柴村直弥選手(南葛SC)インタビューコラム①【我が道を行く男がプロサッカー選手の可能性を示す】

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今回から2回に渡って、現在南葛SC(東京都1部)に所属している柴村直弥選手についてのコラムをお届け致します。

Jリーグでのプレー経験も豊富で、ラトビアやウズベキスタン、ポーランドのトップリーグでも活躍した選手が、東京都1部リーグでプレーすることを決めた理由、そして今シーズン、チームが迎えた福西崇史監督の下、柴村直弥選手兼ヘッドコーチが取り組んでいる新たな挑戦。

インタビューに応じて下さった柴村選手自身の言葉でそれを綴っていきます。

1回目となる今回は、柴村直弥という1人のサッカー選手がこれまでに歩んできた道について。

タイトルは【我が道を行く男がプロサッカー選手の可能性を示す】

我が道を行く男がプロサッカー選手の可能性を示す

「ありきたりな寸評」が陳腐に思えてくるほど

『イメージとしてはJリーグで活躍して、日本代表になってヨーロッパへ行く。当時はその形しかなかったのでそれをイメージしていたんですけど、そうこうしているうちにJリーガーにはなれましたけど、日本代表にはなれない中、もう28歳になっていたし、このシーズンが終わったらヨーロッパへ行こうって決めていたんですよね』

これは東京都1部南葛SCでプレーする柴村直弥選手による、ガイナーレ鳥取に所属していた2010シーズンを振り返っての言葉だ。

ちなみにこの2010シーズンにおける柴村選手は、所属するガイナーレ鳥取から当時東海リーグ1部で戦っていた藤枝MYFC(当時の正式クラブ名はshizuoka.藤枝MYFC)に半年の間期限付き移籍をしており、そこで全国社会人サッカー選手権(全社)にも全国地域リーグ決勝大会(地決、現在の地域CL)にも出場しているが、結果としてその6年後にJ1リーガーとしてヴァンフォーレ甲府でプレーする機会を得たことを考えれば、サッカー選手として決して若いとは言えない28歳という年齢で、ヨーロッパへ行く決断をしていたことが自らのプレーヤーとしての価値を高めることに繋がったと言えるのかも知れない。

ただ、そんな「ありきたりな寸評」が陳腐に思えてくるほど、柴村直弥という1人のサッカー選手がこれまでに歩んできた道からは、まさに「我が道を行く」男の生き様を感じることが出来る。

セルフプロデュースでヨーロッパへ売り込む

『ヨーロッパに自分を売り込むにあたって、映像編集なんてしたことなかったですけど、友人に教わりながらプレー映像のDVDを作って、クラブの強化部やエージェントにちゃんと見て欲しいからパッケージもそれっぽく印刷して作って…。28歳でしかもディフェンダーの日本人を欲しいクラブなんてまずないだろうと考えていたからこそでした』

と当時を振り返りながらこう話す柴村選手からは、サッカー選手と言うよりもプロデューサー然とした雰囲気が漂っている。

プロデュースする対象は自分自身。まさにセルフプロデュースを地で行くスタイルだ。

『エージェントから「映像をYoutubeにアップロードしてくれ」と言われて、すぐに友人の会社のPCからアップロードさせてもらったんですが、結局ヨーロッパ向けに自分で作った20枚のDVDは不要になってしまいました、今も実家に埋まってます』

笑ってそう話しながらも、これから海外を目指そうとする選手たちから相談を受ける際には『まず映像を作った方がいい』とアドバイスするという。

『トップクラスの選手であったとしても、出来る限り最新の「ハイライト」を入れたプレー映像は作った方がいいと思っています。こっちから売り込むのであればなおさらですし、作るのであれば、何となくいいシーンばかりをまとめて器用貧乏になるよりは、特徴が強く打ち出されている方がよりいいですね』

きっとこの人は、常にこうして自分の歩んでいく道を切り拓いてきたのだろう。

今でこそ、PCを使っての動画編集もそれを簡単にすることが出来る無料ソフトが溢れているし、子どもがYoutubeに動画をアップロードしたくらいでは誰も驚かない時代になっているが、柴村選手が初めて自身のプレー映像を編集したのは今から約10年までのことで(ユーチュバーなどがまだ誕生する以前、だからこそDVDを20枚も不要にしてしまったわけだが)それを現役のJリーガーが友人に教えてもらいながら何とか自分で行うまでに至ったのは、歩もうとしてきた道が決して王道では無かったことの現われでもあるだろう。

そうして自らが編集をしたプレー映像を糸口にして、ヨーロッパサッカーへ自分自身を売り込んだ柴村選手は、ラトビア(FKヴェンツピルス)でUEFAヨーロッパリーグを戦い、ウズベキスタンリーグではそこでプレーする初の日本人選手として、2つ目の所属クラブFKブハラではチームNo.1の出場時間を誇る選手になり、さらには国籍を取得してのウズベキスタン代表入りを打診されるほどにまでなった。

東京都1部リーグへ

2016シーズン、J1ヴァンフォーレ甲府でプレーした翌年に、そこから当時東京都1部に所属していたCriacao(クリアソン)へと戦いの場を移す判断をしたあたりにも、柴村選手が自らのサッカー選手としての可能性をどこに感じているのか、それが体現されているように思える。

開幕直後に負った怪我の影響で、結果的に数試合の出場にとどまってしまった2016シーズンの柴村選手だったが、それでも出場した試合ではしっかりと評価もされ、ヴァンフォーレ甲府との契約は満了となりながらも、シーズン終了後複数のJクラブから誘いの話はあった。

プレーする舞台の可能性はJリーグに限らず、シーズン中のオーストラリアAリーグで優勝争いをしているクラブからも獲得オファーが届いていた、それでも東京都1部のCriacaoでプレーすることを決めた理由を柴村選手はこう話す。

『Criacaoのことはその以前から知っていて、練習参加したこともあって印象も良かった。クラブも凄く熱心に誘ってくれていましたし、クラブの思いもずっと聞いてきていましたから、自分も力になりたいと、そう心が動いたのが決定的な理由です』

つまり柴村選手にとって移籍を決めたクラブがたまたま東京都1部であっただけで、最初から「7部」に相当するリーグへ行こうと考えていたわけではないのだ。

自問自答

『自分はこれまでにほとんど給料の交渉なんてしたことも無いし、住むところがあって食べることが出来れば、条件についてもそれほどこだわりはない』

とまで話す柴村選手が、こうした一見「意外」と思えてしまう判断を出来てしまうのは、それまでに彼が自らの思いに真っすぐ向き合い、ひとりのサッカー選手として「我が道を行く」スタイルを貫いてきたことで体得してきたものが、大きく影響をしているようにも思う。

『どんどん世界が広がっていくなぁって言うのは海外に飛び出して行って、実際に知見も価値観も色んな背景の人に触れることで幅が広がっていくのを感じました』

柴村選手はこう話してくれたが、おそらくそうした知見、価値観の幅を持てるだけの素地が、サッカーの名門、広島皆実高校に一般入試で入学した中学サッカークラブ補欠選手だった柴村直弥少年にも既に備わっていたのではないだろうか。

『ポーランドのクラブに移籍した頃、なかなかビザが下りなくて暫く試合に出られない時期があったんですけど、その時によく「何で自分ってサッカーしているんだろう」と自問自答していて、やっぱり子どもの頃から変わらないのって向上心だなぁと思ったんです。例えば二人一組のパス交換でも突き詰めればキリがないし、そういうことを無意識に考えるようになっている。そしてそれは今でも衰えることがない』

Jリーグで大活躍し日本代表に選ばれ、ドイツやイングランドのビッグクラブでプレーをすること、もちろんそれもサッカー選手の持つ華々しい可能性の1つではあるだろう、しかし柴村選手がこれまでに歩んできた道、そして今現在南葛SCで取り組んでいるミッションについて聞いていると、これもサッカー選手の持つ可能性の姿を大きく示しているように思えてならない。

そして、驚くべき記憶力で自らの歩みについて詳細に語ることの出来る柴村直弥というサッカーマンが、間違いなくこの日本サッカー界にとって貴重な存在であり、将来に渡ってその力を発揮していくだろうことを私に予感させるのだ。

後記

柴村直弥選手のキャリアをつぶさに見ていくとあることに気がつきます。

ガイナーレ鳥取から期限付きとは言え地域リーグクラブへ移籍した選手が、その後ラトビアやウズベキスタンといった国のトップリーグ、そして帰国後はJ1ヴァンフォーレ甲府でプレーする。

元Jリーガーといった肩書を持つ選手たちが、地域リーグから再びトップリーグへと活躍の場を戻す(柴村選手の場合は「戻す」どころか、もと居た場所より高いところへ行ってしまったわけですが)のはそんなに簡単ことではないでしょうし、実際にそうしたケースも数えるほどしかない。

もちろん、そうなっていった最大の理由が、柴村選手に対するプレーヤーとして評価であったのは間違いのないことです。しかしそれと同時に、柴村選手自身がこうしたキャリア経緯の道中で、いつもそこに意義や価値を見い出せていたこと、これがあったからこそ「我が道を行く」キャリアの形を作っていくことが出来たのではないか、お話を聞いているうちにそう思えてきたのです。

そして現在の柴村選手が「サッカー選手」としての自分自身にどんな意義や価値を見出せているのか。

チームのカテゴリーは7部に相当する東京都1部リーグでありながら、きっとそこへ注ぎ込むエネルギーの強さが、ウズベキスタンで活躍していた時代とも、ヴァンフォーレ甲府で怪我と戦っていた時代とも変わらないものであるはずです。

次回はそんな柴村選手の今。

新しいシーズンに向けた南葛SCにおける挑戦についてお送り致します。

柴村直弥選手(南葛SC)インタビューコラム②【福西崇史監督₋柴村直弥ヘッドコーチ体制】

柴村直弥選手 略歴

1982年9月11日生まれ

広島市出身

広島皆実高~中央大学

  • 2005-2006 アルビレックス新潟S
  • 2007             アビスパ福岡
  • 2008     徳島ヴォルティス
  • 2009-2010 ガイナーレ鳥取(2010→藤枝MYFC【期限付】)
  • 2011            FKヴェンツピルス(ラトビア)
  • 2012      FCパフタコール(ウズベキスタン)
  • 2012-2014   FKブハラ(ウズベキスタン)
  • 2014-2015 ストミール・オルシュティン(ポーランド)
  • 2016             ヴァンフォーレ甲府
  • 2017           Criacao
  • 2018~           南葛SC

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