サッカー経験者は何故スタジアムでJリーグを見ないのか
【『サッカー経験者は何故スタジアムでJリーグを見ないのか』それについての推論と仮説】
というタイトルで数日前に書いた記事に対して、私が想像していたのをはるかに超える反響を頂いたので、そこで私が挙げた「推論と仮説」をさらに深掘りしてみたいと思う。
まず最初に【『サッカー経験者は何故スタジアムでJリーグを見ないのか』それについての推論と仮説】の要旨を簡単にまとめてみると
■(前提)Jリーグを日常的にスタジアム観戦しているファン・サポーターが必ずしも「サッカー経験者」ばかりではない
→(推論)日本のスポーツ文化においては「する人」と「見る人」が分かれてしまっているのではないか
■(疑問)「する人」つまりサッカー(スポーツ)経験者が何故スタジアムでサッカーを観戦するようなファンになっていかないのか
→(仮説)結果的に日本のスポーツ社会が「挫折者」を多く生み出してしまう仕組みとなっていて「挫折者」がサッカー(スポーツ)から離れていってしまっている
⇒(結論)Jリーガーを頂点とするピラミッドから脱落してしまった人(挫折者)はJリーグをスタジアムに見に行かない。(サッカーファンにはなりにくい)
これについて沢山の方からコメントでも反応をいただき、その多くは私の伝えたかった主旨をご理解いただけたどころか、それを更に深い解釈でご教唆して下さった方までいて、本当にありがたい限りであったが、この「挫折者がサッカー(スポーツ)から離れてしまう⇒サッカー(スポーツ)ファンになっていかない」という結論について、もう少し深く考察してみたく、また今後日本のスポーツ界にどのようにあって欲しいかという部分についてまで、具体的提言なども含めて書いていきたい。
勝者だけが評価される世界

まず、「挫折者がサッカー(スポーツ)から離れてしまう=サッカー(スポーツ)ファンになっていかない」という結論が具体的にどのような状態、状況をイメージしているのか、それについて具体例を挙げながら説明してみたい。
競技者になること(させること)を目的としたスポーツの育成現場においては、「勝者」となることで次のステップへと上がっていくチャンスが与えられる。
そのスポーツがサッカーのようなチームスポーツである場合、その「勝者」が必ずしも試合の結果(優勝するなど)と直結していない場合もままあるはずだが、「遅い子よりは速い子」「テクニックが無い子よりは巧い子」「体力がない子よりはタフな子」etc…といったように、他者との競争に勝つことで、彼のサッカー(スポーツ)生活は保障され、継続されていく。
そしてこうした「勝者だけが次のステップへ上がっていく」という実態は、必ずしも名門Jクラブの育成組織や、名門高校、中学、少年団などだけに存在しているわけではなく、少なくとも少年期のスポーツにおいては、そのほとんどに「勝者だけを評価する」という風潮がかなり強く存在しているように思う。
先日取材した少年サッカーチームの関係者からこんな話を聞いた
「あのクラブはとにかく幼児の段階で1人でも多くとクラブに入会させるんだ。そしてそこで得られた資金がコーチの給与と6年生チームの運営費に回される。と言っても6年生になる頃にはあんなに沢山いた幼児たちは10分の1も残してもらえない訳だけど。」
ここで話に挙がった少年サッカークラブは、はっきり言って全くの無名だし、それこそJリーガーを次々と輩出するようなクラブでもない。そんなどこにでもあるようなごく普通の少年サッカークラブにおいてでも、「勝者」だけがその存在を認められていく、そういう環境にあるのだ。
そして、こうした「勝者だけが存在を認められていく」世界で育ったサッカー少年たちのサッカー観(スポーツ観)も、当たり前のように「勝者至上主義」に陥っていくのは至極当然であるようにも思うし、そうした世界は「勝ち負け」でしかサッカー(スポーツ)を評価出来ない人間を大量に生産していく。
つまり最初に挙げた仮説の中にあった「挫折者」の多くは「勝ち負け」でしかサッカー(スポーツ)を評価出来ない人たちである可能性が極めて高いと言うことも出来ると私は思うのだ。
勝ち負けでしかサッカーを評価出来ない人たち

「勝ち負け」でしかサッカーを評価出来ない人にとって、それが例え日本サッカーの頂点にあるリーグであっても、Jリーグは「負け組」のサッカーだと捉えているかも知れない。
「優れた選手は皆、欧州へ行ってしまっているじゃないか」そんな風にも思っているかも知れない。
でもこれは仕方のないことでもある。何しろ彼らは「勝つ」ことでしか評価されない環境でサッカーをしてきて、どこかのタイミングで「負け」の烙印を押されてそこにいるわけだから、メッシやレアルマドリードやフランス代表でないとサッカーではないと思ってしまうのも当然だ。
そして、こうした狭いサッカー観(スポーツ観)しか持ちえない人を作り出すシステムが漫然と存在している限り、Jリーグが世間一般から大きな注目を集め続ける時代はやってこないように私には思えてしまう。
Jリーガーになれる確率は0.1%

2018シーズンに選手登録されているJリーガーの中で、今年20歳になる選手(1998年生まれ)だけを抽出してみるとその数は64人(J1~J3まで)。同年の男児出生数が61,744人なので、単純に計算するとこの年に生まれた子どもでJリーガーになれたのはわずか0.1%。1000人に1人の割合だ。
男の子が全員サッカーをするわけではないので、サッカーをしていた子どもがJリーガーになった確率はもう少し上昇するにしても、1人のJリーガーの陰には無数のサッカー少年たちが存在しているのは間違いのないことでもあるし、そもそもプロ選手を頂点としたピラミッドにすら上ることが許されなかった子どもも大勢いるわけで、一握りの勝者の為だけに日本サッカーを発展させていく為のエネルギーの多くを注ぎ込んでしまうことにはどうしても抵抗を感じてしまう。(女子サッカーの場合はさらにその傾向が強いと言えるだろう)
そして、そんな陰のサッカー少年たち、ピラミッドにすら上れなかった少年たちの多くが「勝ち負け」でしかサッカーを評価することが出来ない人間になっていると思うと、この国のスポーツ文化の未来は決して明るくないように思える。
では、日本のサッカー(スポーツ)文化の未来をどうしたら明るいものにしてくことが出来るのか、先に書いた「推論」「仮説」そして「結論」をもとに2つの提言をここでしてみたい。
日本のサッカー文化の未来を明るくしていくための2つの提言
提言1「サッカー(スポーツ)をする場所の創出

1つ目は「サッカー(スポーツ)をする場所の創出」だ。
少年スポーツクラブを継続的に活動してくために最も重要で、最も困難なのがこの活動場所の確保であると言ってもいい。東京などでは本当に少ないパイ(グランドや体育館)を巡って熾烈な確保合戦が繰り広げられている場合も珍しくない。そしてそうした活動場所を巡る競争の中で、そのクラブが質の高い選手を抱えているか、または強いチームであるのか、といった要素が少なからず影響を及ぼすことがある。またいわゆる「強いチーム」を持っているクラブは、そこに関わる大人の数も多いので、数の論理で押し切ることも可能になっていく。
活動場所を巡る生存競争の中で、「勝利至上主義」「競技者志向」というスタイルをとらざる得ないクラブがあるのであれば、その活動場所自体の数を増やしていくことで、その環境は大きく変わっていくかも知れない。
また、サッカー(スポーツ)をする場所が社会にとって必要不可欠なものであるという認識、社会通念が育まれていけば、当然ながらそれは子どもたちだけでなく、社会全体に還元されていく流れになっていくだろう。
単に新たなグランドを建設するといった手法だけでなく、小学校や中学校のグランド解放の仕組みや、都内には非常に多い「ボール使用禁止の公園」で子どもたちがボール遊びを出来る可能性を探っていくなど、それほど予算を必要としない手法もあるはずだし、ドラスティックに大きな変革を起こしていくよりは、日常にあるちょっとしたことから少しずつ在り方を変えていく方が効果的であるようにも思う。
提言2 中学年代、高校年代における同好会サッカーの推進

2つ目は「中学年代、高校年代における同好会サッカーの推進」だ。
いざ中学生や高校生がサッカーをしようと思った時、それが叶う場は非常に限られたものとなってしまっている。学校の部活動でやるか、あるいはJクラブの育成も含めたクラブチームでやるか、ほとんどその2択と言ってもいい。そしてそのいずれもが基本的に「勝利至上主義」に沿った運営がされている場合も多く、いわゆる「挫折者」を大量に生み出す場にもなってしまっている。
例えば週に1度とか月に2度くらいしかプレー出来ない(したくない)同年代のサッカーグループ(同好会)がこの年代でも存在していれば、競技者志向からの挫折者の受け皿にもなるし、何しろ「ゆるくサッカーを楽しみたい」という若年層のニーズを顕在化させることも出来る。大会に出場するのにメンバー集めすら苦労しているようなサッカー部を思い切って「同好会化」してしまい、活動回数が減った分のグランド利用枠は学校内外のサッカー(スポーツ)クラブが利用出来るように便宜を図ってみてもいいだろう。
これを成立させる為には、学校や大人たちの支援もある程度必要だろうが、基本的には最初に挙げた「活動場所の創出」が出来れば、かなり推進されるのではないだろうか。
「どんな子どもでもボールを蹴っていいんだよ」という社会の姿勢がJリーグの在り方を変える

私は今の日本サッカー界は、その発展を担い、サッカー文化を深化させていける人材の多くを自らの在り方によって、損失し続けているように思う。
「競技者志向」のピラミッドの中で「勝利至上主義」でしか評価されてこなかった「サッカー経験者」が創っていく世界は非常に内向きで、現在のJリーグが結局のところ勝敗以外にさしたる魅力を訴求出来ていないのも、そうしたところにも原因があると私は感じている。
「テクニックはずば抜けているのに根気のない子」「背が低いのにヘディングが大好きな子」「練習では抜群に巧いのに試合となると全然活躍出来ない子」「何をしても下手くそだけど、いるだけで楽しいムードを作れる子」etc…
そういう子どもたちが挫折することなくサッカーと付き合いながら大人になって、それぞれがそれぞれのサッカーの魅力を語り出した時、Jリーグのスタジアムのムードは大きく変わっていく可能性があるし、日本社会におけるスポーツの在り方も大きく変えていってくれるかも知れない。
Jリーグのスタジアムが「サッカー経験者」も多く集う場所となっていくのには、劇的に効果のある特効薬はないように思う。
まずは「どんな子ども(ひと)でもボールを蹴っていいんだよ」という社会全体の姿勢と、それを成立させるだけの場の創出をしていくこと。まさに草の根、そして日本サッカー全体の価値観をコツコツと変えていくほかないのではかろうか。