J2に落ちちゃう可能性が限りなく高い状況
レイソルがまた負けた。

レイソルが日立台で勝利する度に作っていた空き缶ペイント
J1残留を確かなものとする為に、1つも負けてはいけない状況にありながら、ACL決勝の最中にあってスターティングメンバーのほとんどをターンオーバーしたアントラーズに完全なる力負け。
崖っぷちにジリジリと追い詰められる(自ら追い詰めてる?)リーグの終盤戦、ファン・サポーターにとってもメンタルを正常に保つのが難しい事態となっているのかも知れない。
なんて、いやに客観的に柏レイソルの置かれている状態について書いているが、私自身も柏レイソルのサポーターなのである。
ただ、私の場合はこの「J2に落ちちゃう可能性が限りなく高い」この状況を正直それほど深刻には感じていない。
自分が何故「レイソルを応援しているのか」を問い直す
こう書くと「どうせお前はその程度の気持ちしか持っていないんだろ!」とか
「サポーターになって1~2年だからそんなことが言えるんだ!」とか
「J2地獄を知らないからそんな風に言えるんだ!」とか
「緩サポなんだろ!」とか
「そんな奴はゴール裏に来るな!」とか
「死ね!」とか「説明しろ!謝れ!」とか
言われてしまうわけだが、まあそういう風に言ってくる方々にとっては、私のような考え方をする人間を仲間であるとは思いたくもないのだろうと一定の理解はしている。

仏壇を拝んでいた時期も
確かに今年のレイソルはその期待も大きかったし(春にはACLに出場してたんすよ!)シーズンの始まりの頃には、今この時期にチームが優勝争いはしていても、まさか残留争いをしていようとは誰も思っていなかったのだろうし、私自身もそれは同じだった。
ただ、こうして真綿で首を絞められるが如く、チームがJ1残留の可能性を小さくしていく中で、改めて柏レイソルというチームを自分が何故応援しているのか、それを私自身が問い直す時間にもなっていった。
日立台=サッカーが愛されている空間
そもそもの始まりは「日立台」だった。

初めての日立台はメインスタンドから観戦していた
去年の春先、小雨の降るスタジアムへ「我が家から最も近いJリーグのスタジアムだから」という理由だけで訪れたあの日。
私をまたここへ来ようと思うに至らせたのは、チームではなくスタジアムのあの雰囲気だったのだ。
久しぶりに訪れたJリーグスタジアムで感じることの出来た「サッカーが愛されている空間」。それをここへ来るだけで年に何回も体感することが出来る。これが全てであったように思う。
当時はレイソルの選手たちのことだってほとんど知らなかったし(クリスティアーノと大津祐樹、大谷秀和のことは知っていた)その時点でチームがどういう立ち位置にいるのかも分かっていなかった。
でも、そんなことは私にとってそれほど大事なことではなかったし、応援を重ねていくことで、選手たちを覚え、チームの戦い方を知り、一時はレイソルの勝ち負けに最も強い関心が向いていた時期もあったが(今から思うと、チームが優勝争いをしたり、天皇杯であわや決勝進出というところまで勝ち進んだり、成績面では非常にいいシーズンであったことが多分に影響していたんだと思う)それによって「日立台での幸せな時間」に対する価値が自分の中で変動してしまうのが途中から馬鹿らしくなってきて、今シーズンは「負けたり、負けたり、勝ったり」くらいのペースにもなってもいたし、チームがどんなクソみたいな試合をした時であっても、それを受け止めることが少しずつ出来るようになっていったように思う。
どのカテゴリーであっても、誰がプレーしていようとも
こうして徐々に、私にとって柏レイソルとはJリーグのサッカークラブであるとともに「日立台での幸せな時間」を意味していることに気づいていった。
だから私にとって柏レイソルがどのカテゴリーで戦っているかについて、実はそこへのこだわりがないし、もっと言えば、そこで誰がプレーしていようがほとんど重要ではない。
ただひとつ。レイソルのホームスタジアムが「日立台」でなくなってしまった時だけは、その先のレイソルを応援するかを相当悩んでしまうだろう。
それくらい私にとって「日立台」は大事な場所だし、現在のようにあらゆるカテゴリー、あらゆる地域のサッカーを現地で体感する生活を送るようになっても尚、その基準点としての「日立台」が私の心の中には常に存在している。

「サッカーを応援するために旅行する」私に新しい旅の発見をさせてくれたのもレイソルだった
シーズン序盤からチームの調子はなかなか上向かず、ワールドカップ前の段階で監督を交代するも、その状況は良くなるどころか、悪くなっていくばかり。
「こんなはずじゃなかった」「こんな戦績に終始するようなチームじゃないはずだ」
ファン・サポーターはその原因をどこかに求めようと、監督批判、クラブ首脳批判の声を大きくしていき、ツイッターでは試合が終わるたびに「監督辞任」のニュースを待つ人さえ出てきている。
ある意味でこうしたリアクションも「Jリーグを楽しむ」上でのひとつのスタイルなのだとは思うし、一時は私自身もチームの勝敗にこだわりすぎてしまっていた時期があったので、そうした思考原理を理解出来ないこともないが、今の私にとって最も重要なのは「今年も来年も日立台で幸せな時間を過ごす」ことだけであって、来年チームがカテゴリーを下げてしまおうと、そのまま何年もそのカテゴリーでくすぶり続けようと、今の主力選手たちが揃っていなくなってしまおうと、いつしか「レイソルって昔はJ1にいたんだよ!!」なんていう時代が来てしまおうと、そしてもちろん、柏レイソルがアジアのチャンピオンになろうとも、この根っこの部分が揺るいでしまうことは無いんだろうと確信もしている。
揺るぎのない「自分ゴト」だからこそ
この時期になると、どのカテゴリーにおいても最終盤戦に入っていて、それだけに私が行く現場においても、チームのあらゆる感情の渦に巻き込まれてしまうことが多くなってきている。
来シーズンの昇格が叶わなかったチーム、あるいは降格が決まったチーム、そこまで明確ではなくてもチームが掲げた目標を達成できたか出来なかったかなど、本当に悲喜こもごもだ。

レッズサポーターに「ジャック」されない為、この日だけはバックスタンドのチケットを買った
アントラーズに負けたあとの日立台でも、ゴール裏のあちこちから怒号が聞こえた。
「クソみたいな試合してるんじゃねーよ!」
「今すぐにでも監督を変えてくれ!!」
単なるヤジではなく、まさに怒号。
彼らは半ば泣き出しそうな声で叫んでいる。
こうした感情の渦に接する時、私はどうしても神妙な気持ちにさせられてしまう。そこにいる選手たち、チームスタッ