三重・東員まで「本多ヴィア勝」に会いに行き、サッカークラブ「最強の哲学」を思いつく。

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松江から名古屋へ、そして三重・東員へ

ガタゴト揺れる「特急やくも」に乗ってまで行った地域CL1次ラウンド松江会場での最終日を蹴って、三重県桑名に隣接する東員町で行われるサッカーを観に行こうと思った最初のきっかけは「本多ヴィア勝」にあった。

「本多ヴィア勝」と書いたところで、この国の99%以上の人が知らないはずなので簡単に説明をすると、この「本多ヴィア勝」はJFLで戦うヴィアティン三重のサポーターであり、ライオン人間なのだ。

瞬きひとつしない三白眼からは、地元伊勢の優将「本多忠勝」になぞらえてつけられた名前に相応しく天下無双な佇まいも感じさせるが、私にはそんな彼の一挙手一投足が全て「ドツボ」だった。

SNSなどに動画や画像情報として流れてくる「本多ヴィア勝」は、聞き取りにくい籠った声でヴィアティンの試合への集客を呼びかけ、金の扇を振りながら踊り、しかしながら、あの三白眼は常にただ一点を見つめている。

なんて可笑しくて、なんて愛おしいんだろう!

どうしても彼に逢いたくなった私は、もちろん連絡先も知らないのでTwitterのDMでヴィア勝とコンタクトを取り

「とにかくそちらへ行ってあなたの写真を撮りまくりたい。そして写真集を作りたい!」

という狂人めいた依頼をしていた。

当然ながらこれに警戒したヴィア勝は即答を避けたが、何度かのやり取りの末、それに快く応じる旨の返答を得るに至ったのだ。

「本多ヴィア勝」写真集作成の提案

私のように「本多ヴィア勝」に魅せられ、彼がSNSで公開してきた動画を見る度にお腹が痛くなるほど笑ってしまう人だってざっと50人くらいはいるだろう。そんな人たちの為にも、ヴィア勝をちゃんと「紙媒体」に残しておくべきなんじゃないか。

「寺で剣稽古をするヴィア勝」「東員のコスモス畑を背にしたヴィア勝」「スタグルに並ぶヴィア勝」「トイレへ急ぐヴィア勝」「犬の散歩をするヴィア勝」「ヴィア勝のカードライブ」

これらが、これまで目にしてきたサッカースタジアムでのヴィア勝の姿だけでは飽き足らず、私が彼に依頼した「シーン」の一部である。

中でも特に「犬の散歩をするヴィア勝」については、犬という動物も絡んでくるだけに、難易度の高いリクエストであることは承知していたが、何としても押さえておきたい「シーン」でもあった。

決行日は今季のホーム最終戦というギリギリの日程。これを逃せば次の機会は来シーズン開幕以降まで待たなくてはいけなくなる。

「ヴィア勝を年越し案件にはしたくない!」

そんな焦燥感にかられながらも、私は松江に別れを告げ「ヴィア勝との遭遇」に供え名古屋へ前日入りをするのであった。

この「祭り」を撮って帰りたい!

しかしながら、私は試合会場となった東員町スポーツ公園陸上競技場で、この旅が単に「ヴィア勝との遭遇」だけで満足するのにはあまりに勿体ないという事実に早々に気がついてしまう。

ヴィア勝は撮りたい。ただ「スタジアムの外」にいるヴィア勝の姿を撮っているのではダメだ。

この何だか分からないけど大勢の人たちがみんな笑顔でいるこの空間。田畑に囲まれた東員の駅を降りた時には想像すら出来なかったこの「祭り」の姿。

おいおいぉぃ!ギャップありすぎだぜ!!このムード。

私はヴィアティン三重コールリーダーのRYUJIくんに挨拶し、ヴィア勝とその周辺の方々とも立ち話させてもらいながら、彼らにこう言っていた。

『今日はこの「祭り」の姿を撮って帰りたい。ヴィア勝写真集作戦について考えるのはその後にする』

この概念、この哲学、最強じゃね?

こんなことを書くと、当のヴィアティンサポーターの方々からも反感を買われてしまうかも知れないが、もうあの空間、東員町スポーツ公園陸上競技場で私が感じたあのムードの中心にいるのは、チームでも選手たちでもない。そう私は感じていた。

そこにどんな選手がいて、どんな戦いをするチームがあって、戦っている舞台がどこであろうとも、そんなのは本当に大した要素ではなくて、あの「道を歩いて移動している人の姿」すらほとんど見ることが出来ない環境に、オレンジ色の服を着た人たちが集まって、興奮しながら楽しそうにしている、あの「非日常性」。

サインを求められ、その姿が描かれたTシャツまで販売されているRYUJIくんというコールリーダーが「狂言回し」となって、そこに来る全ての人を次々と「主役」にしていく様。

JFLが何たるか、J3に昇格するということが何たるかを理解出来ようもないちびっ子たちは勿論、スタグルでから揚げを売っているおばちゃんも、クラブ側の運営ボランティアのお姉さんたちも、久しぶりにそこへ来たヴィアティンファンの親子も、ハーフタイムにデモンストレーションをするヴィアティン新体操チームの子どもたちも、そして遠く八戸からやってきた対戦相手ヴァンラーレ八戸のサポーターたちまでも、誰一人「あぶれて」しまうことなく舞台に上がり、「楽しいサッカースタジアム」を完成させるべく「メインキャスト」になっている。

繰り返すが、チームや選手たちはこの舞台を完成させる上で大した要素にはなっていない。

もちろん最初にこのチームが誕生した時には、その主体がクラブ側にあったのは間違いのない話だろう。

ただ、、Jリーグに所属するようなチームが作っている「スタジアムの風景」なんて「サービスをする側、受ける側」みたいな潜在意識がどこにもあって、だからこそ

「説明しろ!」「謝れ!」

とか言っちゃうファン・サポーターが出てきちゃうんだろうし、そんな潜在意識の下には

「チームや選手たちは舞台を完成させるために大した要素になってない」

「そこに来る全ての人がメインキャスト」

と書いたところで、イマイチ伝わらないんだろうなとも思うし

「そもそもそんな世界を求めてもいねえよ!」

と言われてもしまうんだろうが、「チームが大した要素」になっていないということは、つまりそのチームが勝とうが負けようが、昇格しようが降格しようが、「楽しいサッカースタジアム」を完成させることが出来る、あるいは完成を目指すことが出来るということを意味しているわけで

「この概念、この哲学、最強じゃね?」

と思ってもしまうのだ。

サッカーチームがどうあればいいのか、真剣に考えようぜえ~

とは言うものの、この日スタジアムに集まった「メインキャスト」の数は1200人程度。

あの自販機が2台しか設置されていない東員駅、スタジアムまでの道中にコンビニのひとつもないあの環境にあって、一か所に1000人以上の人が集まっていれば、それでも十分に「異常現象」だと言えるだろう。

ただし、既にチームはJFLを戦うまでになっていて、そのレベルでの運営をこれから先もずっと続けていくためには、少なくとも「メインキャスト」でスタジアムが常に満員(東員の収容人数は2000人芝生席も満員になれば3000人はくだらないはず)になるくらいじゃないと厳しいのは事実。

ここで少し視点をズラしてみよう。

JFL、Jリーグを戦いの場とするのではなく、例えばヴィアティンがまた地域リーグで戦うことになれば、東員に1500人くらいがコンスタンスに集まってれば全然OKだ。

ただ、そうした道を選択するかどうかについてだけでは、クラブ経営者の胸先三寸。

大抵の場合は、そんな判断をした時点でおカネも集められなくなるし、何よりファン・サポーターが許してくれないって思うから、そんな道は選択肢の一つにすらなりようもない。

「メインキャスト」の総意が「どんなカテゴリーだって俺たち舞台は作れるよ!」になっていれば「じゃあこっちの道も考えてみるか」とクラブ経営者も思いなおすのかも知れないが、ごく普通に、ごく当たり前に考えれば

「JFLや!そんで次はJ3や!ゆくゆくは浦和レッズがこの町に来るんやで!」

って言っていた方が「メインキャスト」にも喜んで貰えるんじゃないかとクラブ経営者だって思ってしまうはずなのだ。

でも、少なくとも私は、ヴィアティン三重のホームゲームが行われていた東員から、完成しているかどうかは別にしても「そこにいる人が全員主役」になっている「舞台」の存在を感じることが出来ちゃったので、この先に関してはただひとつ「舞台が無くなってしまわないこと」さえ達成出来ていれば、それでもうヴィアティン三重というチームの役割は十分すぎるくらい果たせるんじゃないかと思ったりもする。

だって、あのレトロでちっちゃい三岐鉄道に揺られてさ、東員の駅に降り立った時の、あの面前に広がったあの田畑しかない光景を見たらですよ、浦和レッズサポなんか絶対に呼んじゃダメだし、もし来ちゃったところで、誰も幸せにはならないような気がするもん。

「分相応」って言うのとはちょっとニュアンスが違うんだけど、何ていうの?どうせ地方でサッカーチームを作るならですよ、その地域にどんなサッカーチームが必要なのか、どんな価値をそこに見いだそうとするのか、どんなポリシーをそこに持たせるのか、こうしたことについて、我々日本人はもっと真剣に考えて行かなきゃいかんと思うんでござりますよ。

Jリーグのクラブ経営を見てみれば、ビジネスとしてのモデルケースになりそうな例の方が見つけるの難しいくらいなんだからさ、そこに向かっていくことを良しとするのが「王道」みたいなのって、もういい加減ヤバいことなんだって気がついた方がいいと私は思うの。

で、そんな風に思っていたところで「そこにいる人が全員主役」みたいなヴィアティンのホームゲームをムードを感じたことは、間違いなく私の中でも大きな発見になったし、そもそものきっかけだったヴィア勝に対する愛情も、この気づきをさせる為に神様が周到に仕組んだワナだったのかな、なんて思ってるわけっすよ。

ヴィアティン三重のホームゲームに「参加」してみて欲しい

もうそろそろ4000文字に達してしまいそうなので締めていきますが、ここで

『是非ともヴィアティン三重のホームゲームを見に行って欲しい』

何ていうありきたりのセリフを吐くつもりは毛頭ございません。

だって、あの光景を見て「そこにいる人が全員主役」と感じたのは、完全に私の個人的な感想であって、それをヴィアティン三重に関わる方々、コールリーダーのRYUJIくんやヴィア勝、そしてサポーターの中心になっている人たちが狙っていることなのかは、あの1日を共に過ごしただけでは分かりようもないし、それこそ全然見当はずれのことを書いてしまっている可能性も十分にあるわけで、「東員に行けばきっと何か感じられる」って言っちゃえるほど「分かりやすい何か」がそこにあったわけでもないのだから責任取れないし。

ただ、「俺も主役になりてえ…この舞台の出演者になりてえ…」そんな風にサッカースタジアムで思ってしまったのは、間違いなく初めてのことだった。

だから「見に行って欲しい」とは言わず、今回はこう書こう

『是非ともヴィアティン三重のホームゲームに「出演」してみて欲しい』

多分コールリーダーのRYUJIくんが満面の笑みで握手して迎え入れてくれるだろう。

ヴィアティン三重サポーターから八戸へのはなむけ「紅チャント」に感じたこと

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