オシムを連れてきた男

松本山雅ファン・サポーターで一杯になった東金アリーナ
「オシムを連れてきた男」
VONDS市原FCの祖母井秀隆社長が日本サッカー界に対して果たしてきた数々の功績の中でも、ジェフユナイテッド市原GM時代にイビチャ・オシム氏を日本サッカー界へ招聘したというこの1点が特に燦然と輝くものとして受け止められているのも無理の無い話ではありますが、他にも祖母井社長の経歴を見ていくと、日本サッカー界にあって他に類を見ないほど幅広い経験をお持ちであることを知ることが出来ます。
読売クラブで半年間プレーした後にドイツへ渡り、そこで選手としてもプレー経験を持ち、引退後はそのままドイツに留まりコーチングを長く学び、帰国後は母校である大阪体育大学で指導者として活躍。ジェフユナイテッド市原GM時代には前述したようにオシム監督をはじめ数々の優れたサッカー指導者を欧州から招聘、日本人としては初めてフランスリーグアンでGMも経験、その後は京都サンガFCで3シーズンGMを務めたのち、クラブの育成や普及部門でも活躍。

日本サッカー界における王道どころか、およそ1人のサッカーマンの経歴とは思えないような経験をもつ方が、地域リーグのいち市民クラブの社長(兼GM)をされるという事実が意外過ぎて、昨年の今頃、関東リーグ開幕前イベントの際に初めて祖母井社長にお会いしお話した時は、間違いなく変な汗が身体中の汗腺からにじみ出ていた私でしたが、その後は関東リーグの試合会場などでお会いする度に、その朴訥(ぼくとつ)とされたお人柄から、いつしか誠に僭越ではありながらも「ウバさん」などと生意気に発している自分に気がつき、ハッとさせられるのです。
そんな祖母井秀隆VONDS市原FC社長に新しいシーズンに向けたお話を伺おうと、VONDS市原のテストマッチ「対松本山雅戦」が行われた東金市・東金アリーナまで行って参りました。
今回は、お話を伺いながら改めて気がつかされたこと、それは地域リーグだけではなく、日本サッカー、さらに言えば日本のスポーツ界が抱える根本的価値観にまで話は及んでしまいそうになるのですが、少なくとも私が理解したこと(私でも理解出来たことと言った方がいいか?)について、まとめてみたいと思います。
松本山雅 VS VONDS市原 in 東金アリーナ

さすがJ1クラブ 取材者の人数も多い
『オシム監督の時は1シーズンに130試合やってたんですよ』
祖母井社長の話によると、オシム監督がジェフユナイテッド市原を率いていた時代、チーム内紅白戦を行うことはほとんど無かったそうだ。
その理由はこんなところにあったそうだ。
「特徴の分からない相手と試合をするべき」
そんなオシム時代のジェフを踏襲する意味も含んでいるのか、関東リーグ1部を戦うVONDS市原が、シーズンの始まったばかりのこの時期から、週末ごとに対外トレーニングマッチを行うのは異例らしい。
しかもこの日の対戦相手は、2019シーズンよりJ1リーグに復帰する松本山雅。その翌週以降についても、松本山雅と同じように2019シーズンよりKリーグ(韓国プロリーグ)1部へ返り咲いた城南(ソンナム)、J3ザスパクサツ群馬とトレーニングマッチが予定され、その後もJクラブを含めた対戦相手との手合わせが4月のリーグ開幕前まで続くスケジュールとなっている。
この日の東金アリーナには、松本からサポーターバスもチャーターされ、J1へ再び挑戦する反町監督の松本山雅を見ようと、スタンドに入りきれないほどの山雅ファン・サポーターが集結した。
ファンやサポーターだけではない、さすがJの人気クラブだけあって、そのメディアの数も地域リーグのそれとは比較にならないほど。
ただ、私自身は最初からこのテストマッチを一眼レフで撮影するつもりもなく(撮ったところで公開制限されるのでは私の「広く見て欲しい」という目的に合わないから)ピッチサイドに祖母井社長を見つけるやスタンドから降りて行き、そこから試合終了に至るまでの間、お話を伺いながら並んで試合観戦をするという非常に贅沢な時間を過ごさせて頂くことになった。
何故あんなに重要な大会がトーナメント方式で行われている?

『全社なんかは5日連戦でしょ?あれじゃ少年サッカーの日程ですよ』
私が「就任1年目の昨シーズンを経て思われていること」というザックリとした問いかけをすると、祖母井社長の口をついて出たのは「社会人サッカー大会」では常識になってしまっている「連戦開催」についての苦言だった。
この件については、昨年の全社で松江シティ田中孝司監督も「現場はその条件でやるだけだが、もっと周りで議論して欲しい」といった主旨のコメントを繰り返しされていたが、私はこの田中監督の言葉の意図を「選手のコンディション面」だけに比重が置かれたものであると解釈していた。
こうした「連戦開催」が社会人サッカー選手の実情を考慮したものであるのも明らかだが(休暇日数がミニマムで済む)一方で選手たちのアスリートとしての在り方がないがしろにされてしまっている。
実際のところ、私自身はこの両論のどちらに寄るという判断をすることが出来ずにいたのだが、この後に続いた祖母井社長の言葉が私に新たな判断基準を与えてくれた。
『だいたい、何故あんなに重要な大会がトーナメント方式で行われているのか、そこから変えていかなくちゃいけない』
トーナメントはロシアンルーレット

祖母井秀隆社長
祖母井社長はドイツでコーチングを学び帰国した後、母校である大体大サッカー部のセカンドチーム「体大蹴鞠団(創設時:北摂蹴鞠団)」で10年近い指導者生活を送った。
ちなみに、体大蹴鞠団は社会人リーグに参戦した大学サッカー部傘下チームの第1号で、所属していた関西社会人サッカーリーグを勝ち抜き、地域決勝(現在の地域CL)に進出しJFL昇格権を獲得した実績も持っている(大学側が予算面の理由でJFL昇格を辞退。その後チームは佐川急便大阪として再編、約10年後の2001年にJFLに昇格)
若き祖母井社長が母校のセカンドチームを社会人リーグに参戦させた当時、もちろんJリーグはまだ存在していなかったわけだが、それから30年以上の時が経過し、日本サッカー界がJリーグの誕生とともにドラスティックな変革を遂げてきたように見えながら、こと社会人サッカーの姿、全社や地域CLといった「JFL昇格」に関わる重要な大会の姿は、変革どころかほとんど姿を変えないままに存在しているのだ。
『トーナメントってロシアンルーレットみたいなものなのに、1回負けると選手も監督も社長も、そしてその家族もみんな不幸せになってしまう。これは地域リーグだけじゃなくてJリーグも変わりません。私が京都でGMをしていた時、大木さん(大木武 現FC岐阜監督)が監督で2度リーグ3位になったけど昇格プレーオフ(トーナメント)で2度とも負けてしまった』
そしてこう続く
『日本では「強くなれば環境が変わる」と言って強くなってから投資をするのを良しとする傾向がありますが、それはトーナメント方式大会があらゆるカテゴリーで行われている実態にも現れているように、日本社会が「失敗してからのやり直し」の利きにくい社会であるからじゃないでしょうか、ロシアンルーレットですからリスクが高すぎて「環境を変えるための投資」も出来ない』
欧州ではカップ戦(トーナメント戦)はお祭り

松本山雅の備品運搬トラック。 奥に見えるのは選手が出てくるのを待つ大勢の山雅サポーター
JFL昇格の懸かる最終決戦、地域CLに関してはグループラウンド、決勝ラウンドともに4チームの総当り戦で行われてはいるものの、それでも短期決戦であり「勝ち抜くのには実力ではなく運が必要」という言葉も良く聞かれる。
もちろん、どんな方式で大会を行ったところで「本当に強いチーム、勝ち上がるべきチームが勝利する」という仕組みを作るのは不可能だしそんなものは理想論だと斬り捨てられてしまう場合もあるだろう。
しかし、現状として「昇格における最も狭き門」になっている「地域リーグ→JFL」という道筋が、そこを目指すチームの実情に必ずしもフィットしなくなってきているのも事実であろう。
『ヨーロッパのサッカーシーンでカップ戦(トーナメント戦)はお祭りなんです。だからジャイアントキリングが楽しめる』
確かに日本サッカーを見ても、天皇杯でJ1クラブが格下に敗れたとして、それが即そのクラブの「格」に影響を及ぼすようなことはない。
クラブの「格」を決めるのはあくまでも長いシーズンをかけて行われるリーグ戦の戦績であって、一発勝負のトーナメント戦の結果で全てを失うような世界であれば、あまりに刹那的な光景が繰り返されることになってしまう。
そう思うと、地域リーグからJFLへ昇格するという現在の仕組みそのものが、日本サッカー界からあまりに多くのものを奪ってしまっているようにも感じてきてしまう。
スポンサードする企業の熱意、行政の協力体制、優れた指導者、そして勿論将来性の高かった選手や、ファン・サポーターの心情に至るまで、それらがたった1本のPK失敗で水の泡と化してしまう可能性すら孕んでいるのだ。
Jリーグを下支えするアンダーカテゴリーのサッカーシーンには、根本的な仕組みの変革、リーグそのものの再編、実はそうした大改革が必要であるのかも知れない。
後記
フランス1部でクラブGMも経験を持つ方が、実は地域決勝(現地域CL)出場チームの指揮を執ったこともある。
恐らくこれほど幅広いサッカーマンとしての経験を持っておられる方は、祖母井さんを置いて日本サッカー界に他にはおられないでしょう。
そして、その経験の幅の広さがあるからこそ、その言葉が持つ意味、描かれる未来図、それを正確に理解しようと思っては「いけない」とすら感じてしまいます。
ただそれは、私自身が変に卑屈になっているのではなく、その言葉の中から自分の主張を深化させるヒントを見つけることが出来れば良しとしようといった、先人の知恵を拝借する坊主の気持ちに近いものであるようにも思います。
いずれにせよ、今このタイミングで関東リーグという私にとって最も身近な地域リーグに祖母井社長がおられるということ、この事実を大切にしつつ、今後もVONDS市原FC 祖母井秀隆社長の言葉を紡いでいく作業は継続していきたいと考えています。