「Youは何しに日本へ?」を見て日本スポーツ界を変化させるヒントをもらう

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Youは何しに日本へ?

少し前のこと、たまたまテレビでやっていた「Youは何しに日本へ?」を見ておりまして、ある気づきをすることが出来たので今回はそれについて書いてみようと思います。

皆さんご存知の通り、あの番組は日本の空港に到着した外国人旅行者にインタビューして、何をしに日本へ来たのかを訊き、それが面白そうな場合は彼らの旅にそのまま同行するというストーリーがお決まりなのですが、私が見たその回でもそうして1人の初老男性に追跡取材がされました。

海外旅行にしちゃ少し軽装過ぎるんじゃないかと感じさせる赤いストールを首に巻いたその白人男性は「とっておきの秘密の場所(表現は少し違ったかも知れません)」へ行くと言って、ローカル線や路線バスを乗り継ぎ、長い時間をかけてその「とっておきの秘密の場所」へ番組スタッフを連れて行くのですが、その道中に入るナレーション(ボビー・オロゴンによるもの)は「どんな凄いところなんだろうか」と煽るだけ煽ります。

そして半日近い時間をかけて男性に連れて来られた町、高知県甲浦(かんのうら)へ到着するのです。

高知県の東、徳島県との県境に限りなく近い海沿いにあるこの小さな港町は、道行く人もまばら、これと言った観光スポットもなく、小さな入り江に漁船が数隻停泊しているだけのようなところで、実際にこの男性が宿泊したのも、数年前に廃業した旅館でした。(古くからの知り合いで無料宿泊させてくれていた)

で、ここからが私の気づきのポイントなのですが。

そんな何にもない、静かな港町をして、番組ナレーションが繰り返しこう入ってくるわけです。

「たしかにきれいなところだけど、、普通!」

この町まで番組スタッフを連れてきた初老の白人男性はもともと国連職員で、これまでに世界中で戦争のさなかにある地域を嫌と言うほど目にしてきた。だからこそこの甲浦に平和を感じ、「この町の中で一番好きな場所」と案内する何の変哲もない山道の途中で、感極まって涙したりしているのです。

私はこの男性にとって、この「何もない普通の港町」がどんな風に大切な場所であるのか、どうしてそんなにも素敵な場所として認識されているのか、それを正確には理解出来ないですし、正直理解しようとも思いません。

ただ、この番組の一連の流れの中で、この元国連職員の男性が、大掛かりな撮影部隊を連れて行こうと思うほど(或いはついて来てもいいよと思えるほど)自分自身の趣向に対して正直で素直である姿、そこについては自分自身の中にある俗っぽさが恥ずかしく感じられるような思いを持てたのです。

「普通!」な場所に連れて行く

仮に私であれば、例えその場所が自分にとって価値があって、素敵な場所だと思えていたとしても、そこに人を連れて行こうとした時に、着いた先で彼がガッカリするんじゃないかとか、何でこんな場所が好きなの?と思われてしまうんじゃないかとか、きっとそんな風に考えてしまいがちなのに、この初老の白人男性は、そんなことなど微塵も考えていないかのように、洋々とローカル線を乗り継ぎ、フェリーやバスまで使って「普通!」な港町まで連れて行き、やっぱり「たしかにきれいなところだけど、、普通!」と言われてしまうのです。

もしかしたら、私たちは自分が好きなこと、関心のあること、素敵だと思っている場所、そういうモノについて、いちいち他者からの評価を気にしてはいないか、それも無意識のうちに。

例えば私がレイソルの試合が行われる日立台に「一緒に行こう」と人を誘う時、どういう誘い文句を使っているんだろう。

加えて

はじめて連れてきた試合でレイソルが負けてしまったらどうしよう。

屋根のないスタンドで雨に降られてびしょ濡れになってしまったらどうしよう。

といった風に、誘った相手がガッカリしないかとか、行かなきゃ良かったと思われないかとか、そういう不安が先に立ってしまってはいないだろうか。

自分自身はレイソルが負けようが、雨に降られようが、日立台で楽しく過ごせる自信があるのに。

そして、こうした思考回路が、いつしか自分自身の本音の趣味趣向さえも『他者の評価』という幻想に基づいて「書き換えて」しまってはいないだろうか。

本当は自分にしか分からない楽しさを感じているのに、世間が言う「楽しい」にそれを変調させてしまってはいないだろうか。

自分の好きに素直になる

私はたまたま見たテレビ番組に現れた男性の行動を見ているうちに

「別に他人がどう思おうと自分の好きを歪める必要なんて無いんだ」

と思うことが出来ました。

これは一見当たり前のことのようですが、私にとっては非常に大きな気づきです。

日本のスポーツの世界を見渡しても、そのトップカテゴリー、トップリーグについては、一定の注目度合い、関心の高さが存在していても、トップリーグで無くなった途端、それらはまるで地に落ちたかのような扱いを受けている現状があります。

もちろん、こうした傾向はどの世界にだって少なからず存在はしているのでしょうが、日本社会においてはその傾向がかなり顕著であるようにも感じられる。

長く私は、その原因が何であるのか、なかなかそのヒントを見いだせずにいたのですが、「何にもない港町」甲浦を愛する白人男性を見たことで、それを1つだけ得たようにも思っています。

「少なくともこの人は番組スタッフがどう思うかなんてほとんど考えていないし【自分の好きに素直】であるだけなんだ」

良くYouTubeなどで、アメリカのもの凄くマイナーでローカルなスポーツの試合が、そこそこ観客を集めて、そこそこ盛り上がっているのを目にしたりします。

きっとそうして出てくる試合の中の多くは、ローカル誌が辛うじて結果のみを掲載するレベル、或いは全くその情報が触れられていない場合がほとんどなはず。

それでも体育館のスタンドは人で一杯になって、終了間際のブザービートに大熱狂したりしている。

あそこにいる観客は「自分の好きに素直になっている」人たちの集団なんじゃないか、私はこんな風に推測してみたのですが、皆さんはどう思われますか?

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