東京23FC 「これまでとこれから」西村代表、土屋慶太監督、土屋征夫選手の言葉から

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先日、このブログの中で東京23FCが行った2019シーズン新体制発表会にまつわるコラムを書きました。

東京23FC新体制発表会 「東京23区内をホームタウンとするクラブだからこそ」

そこでは、今シーズンの関東リーグ1部全10チームの中にあって「23区内初のJリーグクラブへ!」と明確なスローガンを打ち出しているこのクラブの現在地やその将来像に対して、私自身が感じていることや、思っていることを書かせて頂きました。

東京都1部リーグでくすぶりかけていたチームが「Jリーグを目指す」という目標を掲げクラブ運営会社を設立したのが今から丁度10年前、2010年のこと。

そこから途中足踏みをするシーズンはあったものの、少しずつカテゴリーを上げて行き、現在所属する関東リーグ1部に「到着」したのが2013シーズン。

そして、今年6シーズン目となる関東リーグ1部を東京23FCは戦うわけです。

私自身はこのクラブにとって最大の強みと言える部分が実はこの「10年」という時間の経過にこそあると感じる一方で、それをこの先の10年に渡っても変わらず誇っていくためには、この東京23FCというサッカークラブが

「地域社会からさらに必要不可欠な存在として認められていくか」

に最優先すべきカギがあって、所属するカテゴリーや戦っているチームの内実はどうあれ、そうして地域や社会から認められ、このクラブを接することに生き甲斐を感じてくれる人を今の何十倍、何百倍、何千倍と作り出していくことにこそ、東京23FCの未来図がそこにあり、東京でそれを果たすことに大きな意味があると、そんな主旨で前出のコラムは書かせて頂きました。

今回は「23区内初のJリーグクラブへ!」という目標を掲げる東京23FCで、今現在実際に戦っていらっしゃる方々(西村剛敏代表、土屋慶太監督、土屋征夫選手)の言葉を紡いでいきながら、改めてこのクラブの現在地、そしてその先にあるものについて、考えていきたいと思います。

東京23FC 「これまでとこれから」西村代表、土屋慶太監督、土屋征夫選手の言葉から

サッカークラブはサグラダ・ファミリア

バルセロナの象徴とも言える「サグラダ・ファミリア」が建設を着工したのは1882年。

着工より130年余りの時間を経てもなお、建築家ガウディの描いたカトリック教会はその完成の日を見ていない。

130年という年月を「長い」とみるべきか「短い」とみるべきか、そこに従事している技師にしても親から子へと引き継ぎをされているかも知れないし、バルセロナから遠く離れた街や国に「大人になったらサグラダ・ファミリアを造りたい」と思っている子どもがいるのかも知れない。

いずれにせよ、ガウディという希代の建築家によって描かれた「完成形」を現実のものとするべく、これまでも、そしてこれからも大勢の人々がそこに携わっていくのだろう。

私は東京23FC西村剛敏代表のお話を伺いながら、ふとこんな風に感じていた。

「サッカークラブとはサグラダ・ファミリアと同じようなものであるのかも知れない」

江戸川区でしかあり得ない

『僕の基本スタンスは、僕には僕の役割があって、僕に無いものを補ってくれる人たちに入ってきてもらうという考えなんです』

西村代表が東京23FCの運営会社を設立した当初、東京都1部リーグに所属していたチームの活動場所は、現在とは異なり新横浜であり駒沢公園であった。

『きっかけは江戸陸です。あそこで大学サッカーを見たことがあって「ここは東京っぽいな」と思ったんです』

決して恵まれているとは言えない23区内のスタジアム事情の中から、ホームスタジアムとして江戸川区陸上競技場(江戸陸)を使用出来るようになったのは、チームが関東リーグ2部に昇格してから。

『もちろんそれより随分前の段階から、江戸陸をホームゲームで使用したいと各方面に働きかけていました。でも東京都1部リーグでは難しかったですね、関東リーグに昇格したことで周りの方々に我々の本気度を示すことが出来たのかも知れません』

サッカークラブにとってその活動拠点となる地域、ホームスタジアムと呼べる舞台を求めていくこと、それがつまりはそのクラブにとっての色となり顔にもなっていくように思うが、西村代表はこうも言いきる。

『我々のアイデンティティはあくまでも23区です。ただ(クラブの活動拠点としては)江戸川区でしかあり得ないですね。』

「僕に無いもの」

西村代表がクラブの運営会社を設立して以来、そのアイデンティティを具現化していく中、『僕に無いもの』としてこれまでに優秀な元Jリーガーをチームに招聘してきた。

『これまでも東京都1部でアマラオに監督をしてもらったり、ヨネさん(米山篤志監督2012-2015)に来てもらったのも、もし僕がプロサッカー選手とかJリーガーという経歴を持っていればそうはなっていなかった』

こうして日本トップクラスで活躍した経験を持つ指導者にチームの指揮を担わせたことで、それがクラブとしての歴史にも繋がっていく。

2018シーズンに加入し、大きく話題にもなった土屋征夫選手も、このクラブの歴史に携わったかつての指導者たちと同様、東京23FCの描く将来像の紡ぎ手として、非常に高い意識を持って取り組んでいる。

『このクラブがJリーグに昇格したとして、その時には今いる選手やスタッフはいないかも知れない。でも自分の気持ちの中にだけ、そこにかかわったことを刻み込むような、そんな強い気持ちをもって挑戦していかないと、物事を変えていくことは出来ない』

そして自身の将来について「ディフェンスコーチのスペシャリスト」と語る土屋選手は

『僕は「出来ないことはやらない」というタイプだから、自分が一番分かること、自分が一番与えられるものを突き詰めていきたいし、それを細かく細かく教えていきたい』

『僕に無いもの』を補完する役割をこれほど真摯に全うしうる選手だからこそ、土屋征夫選手が東京23FCに所属している最大の理由であるのかも知れない。

昨シーズンからチームの指揮を執る土屋慶太監督は、来る2019シーズンに向けてチームが与えられているトレーニング環境が、徐々に改善されてきていることを話して下さった。

『昨シーズンから練習開始時間が30分遅くなったことで、前後のミーティングや自主トレ時間にも余裕が生まれましたし、選手の睡眠時間も若干ですが長く取れるようになっていくはずです』

かつて東京都1部時代は、練習用グラウンドが取得出来ないと、駒沢公園の中でひたすらフィジカルトレーニングをする時もあったという。

その時代と比較すれば隔年の感であるが、こうした一つ一つの事柄が、10年という歴史の中で東京23FCに携わってきた人々の努力と挑戦があってこそ獲得出来たものであり、まさに大きな建物を建築するのと同じく「積みあがったもの」であるように思えてくる。

「完成」という概念を持たせられなくても

「サッカークラブとはサグラダ・ファミリアと同じようなものであるのかも知れない」

冒頭でこう書いた理由こそがここにある。

完成までに300年掛かるとも言われていたサグラダ・ファミリア。

1990年代以降は、観光都市バルセロナの目玉として拝観料収入が増え、建築技術の発展もあって、ガウディ没後100年でもある2026年に完成予定とも発表された。

とは言え、既に建築と同時に修復も行っているサグラダ・ファミリアから技師がその先もいなくなることはないだろう。

そしてこれは、サグラダ・ファミリアのように明確な「完成」という概念を持たせられないサッカークラブであっても同じことが言えるのではないだろうか。

東京23FCがいつまでも「技師」の関わることが出来る場所であり続けるためには、それを眺める人たちが絶えず、西村代表の言う『僕に無いもの』を補完する存在が挑戦をし続けることが必須であるのかも知れない。

後記

西村代表は新しいシーズンに向け、こんな話もして下さいました。

『今シーズンは江戸陸でのホームゲームが昨シーズンより1試合多い5試合開催することが出来ます。そこに昨年より20%多い観客を集めたい』

関東リーグにおいて、有料試合観客動員の定量目標を語ることが出来ているのは、恐らく東京23FCだけ。

そして、その目標に向けたあらゆる働きかけが、このクラブに新しい歴史を刻み、新たに集まってくる人々が、その歴史における次の担い手となっていくのかも知れません。

最後に、新体制発表会の場でインタビューに応じて下さった土屋慶太監督、並びに土屋征夫選手、別日に時間を作って下さった西村剛敏代表、ここに心よりお礼申し上げます。

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