2018年の全社はじまる!

大会初日 1回戦 沖縄SV VS 東京国際大学FC 高原直泰選手兼監督権GM
全国社会人サッカー選手権大会(以下、全社)。日本に9つある地域サッカーの強豪32チームだけが集まるこの大会が「社会人サッカーのワールドカップ」と呼ばれている理由を今まさに開催地である鹿島にいながらにして体感している。
11月に行われるJFL昇格への登竜門「地域CL」出場権が上位進出チームに与えられる全社の大会性質を以て、この大会の価値がついついそこ(JFL昇格への挑戦)に集約されてしまいがちだが、特に今大会からはJFL昇格条件がより「実勢」を重視したレギュレーションへと変更され、地域CLでのいわゆる「飛び級昇格(カテゴリーを問わず地域CLで勝ったチームがJFL昇格出来る)」が出来なくなったことで、今大会においてもシンプルに「社会人サッカーのワールドカップ」で栄光を掴むことだけが目標となっているチームも複数参加している。
それだけではなく、既に地域リーグで優勝を果たし、地域CL出場権を持っている(いわゆる「権利持ち」)チームにとっても、JFL昇格という目標だけを考えれば、この大会で得た結果は何らアドバンテージとはならないわけで、それでもこの5日連戦という激烈にハードな大会で何かを得ようと貪欲な姿勢を見せてくれているのには、サッカーの、スポーツの素晴らしさをそのまま示しているようにも思え、心が揺さぶられてしまう。
社会人サッカーのワールドカップ
チームや選手を応援しているファン・サポーターの姿を見ていても、この大会を戦うチームを必死に支えようとしながら『チームが勝利することだけでは満足出来ない』貪欲さが感じられる。
日頃なかなか会うことの叶わない他地域チームの関係者やファン・サポーターとの交流を心から楽しみ、おそらくは会場のあちこちで新たな出会いも生まれているのだろう。それはこれを書いている私自身にしても全く同じで、試合会場を中心に今この時を大会開催地で過ごし、祭りに参加できている幸福感を満喫していると言っていい。
しかしながら、この幸福感の根源は、単にそこで戦うチームや選手、あるいはファン・サポーターが放つ魅力だけあるとも思っていない。私はこの全社という大会が「社会人サッカーのワールドカップ」足らしめている最も大きな要因は、この大会が「国体のリハーサル大会」として位置づけられていることにあるように思えている。
国体リハーサル大会としての全社

大会初日 ひたちなか会場での「ふるまい料理」はつみれ汁
2019年に行われる「いきいき茨城ゆめ国体 サッカー競技」のリハーサル大会となっている今回の全社。
私はこの「リハーサル」という言葉の持つ意味を少し軽く考えていたようだ。
いや、軽く考えていたと言うよりも、そもそも「国体」自体を体感したことがないのだから、「国体リハーサル」と言われてもほとんど実感が湧かなかったと言ったほうが正確であるのかも知れない。
いずれにせよ、この全社が持つ非常に重要な要素「国体リハーサル」という部分には強い関心もなかったし、何の期待もしていなかった。
しかし、この「国体リハーサル」という要素が「社会人サッカーのワールドカップ」全社を「祝祭の場」へと昇華させていることを今はっきりと感じている。
国体さながらに「化粧」された試合会場
そう感じる理由を端的に言えば、その関わっている人の多さである。
大会の運営委員は勿論、ボールパーソンや「ふるまい料理」を提供してくれている高校生ボランティア、会場のそこかしこで案内をして下さっている大勢の地元ボランティアの方々、こうした人たちが「国体のリハーサル」をしているこの状況が、地域リーグの日常と比較した時に、そのファン・サポーターにとっては非常に眩く、間違いなく「興奮度」を増す大要因になっている。
極端に言えば「試合会場でどう過ごすか」それを日頃1から10までを自分自身でやっているような彼らにとっては、試合の公式スタメン表を配布するコーナーが受付に必ず設置されていたり、高校生ボランティアが「ふるまい料理」の開始時間を案内して回ってくれたり、ゴミの分別場所にも地元のボランティアのおじいさんたちがいてくれたり、駐車場の案内係の方が何人もいてくれたり、そうしたあらゆる事象がいい意味で「ちゃんと」しているこの状況が、単純にそこで過ごすことを「楽しい」と思わせているように感じる。
人だけでなく、観戦客を迎え入れる導線整備、大きなトーナメント表ボード、観戦エリアの整備、仮設トイレの設置、喫煙コーナー、ずらりと並んだ地元小学生の描いたかわいいのぼり… ただのサッカーグラウンドが、まさに国体さながらに「化粧」されている光景も「祭り」のムードを一層強くさせている。
「行けば分かるよ」「来れば分かるよ」で終わることなく

ひたちなか会場 2面並んだ天然芝のグラウンドを使用したのは初日の4試合だけ。その為に「化粧」された会場を片付けている高校生ボランティア。
国体の在り方については、あらゆる意見が存在するのも事実だが、少なくともこの全社においては、国体が存在することが大会に彩を与えているのは間違いのないことだ。
全社の主役がチームであり選手たちであるのは当然であるとしても、大会のこうしたムードがその魅力を増幅させているのは間違いない。
こうした魅力について「行けばわかるよ」「来れば分かるよ」で終わることなく、どんな訴求の仕方をすれば更に沢山の人々を会場に集めることが出来るだろう。そしてこれは何もアンダーカテゴリーのサッカーに限らず、スポーツ観戦を楽しむライフスタイルにどう価値を見出すのか。そこにも通じる社会的課題であるようにも思う。