サッカーを詳しくない私がそんなことを言ってはダメでしたね

地上波の民放ニュース番組でも、このW杯期間ばかりは連日のようにその話題が何らかの形で取り上げられているようだ。
今日も車を運転しながら流していた夕方のニュース番組で、柴崎岳結婚の話題からクロアチア代表の決勝進出がいかに驚くべき出来事であるのか(サッカーファンはそうは思っていないだろうが)まで、幅広く結構時間を使って取り上げていた。
若い女性アナウンサーが
「私もニワカサッカーファンですが、本当に夢中になって見ていたので、もうそれが終わってしまうかと思うと寂しいですね」
と話せば、それを受けた男性アナウンサーが
「日本代表の選手たちは本当に頑張ってくれましたからね!でも、もう新たな場所で練習や試合がはじまってしまうのは少し気の毒です、ちょっとでもいいから休暇を取らせてあげて欲しいですね。」
とある意味ではありきたりな反応をしていたのだが、彼はこの言葉を口にした直後、やや皮肉めいた口ぶりでこう言った。
「サッカーを詳しくない私がそんなことを言ってはダメでしたね」
サッカーファンはマニアックで偏屈

彼が何故自らの言葉に敢えて「ダメだし」をしたのか、恐らくはこのW杯期間中に彼らが様々な関連番組を放送してきた中で、少なからずその内容や出演者の言動についての「批判」「クレーム」といったものが放送局にも寄せられていたのかも知れないし、彼自身の中で「サッカーを詳しくない」自分が、サッカーについて語る時にはやや注意が必要であることを実感として認識していたのかも知れない。
もちろん、この一言だけで何か結論めいたことを言うのはおかしな話なのかも知れないが、私はこの夕方のニュース番組から聞こえてきた彼の言葉から、「サッカーファンはマニアックで偏屈である」というややネガティブなイメージが、このロシア大会の期間中に随分浸透してしまったのかも知れないと感じてしまった。
サッカーファンの心は理解不能?

大会直前のハリルホジッチ解任騒動から、ロシアでの日本代表の躍進に至るまで、今回のW杯ほど見る側の感情が大きく揺れ動いた大会は無かっただろう。
「日本サッカー協会憎し」「田嶋幸三会長憎し」から「日本代表を応援する気になれない」「今大会は負けるべき」という意見すら目にする中、コロンビアに勝利し、セネガルに引分け、と日本代表が躍動するにつれ「この大会でいくら勝ってもそれは将来につながる成果は得られない」という意見も良く目にした。そして決勝トーナメント進出のかかったポーランド戦の残り10分での西野監督の判断についても、その賛否が連日に渡って議論され、ベルギーとの決勝トーナメント1回戦についても、2-0のリードを守り切れなかった日本代表に対しては、少なからず批難の声も上がっていた。
これらを時系列で追っていけば、その時々のサッカーファンの反応はそれぞれに理解出来なくもないが、おそらくW杯だからサッカーを見ていた人、あるいはワイドショーやニュースショーでW杯が取り上げられているから少し関心を持った人、言うなれば既存のサッカーファンをはるかに凌ぐ規模のそうした世間一般の人たちからしてみれば、サッカーファンがどうして「日本代表を応援する気になれない」と言っているのか、「勝っても将来につながる成果は得られない」と言っているのか、おおよそ理解不能なのだと思う。
サッカーファンはもっと大らかであっていい
サッカーファンの心が理解不能な世間一般の人たちは、自分たちの言葉や考え方のどの辺りがサッカーファンの琴線に触れる場所なのか分からないので、特に表に出て話す機会のある人にとっては「サッカー」や「W杯」の話題が、必ずしも時世の挨拶として使いにくい状況にもあるかも知れない。
だから、女子アナウンサーは自分のことを「ニワカサッカーファン」と言って「自分が口にすることは真に受けないでくださいね!」と保険をかけ、男性アナウンサーの口からは「サッカーに詳しくない私が」という言葉が出てきてしまうのだろう。
日本サッカーはこれからもっともっと関心を持ってくれる人を増やしていかなくてはならない。
それは単純な拡大志向に基づいた発想ではなく、既に広げてしまった大風呂敷がある手前、その世界を今後も長く継続していく為には、必須条件でもあるのだ。

「サッカーファンはマニアックで偏屈」
こんなイメージが世間一般に定着してしまえば、新たなファンがサッカーの世界に入ってきにくい状況をも生み出しかねない。
これは自戒も込めて、サッカーファンはもっと大らかであっていいし、いい意味でもっと「だらしなくて」いいとも思う。
これからのサッカー界の命運を握っているのは、もの凄い数で日本中に存在する「ニワカサッカーファン」であり、彼らに更なる関心を持ってもらわない限りは、この先の日本サッカー界は間違いなくジリ貧になっていく。
少なくともサッカーは、4年に一度ペースではこの国を熱狂させる力を持っていることを、このロシア大会で改めて実感された方も多かっただろう。
サッカーにはそれだけの力がある。
あとは我々サッカーファンが、その「マニアック」さをどれだけ世間と共有出来るかにかかっているだろう。