俺ってただの変わりモンなのかな、いや違う。蹴球仮面だ!

こんな風に地域リーグや都県リーグ、全社、地域CLとアンダーカテゴリーのサッカーに日常的に触れる生活が訪れようとは、1年前には想像もしていなかった。
あの当時は、J2リーグやJ3リーグを現地観戦するだけで「随分マニアックなサッカーの見方をするようになっちゃったな」なんて思っていたぐらいで、そんな「マニアック」な舞台を目標とするチームや、彼らを応援したり定点観測しているサッカーファンが存在していることすら、しっかりとは認識出来ていなかった。
でもまあ、認識なんて出来なくて当たり前だよ。だって、地域リーグの情報なんて待っていたところで耳に入る機会なんて向こうからホイホイ来るわけもないんだから。
いや、「向こうからホイホイ来るわけもない」はちょっと違うな。
向こうは来ようとしているんだけど、人の耳まで辿り着く前にあらゆる競争に敗れてしまって「南葛に福西崇史・・・」くらいの情報しか生き残ることが出来ないと言った方がいいな。

そう考えると、私もよくこのカテゴリーのサッカーに関心を持ったものだと自分に対して妙な関心を覚えてもしまうが、恐らくこの「界隈」のサッカーに惹きつけられてしまっているファンやサポーターの多くが、私同様に
『俺ってただの変わりモンなのかな、いや、そうではない、俺こそは神に選ばれし者。いや、我こそがフットボールを愛し、フットボールに愛された、真の申し子!!宇宙に轟くその名も蹴球仮面だ!!!。。。。。。。分かった、、、間違いない、、俺は変態だ。』
と言った「脳内問答」を繰り返しておられるんじゃないかと、その心中をお察しするとともに、心よりお見舞い申し上げたいところではあるが、そんな「脳内問答」を繰り返す諸兄にあっても、決して「罰ゲーム」として地域リーグや都道府県リーグのサッカーを定点観測させられているのでも、ネット上に微かに存在する情報を収集させられているのでも、何人来るかも分からないリーグ戦会場まで週末ごとに通っているのでもなく「今そこにあるサッカー」(あれ?いやに聞き馴染みあるな…)に魅力を感じているからこそ、「今そこにあるサッカーを愛し」ているからこそ、他人から見れば明らかに「苦役」と見られてしまうようなことであっても、意図も簡単にその壁を乗り越え、不気味なことに笑顔すら見せながら、夢や希望を口にしちゃったりと、いい加減、やりたい放題なのである。

ちょっと言い過ぎた。
きっとこういう自虐的な物言いが、少々キモイんだよな。
それに、地域リーグの選手たちってはっきり言って相当カッコいいからね。その辺歩いていたら絶対にモテる男の部類に入るような人ばかりだし、監督やコーチだってダンディー揃い。
「変態」とか「罰ゲーム」とか「苦役」とか「不気味」とか、そんなネガティブワードとは無縁な人たちなんだぞ!だから俺たちだってカッコよくてモテるし、オッサンだけどダンディーなんだぞ!
『もうね、こうやって「0か100か」で話するのやめよーぜ。40とか50とか60で話しても刺激が少ないからって、極端に振れようとするのやめよーぜ』
とフットボールの神様からお告げが聞こえてくるので、もうそろそろ本題に入っていこうと思う。
「え?まだ本題に入ってないの?ここまでタラタラ書かれていたことは何だったの?死ね!説明しろ!謝れ!!!!お前なんぞ柏サポーターじゃないわ!!!!!」
はいはいはい。分かりましたよ、もう一気に本題に入りますよ。
「日テレ ACL決勝を今年も地上波放送せず」についてですよ。皆さんが大好きなヤツですよ。
「日テレ ACL決勝を今年も地上波放送せず」批判への違和感
まあこれについては、それほど事実を詳細に書くことをしなくても、この「日テレ ACL決勝を今年も地上波放送せず」というタイトルだけで、ほぼその内容の99%が伝わる話だと思うので完全に割愛させて頂くが、私がここで考えてみたいのは、この「日テレ ACL決勝を今年も地上波放送せず」を批難することが半ばサッカーファンの常識とされてしまっている風潮に対しての違和感なのである。

いやね、Jリーグを普段から見ている人、がっつりスタジアムに通っている人、そういうサッカーファンやサポーターの人たちにとっては、ACLの存在感は無視出来るようなものじゃないんだろうし、特にJ1クラブを応援している人たちにしてみれば、まさにACLを当事者意識で感じている人だっているわけで、だからこそ「単独放映権もっているくせに試合を地上波で放送しないとはけしからん」となってしまっているんだけど、もうさ「地上波テレビ」とかいう放送チャンネルに期待し過ぎというか、メディアの最上位に「地上波テレビ」があるみたいな感性自体が古いというか、現実を無視した幻想というか、70,80の爺さんが叫んでいるのであれば多少は分かるにしても、そういうのをTwitterユーザーとかが激しい語気でフンフンとなえているのを見ると、どしようもなく疲れてきますな。

もうイマドキ、スポーツを地上波で見る時代は終わってるんですわ。
それに地上波テレビってもう40年前みたいに老若男女が視聴するモノじゃなくなっているわけよ。
だって、どうせみんな見たいのがあってもデジタル録画して見るんでしょ?自分の都合のいい時間にCM思いっきり飛ばしながら。
でさ、仮にACL決勝が日テレ地上波で生中継されたところでね、解説は城か北澤ですよ?他意はないけどさ。
こう書くと「ACL決勝みたいな注目カードこそ、新たなサッカーファンを増やす大きなチャンスなのに!」みたいな反応もあるかと思うんすけど、アジアのチャンピオン決める試合なんて、コアなJリーグファンでもない限り、悪いけど関心ゼロだし、世間が「アジアの1番」にどんだけ価値を見いだせるかって言っても、そんなのサッカーに限らず日本人が最初から持ちあわせていない価値観だかんね。
趣味嗜好を「ひとまとめ」に出来ない時代
「プレイバックpart2」「UFO」「君の瞳は100000ボルト」「カナダからの手紙」「時間よ止まれ」
これみ~んな今から40年前、1978年にヒットした歌謡曲です。
その頃すでに生まれていた人はもちろん、その後生まれた人でも曲名くらいは知っているのがあるでしょう?
山口百恵とか、ピンクレディーとか、20歳くらいの人でもその名前くらいは聞いたことあるでしょう?
でもですよ、これを2018年、今年のヒット曲で挙げていくと必ずしもそうはいかない。
「シンクロニシティ」「無限未来」「Lemon」「瞬き」「U.S.A」

俺、正直言って「U.S.A」しか知らないもん。他のはそのメロディーすら全く想像出来ないし、何なら「米津玄師」がどんな人なのか、え?もしかしてグループ?読み方すら分からないもんで、それすらねぇ、分かんないのよ実際のハナシ。
つまり何が言いたいかっていえば、「米津玄師もっと頑張れよぉ」って事じゃなくて、40年前には良くも悪くも「ひとまとめ」にすることが出来ていた人の関心や興味の対象が、もうとっくにそうではなくなっているって事なんですよ。
地上波でスポーツ中継にニーズがあった時代は、プロ野球といえばジャイアンツで「ひとまとめ」に出来ていたし、もっと言えばスポーツと言えばジャイアンツで「ひとまとめ」に出来てしまっていたわけですよ。
つまり「日テレ ACL決勝を今年も地上波放送せず」を批難する=地上波放送に期待する。これが意味するところを突き詰めていけばそこには「古き良きジャイアンツ」があるってことなんです。

もちろん、それぞれの世界(ACL決勝も含めて)にどんな価値があるのか、それを知っている人たちが突き詰め、情報発信していくことは有意義ですよ。
でも、繰り返しちゃうけど、その情報発信媒体の最上位に「地上波テレビ」があるという概念はもう完全なる幻想なわけ。
「単独放映権もっているくせに試合を地上波で放送しないとはけしからん」
って息巻いているくらいなら、Twitterで試合のハイライト動画をひたすらリツイートしていた方が「沢山の人に知ってもらう」という目的で考えたらよっぽど効果的ですよ。
だって、地上波どころかネット配信ですらまともにされていない地域リーグの試合であっても、SNS上ではそれなりに情報量ありますからね。
そんな情報を見た人が初めて試合会場へ来るなんてことも珍しくないわけで(私自身がそうだしね)それよりも遥かに大勢の人が関心を持っているACL決勝ともなれば、そのパワーたるや地域リーグの情報拡散力とは比べものにならないでしょうよ。
城や北澤の力に頼っている場合じゃないでしょうよ。他意はないけど。
え~っと。
ちょっと空気悪くなってきたんで、ここで城彰二の言葉をひとつ書いてこの授業終わりにしま~す。
ここテスト出るぞぉ。
『やはり奥の方にグーッとくる感じは効きますね!今日は、1回30分で、5回くらいやりましたかね。なんせ巻くだけですからね。これ、1ヶ月後にはどうなっちゃうんだろ?すごく楽しみです』
キーンコーンカーンコーン