前回から2回に渡って、現在南葛SC(東京都1部)に所属している柴村直弥選手についてのコラムをお届けしています。
Jリーグでのプレー経験も豊富で、ラトビアやウズベキスタン、ポーランドのトップリーグでも活躍した選手が、東京都1部リーグでプレーすることを決めた理由、そして今シーズン、チームが迎えた福西崇史監督の下、柴村直弥選手兼ヘッドコーチが取り組んでいる新たな挑戦。
インタビューに応じて下さった柴村選手自身の言葉でそれを綴っていきます。
その2回目は、ヘッドコーチ柴村直弥選手が何を思っているか。
タイトルは【福西崇史監督₋柴村直弥ヘッドコーチ体制】
福西崇史監督₋柴村直弥ヘッドコーチ体制
インタビュー中にスマートフォンの着信音が鳴る。
画面に表示された名前は「福西崇史」
監督からの電話だ。
「はい、今夜の練習に〇〇が参加出来て、〇〇は日曜日の試合にも来られるので丁度いいと思うんですよね。はい、そうです。〇〇と〇〇が来れば一応ディフェンスラインの形は出来るのでー」
Criacaoから南葛SCへ

2018シーズン、関東リーグ昇格の懸かる初年度を迎えるにあたって、南葛SCが最初に獲得した「プロ選手」が柴村直弥選手だった。
『Criacaoとは何年契約というものはありませんでしたし、クラブも自分がずっといると思ってくれていましたので、南葛SCの岩本義弘GMからオファーを頂いた時に実は1回お断りしたんです』
それでもなお、熱心にラブコールを送り続けた南葛SCへの移籍を決めるのには、所属クラブであるCriacaoの社長、そして家族とも、およそ2か月に渡って何度も話し合いをする必要があった。
『最終的に、南葛SCが自分を必要だとして、1回断ったにも関わらずその後も熱心に誘ってくれたことで移籍を決断しましたが、自分自身もそんなに簡単にCriacaoから南葛へっていう風にはいかないですし、サッと決まった移籍ではなかったです』
東京都2部で優勝し1部に昇格したばかりの南葛SC.
そこでプレーする選手はブラジル人選手を除けば全員がアマチュア選手。
そこへプロ選手として柴村選手と安田晃大選手(愛媛FCから加入)が加わった。
「アマ・プロ混在チーム」

『昨シーズンの南葛ではアマチュアとプロとが共存する素地が出来ていって、新たに何人ものプロ選手が加わった今シーズンに向けて、いい助走期間になっていたんだと思います』
柴村選手はヨーロッパへ挑戦する前のシーズン、ガイナーレ鳥取から当時東海リーグに所属していた藤枝MYFCへ期限付き移籍をしているが、そこで「アマ、プロ混在チーム」を経験している。
そのシーズン、藤枝MYFCは東海リーグで優勝し、全国社会人サッカー選手権(全社)にも全国地域リーグ決勝大会(地決、現在の地域CL)にも出場しているが、その時期チームに所属していた選手の中にはJリーグ経験者が9人ほどおり、彼らがアマチュア選手を高いレベルへ引き上げていく状態があったそうだ。
その時のに得た体験を今シーズンの南葛SCにおいても追体験出来るかも知れない、柴村選手はそうも感じているようだ。
昨シーズンの終盤、関東リーグ昇格を掛けた関東社会人サッカー大会に初めて挑んだ南葛SCが、選手として10年のブランクのあった福西崇史選手をチームに迎え入れていたことも、今シーズン指揮を執ることになった福西崇史監督を、チームがスムーズに受け入れるだけの素地を育むことに繋がったと考えることも出来るだろう。
福西監督がヘッドコーチ就任要請

プロ監督に新加入のプロ選手、チームの骨格が著しく「骨太」になっていく中、柴村直弥選手はチームのヘッドコーチも兼任することになった。
その経緯について伺うと、柴村選手にヘッドコーチ就任を要請したのは、福西監督でもあったようだ。
福西監督は柴村選手をこう評したと言う。
「サッカーの感覚が似ていて、多くを説明しなくても分かってくれる」
昨シーズン、福西監督が選手としてチームに加わる以前から『フクさんとは草サッカーで一緒にボールを蹴る間柄だった』という柴村選手。
そんな関係であったからこそ、福西監督は柴村選手に対して「感覚が似ている」という印象を持つことが出来たのだろう。
プロチームのように「サッカーだけ」を生活の中心に置くことが難しいのは、NHKのサッカー解説者など多岐に渡る活躍をされている福西監督にしても同じこと。(ちなみに柴村選手もDAZNなどでJリーグや海外リーグのサッカー解説、子どもたちへのサッカー指導、執筆など、サッカー選手以外にも仕事をしている)

限られた時間の中で、いかに効率よくコミュニケーションを取ることが出来るか、監督の意図をコーチに説明するのに時間を要してしまえば、それを選手たちにまで落とし込んで行くのにもさらに労力を必要としてしまう。
そういう意味においても、南葛SCの現在地に最適な指導体制として「福西監督ー柴村ヘッドコーチ」のラインが必要であったのだろう。
先日ナイターで行われている南葛SCの通常トレーニングを見学した際も、この「福西監督ー柴村ヘッドコーチ」ラインの存在感を随所に見ることが出来た。
腕組みをして遠目に全体を見つめている福西監督の姿と共に、トレーニングメニューについて詳細な説明や指示を出している柴村ヘッドコーチの姿は非常に印象深いもので、トレーニングが終了した後も、グラウンドのナイター照明が消されてしまう時間ギリギリまで、福西監督、そして柴村ヘッドコーチが選手それぞれとコミュニケーションを取っている姿を見ることが出来た。
『自分は鳥取で服部年宏さん(静岡県サッカー協会理事)から、藤枝では斉藤俊秀さん(日本代表コーチ)から、福岡にいた時は布部陽功さん(柏レイソルGM)から、沢山のことを学んで成長出来た』
と話す柴村選手。
『去年フクさんがチームに入って来たばかりの時は多少の遠慮があった』という南葛の選手たちに、福西崇史選手に対してどんどん話しかけるようにも促したと言う。
「福西監督₋柴村ヘッドコーチ」体制

多くのプロ選手が加入したとは言え、それでもチームに所属する多くの選手たちは社会人として本業を持つアマチュア選手。
だからこその苦労も、南葛SCの「プロ指導者」である福西監督と柴村ヘッドコーチにとっては乗り越えていかなくていけない壁だ。
『プロチームとの大きな違いは、その日の練習に集まる選手の人数がはっきりしないこと。仕事の都合で急に参加出来なくなるケースもあれば、その逆もある。人数が変われば練習メニューも変わってきます。1人いるかいないかで、メニューによっては強度も目的も難易度も変わってしまう、そこで微調整が必要になってきますが、全体をしっかりオーガナイズ出来るパターンを2つくらい想定しておいて、状況に応じて対応することはしていますし、フクさんともトレーニング中に限らずそうした情報を共有するようにしています』
冒頭に書いた福西監督からの電話。
これもまさにその晩に行われるトレーニングの詳細部分に関する情報共有がその目的であった。
しかしながら、その通話時間は思いのほか短い。
かなり複雑な状況について会話しているのにもかかわらず「福西監督ー柴村ヘッドコーチ」ラインにおいては、それを双方で確認するのに最低限の言葉があれば事足りてしまっているのだろう。
サッカーマンとしての道を開拓

『新しく入ってきた選手、これは青木(青木剛選手 元日本代表)にしてもそうですが、トレーニングから一生懸命やる選手たちですし、そういうところはチーム全体にいい影響をもたらせていると感じています。やはり昨シーズンの助走期間があって、アマチュアの選手たちも新加入のプロ選手たちに引っ張られていく、そんなイメージですね』
福西監督が描くチームの形に近づけていく作業、それは指導する側が細かな情報共有を反芻(はんすう)することでその精度が高まり、選手たちがそれぞれが新たな挑戦を繰り返していくことでチームの質向上に繋がっていく、そしてこうした作業は東京都1部リーグでの戦いの最中も途切れることなく続いていき、その全てを11月の関東社会人サッカー大会で結実させる。
『関社まで行けば、連戦のトーナメントで、しかも相手は良く知らない他県のチーム、そこで今度は昨シーズンの関社を経験しているアマチュア選手たちの力が必ず活きてくるはず、昇格するためにはチームに所属している選手スタッフ全員の力が本当の意味で必要になると思います』
こう話しながらも、柴村ヘッドコーチは、それ以前に東京都1部リーグが決して簡単なリーグにはならないと考えてもいる。

『昨シーズン優勝したことで、対戦相手は最初から意気込んで南葛にぶつかってくるでしょう、それを倒すっていうのも昨年より難しくなっていくと思いますし、関東リーグからエリース東京が降格してきて、明治学院スカーレットや駒澤大学GIOCOのように若い学生チームも昇格してきました、またJリーグを目指すチームがどこも力のある選手を補強をしています、そういう面でリーグそのものが難しくなるはずです』
柴村直弥選手がCriacaoから南葛SCへの移籍を決断した1年前。
その時にはまさか自分が福西崇史監督の下、選手兼ヘッドコーチを任されることになるとは想像もしていなかっただろう。
既に英国では指導者資格を取得し、JFAの指導者資格にも挑戦しはじめている柴村直弥選手。
「我が道を行く」スタイルで自らのサッカー選手としてのキャリアを切り拓き、7部に相当するリーグも未だ経験したことのないサッカーマンとしての道を開拓し続ける。
2019シーズンの南葛SCにおける最大の見どころは、福西崇史監督でも青木剛選手でもなく、この選手兼ヘッドコーチの存在であるのかも知れない。
後記
2回に渡って南葛SC柴村直弥選手のインタビューコラムをお届けしてきました。
この記事を書くにあたって、柴村選手にはかなり長い時間インタビューに応じて頂き、その中で彼の人柄にも少し触れられたように思います。
インタビュー時に柴村選手が身につけていたシャツは、自身がアンバサダーも務めるアパレルブランド「viri-dari deserta」が作ったオーガニックコットンシャツ。
『ウズベキスタンで最初にプレーした「パフタコール」はタシュケントが綿花の産地であることからついた名前、コットンとはそんな縁もありますね』
こんなことをサラリと口にされると、彼がサッカー選手であるということを一瞬忘れてしまいそうになります。
そして同時に、サッカーというスポーツが社会文化の一部であって、そこで生きる人々が紛れもなくこの社会の同じ一員であること、当たり前のことなのかも知れませんが、柴村選手と話しているとそうした当たり前のことも実感出来るのでした。
柴村直弥選手 略歴
1982年9月11日生まれ
広島市出身
広島皆実高~中央大学
- 2005-2006 アルビレックス新潟S
- 2007 アビスパ福岡
- 2008 徳島ヴォルティス
- 2009-2010 ガイナーレ鳥取(2010→藤枝MYFC【期限付】)
- 2011 FKヴェンツピルス(ラトビア)
- 2012 FCパフタコール(ウズベキスタン)
- 2012-2014 FKブハラ(ウズベキスタン)
- 2014-2015 ストミール・オルシュティン(ポーランド)
- 2016 ヴァンフォーレ甲府
- 2017 Criacao
- 2018~ 南葛SC