25年前 人生初めての海外はミュンヘン
私が初めて外国旅行をしたのは、大学4年生の卒業旅行の時だったが、ヨーロッパの数か国を鉄道で移動する旅のスタート地点は、ドイツのミュンヘンだった。
もちろん、この地を旅のスタート地点とした理由は、バイエルンミュンヘンの存在を抜きには考えられなかったし、当時(1990年代初め)はまだバイエルンの試合であってもミュンヘンオリンピックスタジアムが満員にならないことも多かったとはいえ、Jリーグ誕生前の日本サッカーで育った私たちにとっては、そこから眩いほどの輝きを感じていた。
衝撃を受けたトルコ系移民の多さ

初めての海外、初めてのヨーロッパは、若い私にとってその全てが刺激に満ち、見るもの全てが新鮮に映っていた。
石畳の道路、巨大な聖堂、街を走る路面電車、新入社員時代の研修レポートでは「最近驚いたこと」というテーマに対して、ミュンヘンの街で見た身体障碍者用具(車椅子や杖など)の洗練されたショーウインドや、積極的に街に出ている障碍者の姿について書いた記憶がある。(現在の日本では決して珍しいものではないが、当時の私はミュンヘンに行って、こんなに大勢障害者が街で暮らしているのかと本当に驚いた。今にして思えばインフラも含め日本よりかなりバリアフリーも進んでいたはずだ)
そんな風に街にある風景のひとつひとつに衝撃を受けていた私が、この時に認識を改にしたのがドイツに暮らす移民の多さだった。
ファーストフードに入れば、そこの店員は大抵がトルコ系の若者だった。
私の拙い語学力では彼ら自身がドイツにやってきた若者だったのか、ドイツで生まれ育った移民の子であったのか、そこまでは分かるはずも無かったが、カネのない貧乏旅行をする学生が行く先で出会うのは大抵がイスラム系やアフリカ系の顔をした人たちだったことを記憶している。
今でこそドイツ代表の選手のルーツも多岐に渡り、アフリカ系の選手やトルコ系の選手がいるのが当たり前に感じられるかも知れないが、少なくとも当時の私の頭の中にはドイツ社会の中にイスラム系やアフリカ系の人たちがこんなにも入り込んでいるという認識は存在しなかった。
メスト・エジルがドイツ代表引退表明
メスト・エジルがドイツ代表からの引退を表明した背景は、彼の国においても移民が社会的弱者であることを露呈しているように私には見えているが、エジルの代表引退表明文の中で彼が書いたこの一節を読むと、何とも言えない悲しい気持ちにもさせられる。
僕がドイツ人に映るのは僕たちが勝ったときだけで、負ければ移民に映る。
言わずもがな、エジルは2010年W杯南アフリカ大会でその才能を世界に見せつけ、2014年W杯ブラジル大会優勝メンバーにもなった世界屈指のスーパースターだ。
そんなエジルにこんな言葉を書かせてしまった原因が、ドイツ国内の政治的背景を多分に孕んでいることは言うまでもないことだが、こうした人間のルーツや信条、宗教の違いに対する「意図的な攻撃」にサッカーが利用され、時にはエジルのような誰もが認めるスーパースターですら、その標的とされてしまう可能性があることを我々は理解しておいた方がいい。
アフリカ系移民抜きには考えられないフランス代表
W杯ロシア大会の優勝チーム、フランス代表はまさに移民プレイヤー抜きには考えられない。
若きスター、エムバペのルーツはカメルーンでポール・ポグバのルーツはギニア、エンゴロ・カンテはマリ代表に選ばれる可能性もあった選手。
ここに挙げた3人だけでなく、そのメンバーを見ればアフリカ系移民でない選手の方が圧倒的に少ないし、フランスサッカー史上最高のスター選手である、かのジネディーヌ・ジダンの両親は1950年代に起きたアルジェリア独立戦争の頃にパリへ移住してきたアルジェリアの少数民族ベルベル人だ。
「移民の是非」ではなく「スーパースターが見られなくなった事実」を考えたい

私はこうした実情が世界中に存在していることに対して、その是非を論じるつもりはない。
何故なら、フランス代表に黒人選手が多いのも、ドイツ代表にトルコ系選手がいるのも、イタリア代表でバロテッリがプレーしたのも、日本代表で李忠成がプレーしたのも、その全てが社会の求めに応じた必然によって起きた現象だと考えているからだ。
ドイツ社会にトルコ系移民が誕生したきっかけは、1960年代に労働力の枯渇していたドイツが「招待移民」として外国人労働者を多く受け入れたことであるとされている。
もっと古い話をすれば、スコットランドの強豪セルティックは、アイルランドで起きた大飢饉を逃れグラスゴーへ移り住んだケルト人移民の子どもたちに対して、アイルランド系修道士が行った慈善事業がクラブの始まりだとされている。
波紋を広げているメスト・エジルの代表引退について、彼の主張の正誤を論じることに大きな意味はない。
繰り返すが、この一件がドイツ、あるいはヨーロッパで一定の権力を持つ「移民排斥」のプロパガンダに利用されているという事実と、それによって我々のスーパースターがプレーする場を制限されてしまったという悲しい現実。そしてこの2つの要素が、世界中のどこにでも起きる可能性があるということを我々は十分に理解しておきたいところだ。
W杯ロシア大会で、世界中の素晴らしいサッカー、素晴らしい選手のプレーを目にし、改めてフットボールの奥の深さ、そこから生まれる喜びを実感した今だからこそ、それを奪おうとする勢力に対しては抗う気持ちを持っていたい。