エスパルスのダービー勝利は5年半ぶりだった

まず最初におさえておきたいのは、清水エスパルスがこの静岡ダービーに勝利したのは2013年4月13日に1-0で勝利して以来で、それがおよそ5年半ぶりの出来事であったことと、1994年4月6日に史上初めての静岡ダービーが行われてから、これまでに両者が48回の戦いを繰り広げてきた中で、今回の勝利は2009年8月15日に記録された最高得点差に並ぶ5-1という大勝であったことだ。
2014シーズンから2016シーズンにかけて両者のいずれかがJ2をその戦いの舞台とせざる得ない状況があったことで、サッカーどころ静岡の覇権をリーグ戦のダービーマッチの場で決する機会を持てずにいたことは、場合によっては両軍サポーターにとって非常にフラストレーションの溜まる期間であったのかも知れない。
そして清水サポーターにしてみれば、昨シーズンから再びその歴史を刻み始めた静岡ダービーの舞台で、一度も勝利の美酒を味わうことが出来ていなかったのだから、思わぬ圧勝という戦果を得た時に、長く噛み続けてきた唇を一気に解放したくなる衝動を抑えられなかったのだろう。
清水のホーム アイスタで、エスパルスゴール裏からジュビロ磐田の 凱(かちどき)「勝利は続くよどこまでも」が響き渡ったのには、こうした背景も多分に作用していたはずだ。
清水サポーターのリベンジは「勝利は続くよどこまでも」

ダービーマッチで勝利することが叶わない期間が長くなったことで、清水サポーターにとって磐田サポーターが高らかに歌うこの凱(かちどき)は屈辱の意味をも持ってしまっていたのかも知れない。
だからこそ、このダービーに勝利することが出来たら、そんな悔しかった記憶を思い切り晴らしてやろう。そうしたいわゆる「意趣返し」「リベンジ」といった意図も確実にあったはずだ。
しかしながら、そんな清水サポーターの「リベンジ」は、同時に「負けた相手の傷口に塩を塗る」行為にもなってしまい、磐田サポーターからの猛烈な批難を受けることになる。
クラブはこの件を受け、公式サイト上で正式にジュビロ磐田に対して謝罪した。
10/7 ジュビロ磐田戦 清水エスパルスサポーターによる試合終了後の行為について
10月7日(日)に開催された明治安田生命J1リーグ第29節ジュビロ磐田戦において、試合終了後、清水エスパルスの一部サポーターによる、磐田の勝利時の歌を歌う行為が行われました。これは相手に対する挑発行為であることは明らかであり、スポーツマンシップにも反し、クラブとして到底容認できる行為ではありません。今後、二度とこのようなことが行われないよう、クラブといたしましても厳正に対処して参ります。
ご来場いただいたジュビロ磐田サポーターの皆様はじめ、ジュビロ磐田関係者の皆様に、不快な思いをさせてしまいましたことに対し、深くお詫び申し上げます。
株式会社エスパルス 代表取締役社長 左伴 繁雄
10月10日清水エスパルス公式サイトより引用
対戦相手が憎くて戦うのであればそんなダービーはいらない
今回の「勝利は続くよどこまでも」の一件は、エスパルス側が謝罪を正式に表明したことで一応はクロージングとなっていくはずだが、ツイッター上に飛び交っている両軍サポーターの言葉や、それを外側から見ている多くのJリーグファン、他クラブサポーターの言葉の中には、「簡単に謝罪した」エスパルスのクラブとしての姿勢に対して、必ずしもそれに同意しないという層も少なくないようで、「仲良しこよしでやるならダービーじゃない!」「ダービーは戦争だ」といった主張も少なからず見ることが出来た。
こうしたSNS上の「ダービーは戦争だ」というような主張を見ていると、クラブがいくら正式謝罪をしたところで、こうした諍いはJリーグから無くなっていくことは無いのだろうなとも思う。

私はリーグ戦の中のいち対戦をダービーマッチと銘打ち、対戦する双方のファン・サポーターを中心に「戦いの舞台」としての価値を高めていくマーケティング手法には全面的に賛同するし、考えられるだけそうした「〇〇ダービー」「〇〇クラシコ」といった対戦構図を作っていくべきだとすら思っている。
単なるリーグ戦のひと試合にそうした「意味づけ」が出来れば、リーグの優勝争い、残留争いとは別の観点を世間にもファン・サポーターにも持たせることが出来る。実際に静岡ダービーのような試合にもなれば、選手たちもかなり高いモチベーションで挑んでいるであろうことも想像が出来る。
しかしここでしっかりと認識しておきたいのは、こうした「意味づけ」がされた試合のもたらせるものが、共存共栄に繋がっていかなくてはならないということであろう。
ダービーマッチは決して対戦相手の息の根を止める為の戦いではないし、対戦相手の選手やファン・サポーターが憎くて戦っているのだとしたら、そんなダービーマッチは即刻中止した方がいい。
もちろん、そうした気持ちが無かったとしても、サッカーで戦う以上は少なからず勇ましい気分が湧いてきてしまうことは避けられないし、それがあるからこそサッカー場が魅力的な空間として存在している側面も否定は出来ないのだが、だからと言って、ブエノスアイレスやローマで行われている凄惨なダービーの光景こそが本来のダービーにあるべき姿などとは思うべきではない。
反対側のゴール裏にいる「仲間」
今回の「勝利は続くよどこまでも」の一件については、実行した清水サポーターにも、それを受けて過剰に反応した磐田サポーターにしても、相手に対して想像力を持とうとする意識が著しく欠如しているように見える。その様相は、ネット上で顔の見えない相手に罵声を浴びせるが如く、実際にスタジアムのゴール裏には心を持った人間がいるということを忘れてしまっているかのようだ。
反対側のゴール裏にも自分と同じようにJリーグに夢中になっている「仲間」がいるんだという意識。
これこそがJリーグの更なる発展の礎になるのだろうし、ダービーマッチも含めてJリーグスタジアムの文化を一層芳醇なものへと昇華させていくのではないだろうか。