2018全社レポート②『共に歩む同志』としてサポーターは泣き笑う

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異なる目標、異なる目的

2018年の全社(全国社会人サッカー選手権大会)も残すところ決勝(それと3位決定戦)という段階まで日程が進み、11月に行われる「JFL昇格チーム決定大会」地域CLへの出場権3枠に該当するチームも実質的に決定したと言っていい。

4強のうち、松江シティFCは今シーズンの中国サッカーリーグチャンピオンであり、既に地域CL出場を獲得済みで、いわきFCについては現在所属するカテゴリーが東北2部である為、レギュレーションの変更で「飛び級昇格」が叶わなくなった今大会については、地域CLへの出場要件を満たしていない。

他の2チーム、おこしやす京都AC(関西リーグ2位)とFC刈谷(東海リーグ2位)が過酷な3連戦を勝ち抜き、見事に地域CL出場権を獲得し、残りの1枠も9つの地域による「輪番制」の適用で、準々決勝で松江シティに辛くも敗れたアルティスタ浅間(北信越リーグ2位)にそのお鉢が回ってくることになりそうだ。

私自身、この全社が現地で体感する初めての機会で、その複雑なレギュレーションをやっと理解出来るようになった段階にあるのだが、参加した32チームのそれぞれが「地域CL出場権の獲得」「地域CLを想定したトレーニング」「社会人サッカー日本一の名誉」といった具合に、かなり異なる目標、目的を持ちつつも、ピッチの上では自らのプライドを賭け全身全霊で戦いに挑んでいる姿を見るにつけ、サッカーというスポーツにこれほど真摯な姿勢で向き合っている若者たちが日本中に存在していることへの有難さと、その想像を超える肉体と精神のタフさ加減に、敬意以外に適当な心情が見つからないでいる。

タフな選手、タフなファン・サポーター

プレーする選手たちがタフなら、それを応援するファン・サポーターもタフだし、純粋にこの大会を楽しもうとひたちなかや鹿嶋へやってくる沢山のサッカーファンもタフだ。

臨海工業地帯の中に点在する試合会場の中には、敷地内に風力発電の大きな風車も立っているところもあり、何というか「最果ての地」といった風情を感ぜざるを得ないようなロケーションにあるにも関わらず、そこへ大量の横断幕や大旗を持ち込み、サポーターたちは平気な顔をしてホームと変わらぬテンションの声援を送っているし、町の中心から何キロも、車しか走っていないような道路を歩いて試合会場にやってくる観戦者もいる。

世間に広く知られるような選手たちがそこにいるわけでもなく、そもそもこの全社という大会が「社会人サッカーのワールドカップ」と呼ばれながらも一般的には注目を浴びるようなサッカー大会であるはずもなく、それでも日本のあらゆる場所からこの「最果ての地」へと彼らはやってくるのは何故なのか。

それを考えていると、この全社という大会がどっぷりとアンダーカテゴリーの世界にありながらも、ファン・サポーターにとっては「彼」のアイデンティティを確認する場として果たしている役割の大きさを感ぜざるを得ないし、そこに悲喜こもごもなドラマが生まれることが分かっているからこそ、そこに吸い寄せられるサッカーファンも少なくないのだと感じている。

「どこの何者であるのか」

各地域のリーグ戦は基本的にホーム&アウェイ方式で運営はされているが、地元の住民にすら知られれていないチームの試合であれば、Jリーグレベルでは少なからず浸透してきている「地域のアイデンティティ」を感じることはなかなか難しいことでもあろう。

それが全社という舞台にあっては、そのチームがどの地域からやってきたのか。そこが非常に大きな要素になっているし、むしろその部分こそがチームを端的に表現出来る唯一の情報であったりするわけで、我々が海外旅行をした時に東洋人、日本人であることを痛感させられるように、全社に集まってくるファン・サポーターにとっても、ここがひたちなかや鹿嶋という町であるからこそ、チームが、そして自分自身が「どこの何者であるのか」それを強く、そして心地よく感じることの出来る場となっているはずだし、そうした風に触れようとした少なくないサッカーファンが「最果ての地」までやってくる理由にもなっているように思う。

共に歩む同志としての姿勢

勿論彼らは応援するチームが「日本一の社会人チーム」になってくれることを願ってはいるものの、仮にその思いが結実しなかったとしても、選手やチームを罵倒するようなことはないし、チームバスを囲むようなこともしない。彼らにとって選手やチームは「クレームをぶつける対象」ではなく、「ともに歩む同志」なのだ。

だから、少々の苦言が口をついて出ることはあっても、チームが自らの生活の中に存在してくれていること、人生に彩を与えてくれていることを大切に思う気持ちが根底には常にあって、「社会人サッカーのワールドカップ」へ自分を連れてきてくれたことを感謝する気持ちこそあれど、そこに自らのプライドの維持を求めるようなことはしない(出来ない)のであろう。

アルゼンチンからやってきたサポーター

大昔のTOYOTACUPにボカ・ジュニアーズがやってきた時、遠くアルゼンチンから駆けつけたサポーターグループの近くで観戦したことがある。当時は今のように南米のサポーターが大挙して日本を訪れるようなことはなかったものの、それでもなけなしの金を使って地球の裏側まで愛するチームを応援しようとやってきたサポーターも少なからずいたのだ。彼らは東京という異空間にボカとともにいられることが心底嬉しそうだったし、言葉は通じないながらも国立に集まった日本のサッカーファンとの交流も楽しんでいるように見えた。

長旅を経て東京までやってきて、試合に敗れ、頭を抱えて静かに涙する彼らの姿。

彼らは大金をはたき、仕事を辞め、1日以上をかけて東京までやってきて、負けたチームに文句を言うのではなく泣いていたのだ。

ファン・サポーターは泣き、笑う

Jリーグが生まれて四半世紀が経ち、ついに「社会人サッカーのワールドカップ」の場においても、あの時のアルゼンチン人サポーターが見せていた「共に歩む同志」としてのファン・サポーターの心情に近い光景が見られるようになっている。

そしてそんな光景を生み出すことの出来るスポーツの価値もゆっくりとではあるが積み上げられているように思う。

「社会人サッカーのワールドカップ」全社が「祝祭の場」であるからこそ、そこには必ずドラマが生まれ、それを受け止められる人の数も少しずつ増えてきている。

Jリーグが日本社会にサッカーサポーターを生み出し、今度は「チームと共に歩む」というファン・サポーターのメンタリティが、アンダーカテゴリーのサッカー文化から醸成されてきているのではないだろうか。

あの日アルゼンチンから国立へやってきたボカサポーターが、そこで過ごす時間で泣いたり笑ったりしていたように、全社で茨城へやってきた全ての地域のファン・サポーターたちも泣き、笑う。そこではチームがどんな目標や目的を以て大会へ挑んでいるかはそれほど大きな問題ではない。

開催地にいながら、サッカーの、フットボールの魅力を私も改めて確認させてもらっている。

 

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