前回に続いてあるサッカー選手へのインタビューを中心とした記事を書かせて頂きます。
山口俊輔選手は現在30歳。
彼がFC KOREAに在籍していた2018シーズンに知り合いました。
東南アジアやニュージーランドでのプレー経験もあり、日本人選手でありながらFC KOREAでプレーしたという珍しい経歴の持ち主でもある山口選手が、2019シーズンは埼玉県リーグでプレーします。
今回はその2回目。山口選手がFC KOREAでのプレーを決めた理由や、プレーしながら感じていたことについて書いていきます。
前回記事はコチラから↓
FC KOREAへの移籍

2017シーズンもタイを中心とした東南アジアでのプレーを希望していた山口選手。
「東南アジアで2シーズンプレーしたがなかなか契約条件を上げることが出来なかったので3シーズン目は条件の高いチームと契約を結びたかった」
それまでに所属していたチームからのステップアップを考えていたものの、思うようなチームとは契約を結ぶことが出来なかった。
「一緒にトライアルを受けていた選手の中に在日コリアンの選手がいて、彼がFC KOREA出身の選手だったんです」
山口選手はそこでFC KOREAというチームに興味を持ち、このチームが在日コリアンのサッカーチームでありながらも2016シーズンから日本人選手にも門戸を開いていることを知る。
「僕自身、県リーグではプレーしたことはあっても地域リーグ(当時FC KOREAは関東2部)でやったことは無かったし、在日コリアンの選手の中でやるっていうのにも興味があって、そういう環境でのプレーに魅力を感じたんです」

当時のFC KOREAには30人ほどの選手が在籍し、山口選手はセミプロ契約でFC KOREAへ移籍することになった。
「チームでセミプロ契約をしていた選手は僕を含めて3人いました。月に4万円ほどの手当てでしたが日本の地域リーグでお金を貰いながらプレー出来るとは思っていなかった」
FC KOREAの前身はかつて「日本最強」とも言われていた在日朝鮮蹴球団であり、アマチュアしか存在しなかった日本サッカー界において、彼らは純然たるプロサッカーチームとして存在していた。
そんなプロサッカーチームの系譜を継ぐFC KOREAで日本人選手がセミプロ契約をしていたという事実も非常に興味深いところではある。
在日コリアンのサッカーから感じた「闘争心」

「大学の頃に朝鮮大学とは良く試合をしていたので、その時の堅いイメージがすごくあったんですけど、実際に一緒にやってみるとみんなフランクでした。ただ、在日コリアン選手の多くは朝鮮学校で育ってきた選手たちでしたし、そこに日本人選手や日本人指導者が入っていっているので、全く壁が無かったとは言えませんが、僕自信はそれほど気になりませんでした」
山口選手はとても人懐っこい印象を与える青年で、だからこそ「東南アジアに自分は合っていました」と話すくらい新しい環境への順応性も高い選手なのだろうが、日本サッカー界にありながら在日コリアンによるチームというFC KOREAの特性にもすぐに馴染むことが出来たのであろう。
「やっぱり闘争心は凄いなとは感じていました。これは試合に出たいからですけど、練習でもお互いにバチバチいきますし、なかなか社会人だとそこまで真剣にやり合うチームも無いんじゃないかと」
関東リーグというステージを戦うチームだからこそと言える部分もあるのだろうが、FC KOREAのハードな練習風景は山口選手にとって印象深かったようだ。
「彼らは練習中から常に球際は厳しくいくんですよ。でもそれが彼らにとっては当たり前で、練習中にそれがきっかけで言い合いが起きたりもしますけど、練習が終わればイザコザが残るようなことはなくて、その辺は割り切ってやってるんだなと感じていました」

関東リーグを長く見続けている方から以前こんな話を聞いたことがある。
「ここ数年の試合ではFC KOREA対エスペランサが最高に面白かった」
エスペランサSCはアルゼンチン代表選手の経歴も持つオルテガ監督がカリスマとして存在する異色クラブで、ほとんどの選手が日本人ではあるものの、アルゼンチンサッカーの血が沸々と感じられるパッションに満ちたチーム。
その試合を見た人の中には「ダーティ」と表現される方も少なくないが、彼らの「闘争心」こそがサッカーに最も必要な要素なのだと、私にとっては自分のサッカー観に大きな影響を与えてくれたチームでもある。
山口選手がFC KOREAから「闘争心」を感じていたのだとすれば、日本サッカーではなかなか感じることの出来ない激しさを帯びたスピリットが、アルゼンチンや朝鮮半島に息づいてきたサッカー文化から垣間見られ、しかも両者の対戦が「面白かった」と評されたこと自体が「非常に面白い」現象でもあるだろう。
「普通の社会人チーム」を選ばなかったからの出会い

しかし、そんな「闘争心」に溢れたFC KOREAにとって、2017シーズンはチームの大きな転換期になってしまうシーズンとなった。
前年の2016シーズンには関東1部を戦っていたチームが、2017シーズンに関東2部で下位に終わり都県リーグとの入替戦の末、東京都リーグへ降格してしまったのだ。
「僕自身は怪我をしてしまって入替戦に出場出来ませんでしたし、そういう意味ではチームにも申し訳ない気持ちが大きかった。だから2018シーズンの開幕はFC KOREAで迎えようと決めていました」
ただし、この降格によって多くの選手たちがチームを去っていった。
「東京都1部を戦うにあたってカン・ホ(2017シーズン限りで現役引退した主将)がいないって言うのは正直不安でした。一緒にプレーした選手の中で彼のようなキャプテンシーのある選手は出会ったことがなかったです。彼とは同い年でしたけどあの雰囲気を作り出せるのも1つの才能だし、こいつがキャプテンで良かったなって思っていたので」
こうした出会いも山口選手が「普通の社会人チーム」ではないプレー環境を求めてきたからこそ生まれたものなのだろう。
アスリートは「叶わないかもしれない夢」に向き合う

「30歳までは海外を中心にプレーするということは決めていました。
東南アジアで2シーズン過ごし、FC KOREAでも日本人だけではない環境を体験できた、そして2018シーズンの途中に移籍したニュージーランドのチームではアルバイトしならのプレーでしたけど、オセアニアのサッカー環境を知ることが出来ました。
僕はやっぱりサッカーが好きですし、出来るだけワクワク出来るような環境に身を置きたいと思うようになってきています。そういう意味でこの5年間で得た経験を2019シーズンはアヴェントゥーラ川口でプレーすることによって還元したいと思っていますし、新しくチームメートになる選手の中にはJリーグを経験した選手もいるので、そこで得るものもあるだろうなと凄く楽しみにしていす」
「サッカーだけで生活したかった」と考えていた選手が、今はクラブがさらに大きくなっていく為に必要な「サッカー以外のこと」への貢献も考えるようになった。

「クラブの代表もチームのカテゴリーを上げていきたいという思いを強く持っていますし、川口市内で開催するクラブイベントやホームゲームに沢山の観客を集めるのにはどうすればいいかとか、そういうことについてもやりがいがありそうだし、力添えしたいなと思っています」
FC KOREAへの移籍を決めた時、山口選手はこんな「野望」を持っていたという。
「在日コリアンを主体としたサッカーチームが、地域リーグで勝って地域チャンピオンズリーグにも勝ってJFLに昇格したとしたら、凄い話題になりますよね?」
この言葉を聞いて、山口選手のこれまでのサッカー人生が常にこうした「叶わないかもしれない夢」に対して正直に向き合う作業の連続であったのだろうと思うことが出来た。
そして、その作業を繰り返してきた者だからこそ自らの歩みを何の外連味(けれんみ)もなく話すことが出来るのだろう。
まさにこれこそがアスリートのアスリートたらしめる素地なのかも知れない。
執筆後記

2度に渡って、アヴェントゥーラ川口の山口俊輔選手インタビュー記事をお送りしてきました。
このカテゴリーでプレーしている選手たちがどんな理由で東南アジアや東欧などの海外にプレーの場を求めていくのか、そこにはアスリートとして自分自身を追い詰めより高みを目指す若者の姿があったのと同時に、そんな彼らにとって日本のサッカー環境が決して恵まれたものとして映ってはいないという実情も改めて感じることが出来ました。
また、山口選手の話を聞いていると、日本サッカーが間違いなくアジアサッカーという枠組みの中に存在していることも強く感じさせられました。
東南アジアの多くのリーグが、日本同様に春秋制シーズンを採用していることで、互いのサッカー文化が交わる機会をちゃんと作れている、これは当たり前のようで、非常に大事なポイントであるようにも思います。
選手たちだけでなく、アジアサッカーが交わることでマーケットが創出され、そこに関わる人を増やして行く、そんな気づきもありました。
山口俊輔選手は今シーズン、埼玉県サッカーリーグ1部でプレーします。
この数年間に渡る挑戦の意味が、もしかしたら2019シーズンに何らかの形として現れるのかも知れない。
引き続き山口選手の活躍する姿を追って行きたいと思っています。