私だって欧州サッカーをちょっとは見る!

私も中島翔哉が今シーズンのウルブスで活躍する姿、ちょっとだけ期待はしちゃっておりました。
あの黄金のユニフォームを纏って、あの見応えあるウルブスの中心選手として、ゴールにアシストにと大車輪で大暴れするSAMURAI BLUEの10番も見てみたかったです。
え~っと。
普段ほとんど欧州サッカーの話に触れないので、私がその辺の分野に相当疎いんじゃないか?と思われている方もいらっしゃるはずですが(何回か「おめえなんて欧州サッカー知りもしねえくせに」というリプライを頂いたことがあります)全然そんなことは無いんですよ!
だって、Jリーグが開催されていない期間のtotoって、プレミアリーグとブンデスリーガが対象になっているじゃないですか。
研究ですよ、研究。
じゃないと損しちゃいますからね。
とまあ、DAZNやJ-SPORTSでチョコチョコっと試合視聴するくらいじゃ、毎週のように「投資した分だけ赤を出す」状態から抜け出すことは出来ませんし、大体昨シーズンの柏レイソルはどうなんだ!全然想像通りの試合結果にならなかったじゃないか!勝つと思えば負けて、負けると思えばたまに勝ちやがって!
すみません。
totoの話を深掘りするのがテーマじゃありませんでした、今回のテーマは中島翔哉選手のアル・ドゥハイル(カタール)移籍についてです。
中島翔哉のカタール移籍にガッカリ

で、件の中島翔哉選手。
2017年8月にFC東京からポルティモネンセへ期限付き移籍し、29試合10ゴールという彼のキャリアを通じても最高の結果を出すことに成功し、2018/19シーズンを前に完全移籍を勝ち取るとともに、背番号10まで与えられ、着実にそのステージを上げていく姿を私たち日本のサッカーファンに対しても見せてくれておりました。
「中島翔哉がポルトガルの中堅クラブでプレーするのは勿体ない」
こんな風に日本のサッカーファンが思い始めた頃には、欧州市場の中でも「ショーヤ・ナカジマの次の居場所」についての情報が錯綜する状況へ。
そんな中で、冒頭に挙げたウルブス(ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC)なんかはその筆頭株で、昨シーズンのプレミア昇格シーズン以来非常に勢いのあるチームですし、私もついついワクワクしてしまっておったのです。

しかし!
そこへ来ての、中島翔哉 アル・ドゥハイル完全移籍ですよ。
「マジかよ!完全に想定外だし、ガッカリだわぁ~」
多分、こう思われた方は私だけでなかったはず。
『プレミアリーグとか、リーグアンとか、次の舞台がそういう「誇らしい場所」であると信じていたのに、何だよ中東って!カタールリーグなんて全然分からねえし!』
『日本代表で新たに10番を背負う次代のヒーロー第1候補が、イングランドとかフランスじゃなくてカタールでサッカーするのかよ!』
『アジア圏内でプレーしている選手を「海外組」って表現するのちょっと抵抗あるわ!』
『【10 中島翔哉(アル・ドゥハイル)】と【10 香川真司(マンチェスターU)】との間にある落差たるやもう…涙出てきちゃう!』
『翔哉なんだよ。結局はカネなのかよ!』
はい、あとまだ何かありますかー?
この際だから、思う存分ぶちまけちゃってくださいねー!
中島翔哉はアーティスト

「中島翔哉オワタ。。。」
多くの日本サッカーファンがきっとこんな風に、中島翔哉という1人の日本人サッカー選手の前途に何の希望も見いだせなくなっていたそんな時。
当の中島翔哉選手が自身のブログで、このアル・ドゥハイル完全移籍についての経緯について、コメントをしたわけです。
私はここに書かれているコメントを読んで、中島翔哉というサッカー選手に対してほんの少しでも「ガッカリだわぁ~」と思ってしまった自分を恥じました。
そんなに長い文章ではないので、未読の方には是非読んで頂きたい内容なのですが、私はこれを読んで中島翔哉がサッカー選手であると同時に1人のアーティストでもあったんだなと、そんな風に思うに至りました。
僕が移籍する時に大切にしていることは、
お金や名声、リーグのレベルやチームの知名度ではなく、
一般的な知名度やレベルを一度忘れて、
自分の目で見て、自分の中でそのチームの強さを決め、
自分のプレースタイルに合っているかどうかを見極めることです。もしかしたら甘いと言われるかもしれないですが、僕はこれから先ずっとあくまでもサッカーは楽しいスポーツとしてやっていきたいと思っていますし、
何よりも大切な家族と共に楽しい環境にいることが、自分の目指してるサッカーをすることに繋がると思います。中島翔哉オフィシャルブログより引用

実際、Jリーグでプレーしていた6シーズンのうち、主力として活躍出来たのって2014シーズン途中までのカターレ富山時代と、ポルティモネンセへ期限付きで出される前のシーズン、2017シーズンのFC東京時代くらいで、24歳にして代表キャップ数6って言うのも、遅咲きって言えば遅咲きですよ。
でもそんな中島翔哉が、運よくポルティモネンセではフィットした。
そして、W杯ロシア大会後の日本代表チームでもポルティモネンセでの勢いをそのままに、見応えある攻撃の軸として期待以上の活躍を見せてくれた。
ただ、本人はその活躍が「たまたま自分のスタイルが発揮しやすいチーム、環境」にあったことをちゃんと自覚していたのでしょう。
そして、自分の力が発揮出来ない、あるいは発揮させてもらえない環境に身を置くことは、いちアーティストとして耐えられないことであることも、Jリーグで不遇の時期を過ごした経験から良く理解出来ているのかも知れません。
つまり中島翔哉選手は、自らの力で「自分がプレーしたいと思える環境・アーティストとして生き抜ける環境」を選ぶ権利を勝ち取り、それを行使したに過ぎない。
サッカー選手の可能性のカタチがこんなところにもあったのか

昨年10月に行われたウルグアイ代表戦。この試合とにかく楽しそうだった中島翔哉選手。
ゴッホがアルルに辿り着き、三蔵法師が天竺を目指し、猫ひろしがカンボジア国籍を取得したように、中島翔哉はアル・ドゥハイルにプレーの場を求めた。
私には、この移籍がそんな風に思えるようになってきました。
そして、Jリーグが誕生してから四半世紀の後に、中島翔哉のような道を選択出来る日本人サッカー選手が出現したことは、実は歓迎すべきことであるのかも知れないとすら思えてきたのです。
「次のW杯開催地を知る為」とか「中東のサッカー事情が日本でも話題になる」とか「ACLでJクラブと対戦の可能性」とか、そんなことはどうでも良くて、誰しもが望んでいた道とは異なる道を堂々と歩み、それも日本人選手の歴代最高移籍額とも言われるビッグディールで、自分にとって最高の環境を引き寄せた中島翔哉という1人の男が
「サッカー選手の可能性のカタチがこんなところにもあったのか」
と我々日本サッカーファンの示してくれたようで、少し前まではすっかり残念がっていた私を違う意味でワクワクさせてしまっているのです。
多分カタールリーグがDAZNやCS放送で視聴できるようにはならないと思うので、中島翔哉よ、アーティスティックなプレーをハイライト動画で見せてもらうよ!