美味しい食パンを焼くパン屋の話

例えば自分の暮らしている町内にお気に入りのパン屋があったとする。
そのパン屋は家族経営の小さな店だけど、なんと言っても食パンが絶品で、毎朝そこの食パンを食べることが出来るように、あなたは週に2度、6枚切りを一斤買うのが習慣になっている。
「食パンだけはあの店でどうしても買いたい」
あなたと同じように、その食パンに魅了されている人は町内にも多く、出勤前に狭い店の前を通るといつも客でごった返し、仕事が早く終わった日に店に寄ってみても、棚の上にはもうほとんどパンが残っていない。
しかし、そんなパン屋がある日、たまたま「ヒルナンデス」の取材を受けることになった。
放送日の翌日からは、連日早朝から店の前に長蛇の行列が出来、その評判を聞きつけ、今度は「王様のブランチ」と「ZIP!」と「めざましテレビ」が取材にやってきた。
以前は休みの朝に少し早起きすれば確実に手に入れることが出来ていた食パンも、町の外からやってくる大勢の客が作る大行列を前に、手に入れることが出来なくなってしまってはいたが、それでもあなたはそんな状態が少し誇らしくもあった。
「俺のお気に入りの食パンがどんどん有名になっていく」

ただ、そんな日々はある日突然終わりを告げることになる。
家族経営の小さなパン屋は、いつしか人を雇うようになり、店の隣にあった空き地にも工房と店舗を広げ、遠方からやってくる客の為に駐車場を整備するまでになっていた。
一手にパン作りを担っていたおじさんはちょっとした有名人になっていて、以前のようにパン作りだけに全てを注ぐような生活が出来なくなり、週に何度かは工房を空け、知り合いのパン職人にパン作りを任せるようになっていた。
そう言えば、久しぶりにたまたま手に入れることの出来た食パンを口にした時、あなたはこんな風に思っていたのだ。
「あれ?こんな味だったっけ」
だからそれ以来、あなたの心の中で、この「小さかった」パン屋の食パンを毎朝食べることが、それほど重要ではなくなっていたし、いつしか食パンを近くのスーパーで買うようになっていることに、何の感情も生まれなくなっていた。
だから、その「小さかった」パン屋が、破産して店をたたんでしまったことも、あなたはしばらくの間気がつかなかった。

「絶品の食パンを毎朝食べる日常」のことなどすっかり忘れてしまった頃、久しぶりに帰って来た妹のこんな一言で、あなたはあの最高に美味しい食パンを二度と食べることが出来なくなっていることに改めて気づかされ、急に切ない気持ちになっていく。
「え?どうして?なんで潰れちゃったの?あんなに美味しくてみんな大好きなパン屋さんだったのに!」
もちろん、店が潰れたのはあなたの責任ではない。
でも、あなたは一時はこう思っていたのだ。
「俺のお気に入りの食パンがどんどん有名になっていく」
もう一度書こう。店が潰れたのはあなたの責任ではない。さらに言えば、店が潰れたのはパン職人のおじさんの責任でもないのかも知れない。
だけど、もうあなたがあの絶品の食パンを食べることはないし、この町で暮らす人たちの生活の中に、あの美味しい食パンを焼く小さなパン屋がある日常も戻ってこないことだけは動かしようのない事実なのだ。
そしてこんなことは、誰しもが「つまらない」と感じながらも、誰しもが「陥って」しまいがちな良くある話でもあるのだ。
「バルサより圧倒的にそのチームが好きな理由」を見つける意義

美味しい食パンを焼く小さなパン屋の話をそのままサッカーの話へとつなげるのには多少の無理があるのは承知。
でも、シーズンの終盤になって「J3昇格!」「J2昇格!!」と俄かに騒ぎ立てられているチームの姿に、こうした「つまらなく」て「陥ってしまいがち」なストーリーがシンクロしていくようにも思えてきませんか?
だって、ヴァンラーレ八戸にしたってですよ、むしろココからが大変なわけです。
仕組み上、もうJFLに降格することはないんだから、上がったはいいが梯子外されているようなもの。
少なくとも今シーズンホームゲームに集まっていた観客数では年を追うごとにクラブの経営は難しくなっていくだろうし、それこそ「勝つ」ことをチームのメインコンテンツとするのだって、相手の戦力レベルが上がれば簡単なことではない。
ただ、逆に言えば「まだ出来上がっていない」からこそ、そこに将来性があるとも言える。
何故ヴァンラーレ八戸というチームが好きなのか、何故応援しているのか、何故それを楽しく感じているのか。
それを5年とか10年とか、じっくり考えて、じっくり味わって、じっくり見つけ、更にそれをしっかりと「言語化」していく。J3昇格チームに関しては、そういうことが出来るギリギリのフェーズにあるんじゃないだろうかと思うのですよ。何しろもう足をJリーグに突っ込んじゃってますからね。

「これからはJリーグクラブって言える!」
そんなちっぽけな価値なんて、こう言われたらお終いですから。
「は?つってもJ3だろ?」
(こういうの書くともの凄く怒る人が出てくると思うんで一応書いときますけど、「やったJリーグ王者だ!」でも「は?ACLグループリーグ敗退だろ?」であって、これを突き詰めていくとラスボスとして「マンC」とか「バルサ」とかが出てくるわけよ。バルサより大好きだろ!ヴァンラーレが!!!!)
で、ですよ。
こういう「勝った負けた」に影響を受けないような「チームの存在価値」「バルサより圧倒的にそのチームが好きな理由」を見つけけ、そこに最大の価値をおくこと、言葉にして共感者を増やしていくこと。こうしたちょっと面倒な作業が、これからの日本サッカーにはもの凄く重要で、それを経ることが出来なかったチームは、勝てないことで観客が激減したり、サポーターが「謝れ!」とかって怒り出したり、そういうのを含めてず~っと不安定なクラブ経営を余儀なくされるんじゃないかとも思うんですな。
そいでもって人は気が緩むとすぐに「俺のお気に入りの食パンがどんどん有名になっていく」になりがちですから。
言葉では易しいですけど、なかなかの課題ですよ。
ただこれは後進クラブの方が、状況的には有利だとも言える。
だって、Jリーグという舞台に上がってくるまでに少なからず時間が必要で、世間から押しつけられた「価値」にチームも塗(まみ)れていないから。
これがオリジナル10クラブとかだとね、なにか厄介な事件でも起きない限り難しい。気がついたらJリーグにいたようなチームに、そんなことを考える必要性はなかったようなもんだし。

だから「チームの存在価値」についてだって、オリジナル10や今現在J1リーグに所属しているようなチームをお手本にしなくてもいい。
彼らから必要なものを吸収出来るなんて考える必要もない。
いや、むしろ「オリジナル10クラブがお手本にする」くらいのモノだって見つけられると思うんですよ。
だけどですね、繰り返しますが、人って本当に大切なことを見失ってしまうもんです。
「食パンだけはあの店でどうしても買いたい」
で良かったのに
「俺のお気に入りの食パンがどんどん有名になっていく」
になっちゃう。
J3昇格が決まったこのタイミングは、単にチームが上のカテゴリーへと戦いの場を移すって意味だけでなく、「食パンだけはあの店でどうしても買いたい」と思う理由をとことん突き詰めて考える時期、そういう意味を持っていてもいいんじゃないか。
そう思うわけです。
(今回の画像は「パン屋」無料画像と夏に訪れた八戸七夕祭りの様子です)