『あ゛~』
前半ラストのプレー。
試合が開始し45分が経過した段階で、やっと前を向いてボールを操るチャンスを得た宮内寛斗選手。
ドリブルでゴールライン沿いに斬り込み、そこから彼が右足で上げたクロスボールは、Honda FCのGK白坂楓馬選手の両手にすっぽりと収まってしまったのですが、その一連の流れを一眼レフを構えながらゴールライン際で目撃していた私には、このチャンスを逸した宮内選手の発した声が聞こえ、それに対して何とも表現しがたい感情が湧きたってきたのであります。
『あ゛~』
確かこんな感じの声でしたが、この『あ゛~』に妙な余裕を感じたと言いますか、「まだまだ楽しめるはずだぜ?」みたいな心情が伺えたとでも言いますか、とにかく、前半を通してほとんど見せ場を作ることが出来なかったどころか、絶対王者を相手に1点のビハインドを背負った「新人チーム」のストライカーが発する言葉としては、少々ギャップがあるように思えたのです。
というのも、外から見ている限り松江シティは「Jの門番」Honda FCを相手に完全に押し込まれていましたし、特に攻撃についてはカタチらしい形を一度も作らせてもらえない展開に終始し
「自信を喪失しているんじゃないか」
と私が感じてしまうのに十分な試合内容だったのです。それだけに「松江のスター」宮内寛斗選手にしても
「もしかしたらショックを受けているかも」
と思っていたくらいでしたので、この前半終了間際の『あ゛~』に対しては、そこにギャップを感じるとともに「後半何かが起こるかも知れない」と淡い予感も出来てしまった。
そして案の定というか、私の動物的勘の鋭さに乾杯!とでもいうのか、松江シティは前半とはまるで違うチームとなってピッチ上を躍動してしまったわけです。
「Jの門番」を圧倒した松江シティ
戦術的な分析をするのであれば、後半の松江シティはプレスをかける位置を10mくらい前にしたはずです。
相手GKにまで徹底してプレスをかけ、そのプレスによって生じた「キックの誤差」を二列目以降の選手たちが「回収」しまくる。
そうして「回収」したボールを少ないタッチ数で動かし、常にショートカウンターの機会を狙う。
「Jの門番」Honda FCを圧倒する試合運び。
これを前半にほとんどいいところのなかった松江シティの選手たちがやってのけました。
「松江のスター」今シーズンから背番号10を背負う宮内寛斗選手の同点ゴールが生まれたのも、この展開の中にあっては必然でしたし、それこそ前半に負った1失点を逆転したって誰も驚かないような試合展開でもあった。
ただ、Honda FCが時おり繰り出す鋭いカウンターを前に、退場者を出すファールでそのピンチを防がざるを得なかったのも松江シティの実力であるのは間違いないですし、結果的にこの85分の退場劇によって、松江シティは「ドローで良し」という現実的な判断をしたわけでありまして、これもまさにサッカーの「ままならなさ」であるわけですが。
しかしながら、この「Jの門番」を圧倒した、凌駕してしまった約40分間の松江シティは、本当にそのまま昨年の11月に私たちが驚愕した「地域チャンピオンズリーグ」で「完全なる地域リーグの王者※」となった彼らの姿そのままであったわけです。
その姿は栃木ウーヴァFCを奈落の底で突き落とした試合となんら変わりませんでしたし、そもそもそれをピッチ上で表現している選手たちがほとんどあの時のメンバーと変わっていません。
地域リーグの世界にあっても決して華やかな経歴や実績をもった選手たちによるチームではないこと、そんな彼らが「完全なる地域リーグの王者」となり、その事実は驚きを以て受け止められていましたが、彼らがひとつカテゴリーを上げて、今度は「Jの門番」を相手に堂々たる戦いぶりを見せ、田中孝司監督の描くチーム像が、JFLに昇格した今も変わらず追求されていること。
これを素晴らしいと言わず何が素晴らしいのか。
1週間前に行われたJFL開幕監督会見の会場で
『JFLに上がったからと言って、やっているサッカーが変わったら面白くないじゃない?それにそんなチームじゃ応援している人も離れちゃうでしょ』
と田中監督は私に話して下さいましたが、この言葉に一片の曇りもないことを松江シティは浜松の都田サッカー場で見せてくれたのです。
そしてこれは、Honda FCに寄り添い、都田へ集うサッカーファンの方々にも「松江にこんな素晴らしいチームがあったのか」と言うような、驚きとインパクトを与えただろうと、私はそう確信しています。
「観客1000人では選手は緊張しない」
こうして地域リーグ時代を含めると4年の月日を懸けて田中孝司監督によって作られた松江シティのサッカー。
彼らの試合を見たサッカーファンの間では「絶対に見るべきチーム」として徐々に認識されてきているように感じていますが、その一方で彼らの地元、ホームスタジアムの松江市営陸上競技場に、どれだけの観客が集まってくれるのか、これについては決して明るい見通しがあるとは言い難いのも事実。
実際昨年の地域チャンピオンズリーグ松江ラウンドでは、この素晴らしいチームがJFL昇格を懸けて戦っている状況であったのに、観客数は1000人にも遠く及ばなかったわけです。
そんな実情を考えると、例えJFLに昇格したからと言ってその状況が大きく好転するとは考えにくい。
いや、JFLというリーグ自体、現状として集客力を備えていないのは明らかなわけで、有料入場が義務化される中、松江シティというクラブにとっても、そのリーグ戦運営をそつなくこなす事で精一杯でしょうし、その上で「松江市営に3000人集めよう!」なんて体力的にも難しいかも知れません。
ただ、試合後に行ったインタビューで宮内寛斗選手は『お客さんが沢山来てくれるとモチベーションは絶対に上がります』とコメントし、田中監督もこんな風に話してくれました。
『今日は大体1,000人くらいのお客さんですか。でもこのくらいじゃ選手は緊張しませんし、プレッシャーもかからない。松江では、選手がプレッシャーを感じるくらいのお客さんに集まって頂きたいし、そういう環境の中でサッカーを出来れば、選手ももっと成長していけますよ』
次の週末に見に行こう
私は以前このブログの中で「松江シティのある町で暮らしている人たちが羨ましい」という言葉を書いたことがあります。
あの言葉は昨年の11月に松江シティが地域チャンピオンズリーグで優勝し「完全なる地域リーグ王者」としてJFL昇格を決めた直後に書いたものですが、その思いは今回彼らのJFL初戦を見たことでさらに強いものとなりました。
彼らの戦うJFLだけでなく、その日常で行われているトレーニングについても、この眼で見てみたいし、そこから感じたものをしっかりと頭に刻んでおきたい。
そして、それが出来るのも、短ければ今シーズン限りであるかも知れないという刹那的な思いも既に浮かんできている。
何故なら、あれほど素晴らしいチームが、この先2年も3年も「温存」されるわけがありませんし、そうであっては日本サッカーの発展はないと思うからです。
「いつか見に行こう」
ではなく
「次の週末に見に行こう」
それくらいのスピード感がないと、見逃してしまいますよ!
※「完全なる地域リーグの王者」
2018シーズンの松江シティFCは、所属する中国リーグで優勝、全国社会人サッカー選手権優勝、JFL昇格を懸けた全国地域サッカーチャンピオンズリーグ優勝と、地域リーグクラブが争う全てのタイトルを獲得し「完全なる王者」となった。
ちなみにこのシーズンにおける公式戦での敗戦は、天皇杯2回戦でV.ファーレン長崎(当時J1)に延長の末1-2で敗れた試合のみ。