せる「フットボールの祝祭」の規模などたかが知れているでしょう。
でも、そうであったとしても、その「祝祭」をこれから先も続けていけるのであれば、もうそれだけで充分なのではないでしょうか。
・・・やっぱり1回のコラムでは書ききれないようです。
次回↓へ続く。