「Jリーグのゴール裏を包むマチズモ」その魅力には危険が潜み万能でもない

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1993年ローマ スタディオオリンピコ

私が学生の頃の話なので、今から25年以上前のことだ。

Jリーグがスタートする直前の春、私は学友3人と卒業旅行でヨーロッパにサッカー観戦をしにいった。

ミュンヘンからローマまで鉄道移動する旅のクライマックスは、スタディオオリンピコで行われたローマ対ユベントス戦の観戦。当時はセリエAが世界最高峰のサッカーリーグとされていた時代で、世界中のスター選手が集うその華やかな舞台は、日本リーグの閑散としたスタジアムでしかサッカー観戦をしてこなかった私にとって、そこは憧れの世界でしかなかった。

「混沌」のローマ

ドイツからアルプスを越え、ヨーロッパをほぼ直線的に南下してきた私たち。ローマの街にたどり着いた時、最初に感じた印象は「混沌」であった気がする。

ミュンヘンでもチューリッヒでも、同じイタリアのミラノでさえも感じることのなかった混沌。当時のローマにはジプシーが集まっていて、街をぼんやり歩いていると、どこからともなく現れた5~6人のジプシーの子どもたちが、ズボンのポケットに無理矢理手を突っ込んできて、金品を奪い取られそうになることが日に何度もあり、あからさまな人種差別的言葉をすれ違いざまに何度も投げかけられたのも、ローマに入ってから極端に増えた記憶がある。(タクシーの運転手に運賃をボッたくられたのもローマが初めてだった)

それでも、当時の私は若く、そうした「混沌」の空間にいることで、自らのマチズモが満たされる感覚もあったし、ある意味で、今まさに冒険に挑んでいる自分たちが誇らしいような思いも抱いていた気がする。(当時は何しろ情報源が現在とは比較にならないほど乏しく、今にして思えばなかなか頑張ったなぁとも思う。)

記憶に深く刻まれたスタジアムの光景

そんな私たちの冒険は、スタディオオリンピコへ向かう路線バスに乗車した瞬間から、さらに数段階エキサイティングな様相を呈していく。

街の中心から乗車したバスはほぼ満員で、その乗客のほとんどが、私たちと同じくスタジアムへ行く人たちだった。

家族連れや女性の姿などはほとんどなく、男性ばかりを乗せたそのバスは、スタジアムが近づいて行くにつれて熱気を帯びていき、もう到着するという段階になった時には、男たちの野太い声で叫ばれるチャントで異常なテンションになっていった。

ミュンヘンでブンデスリーガを観戦した時に、それまでテレビでしか見聞きすることのなかったサッカーの応援歌(当時はチャントという言葉も知らなかった)が、こんなに大きな声で歌われていたのかと、あまりに驚いたことを覚えているが、もちろんローマでもそれは変わることなく、さらに言えばそれをまだスタジアムに到着すらしていないバスの中で歌い始めてしまうところに、ここがドイツよりもはるかに日本から遠い場所であるのだと実感していたように思う。

1992/93シーズン セリエA ローマVSユベントス(スタディオオリンピコ)

スタディオオリンピコで私たちが観戦した試合は、当時のスターも揃い踏みの好カードで、千両役者が千両役者らしく仕事をした上で、地元ローマが2-1と逆転勝ちする最高の展開であった。しかし、私の記憶に残っているのは、R・バッジョやT・ヘスラー、ジャンルカ・ビアリや「プリンシペ」G・ジャンニーニといったキラ星の如く眩い選手たちのスーパープレーではなく、スタジアム入場ゲートの銃を構えた警察官によるボディチェックであり、ローマサポーターの集まるゴール裏から発せられたオレンジ色と赤の発煙筒の煙であり、スタジアムの一角に隔離されたユベントスサポーターと、ローマサポーターとが盾を持った機動隊を挟み、座席の椅子を取り外して、フリスビーのように相手サポーターエリアへと投げ込みあっている光景だった。

しかしながら、発煙筒の煙で私たちの席からではGKの姿が見えにくくなっていたり、スタンドの一角では凶器(椅子)を互いに投げ合ったりするほどの事態となり、それによって血を流しているようなサポーターもいるのに、ピッチ上で行われている試合には、それらから何の影響を受けることもなく、陸上トラック付近でスタンド側を監視する警察官の連れたシェパードだけが、猛烈な勢いで吠えまくっているのだ。

あれから四半世紀 Jリーグの光景は

あれから四半世紀の時が経ち、Jリーグのスタジアムでもその光景としては、あの時のスタディオオリンピコで見た世界に近いものも見ることが出来るようになった。

もちろん、派手な発煙筒を焚いたり、座席の椅子を投げ合ったり、銃を構えシェパードを連れた警察官がスタジアムにいることは無いにせよ、マチズモの象徴であるような勇敢な横断幕が掲げられ、威勢のいいサポーターグループがゴール裏の中心で、チームを鼓舞し対戦相手を卑下するような光景は日常にもなっているし、それがJリーグサポーターのステレオタイプとして確立されていると言ってもいいだろう。

そして、そうした光景、そうした空間に、かつての私が心を強く惹きつけられていたように、一定のJリーグファン・サポーターにとって非常に魅力的なものとして映り、その当人たちにとってはある種の誇りとなっていることも十分に理解出来る。

しかしながら、現在のセリエAの凋落を見ても、あのような世界がある一面においては非常に刹那的でもあり、イタリアを含め世界のあらゆるサッカースタジアムで起きてきた悲しい出来事を生み出す土壌となっていったと考えるのは、それほど突飛な考えであろうか。

Jリーグはその歩みを選んでいけるはず

Jリーグにとって、サポーターがスタジアムで創り出す光景、空間が、その魅力を強く訴えるものとして、多くの新たなファンを迎え入れてきたと私は思っている。かくいう私自身が日立台で初めて柏レイソルのゴール裏を見た時に「そこに入っていきたい」という思いが生まれて、今現在もゴール裏に通っているのだから、これ以上に説得力のある話もないだろう。

ただし、そうであったとしてもこの魅力は決して万能だとは言えないことも私は認識するようになった。それはこれまでに何人かの友人・知人をスタジアムへ誘い出そうとした、あるいは誘い出しともにスタジアムで一時を過ごした際に、必ずしも私が抱いたのと同じような感情を持ち得なかった人がいたことを実感し、気がついたことにも起因している。

だからと言って、今あるJリーグの姿、ゴール裏を含めたスタジアムの光景を一晩にして著しく変貌させたいと思っているわけではないし、そんな劇的な変化を起こしてしまえば、現在いるJリーグファン・サポーターに大きな喪失感を与えてしまうことになってしまうだろう。

つまり、何が言いたいかといえば、サッカースタジアムが持ってしまいがちな風潮、サポーターたちが気づかぬうちに抱いてしまいがちな感情、そうしたものが得てして争いを誘発しやすく、集団が大きければ大きいほど、それが他者を傷つけることへも繋がっていきやすいということを戒めにも似た気持ちで、心に刻んでおく必要があるのではないかということだ。

ローマの人々が創り出したスタジアムの光景は、あの混沌とした街であるからこそ、あの姿であり続ける以外に道はなかった。しかし我々は違う。Jリーグはその歩みを選んでいけるはずだ。

私はあらゆるJリーグスタジアムで、応援するチームへの愛が、対戦相手への憎しみへと置き換わっていく瞬間を何度も目にしているし、私自身もそういう心理に陥ってしまうことも多い。だからこそ、自らをセーブする必要性を感じるし、そうすることがJリーグの、日本サッカーの未来を担保するものになっていくはずだと信じてもいる。

そしてこうした自制心は、何もサッカースタジアムだけではなく、他者とともに社会を生きていく上で、欠かせない要素であるようにも思う。

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