ワールドカップ日本代表応援が「楽しかった」人たちをJリーグへ!

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「肩入れして応援すること」

そもそも、これほどサッカーに執着するようになってしまったのは単純に「楽しかった」という思いがいつもそこにあったからだ。

私の場合は長くサッカーを現地観戦する機会を持てない期間があったものの、それでも少年時代にサッカースタジアムで過ごした最高に楽しい体験が根っこにあって、そこに加えて昨年日立台で偶然に「肩入れして応援する」という楽しみ方を身につけてしまったことで、ついにはサッカー観戦することがすっかり日常の中心になってしまった。

 

私にとって4年に1度だった「肩入れ応援」

もちろんこれまでも「肩入れして応援する」機会はあった。

日本代表が戦うW杯予選を現地で応援したこともあったし、W杯の日本代表戦はほとんど全試合を生中継で観戦してきた。

だから明らかに旗色の悪い対戦相手との試合であっても、日本が勝利する数パーセントを信じてテレビの前で絶叫もしたし、選手たちの闘争心を見ることに喜びも感じていた。

そしてそんな風に代表戦と向き合うことが楽しいからこそ、毎度のように冷静な視点を見失ってまでも同じことを繰り返してしまうのだ。

しかし、それも実際には4年に1度の楽しみであった。

 

「肩入れ応援」しがいのあったロシア大会の日本代表

それにしても、ロシア大会における日本代表の試合には本当にワクワクさせられた。

初戦の開始3分でいきなりクライマックスが訪れ、セネガルを相手にすれば2度も同点に追いつく意地を見せられ、決勝トーナメント進出を賭けたあの「10分間」には心臓が飛び出しそうなほどの思いをさせられた。

ベルギーに大逆転を喰らったことで日本代表のロシアでの戦いは終焉を迎えてしまったが、それでも今大会の日本代表からは闘う男たちの勢いを感じられたし「肩入れして応援」しがいのあるチームだったと思う。

日本代表の戦いに「熱くなった」人たち

大会直前に前任監督を突然解任したことで、ロシアに挑む日本代表を見る目はこれまでのW杯とは比較にならないほど冷淡なものだった。

それでも、初戦に勝利したことでその潮目には少しずつ変化が現れ、決勝トーナメント1回戦の段階では日本全体が日本代表を応援しているかのようなムードが出来ていった。

「熱しやすく冷めやすい」日本社会の特性を表してこう表現されることも多いが、そこで「熱くなった」人たちの中には、新たにサッカーと遭遇した人も少なからずいたはずだ。

そうした新たにサッカーと遭遇した人たちは、何も日本代表を応援することを強いられて「熱くなった」のではなく、応援するという行為、その気持ちの高まりが「楽しい」と感じられたからこそ、深夜に目を覚まして「旗色の悪い」試合を画面を通して観戦したのだろう。

そして、この楽しかった二週間が突然にして終わってしまったことに、切なさや寂しさを感じているかも知れない。

私自身が日本代表にしか「肩入れして応援」出来ていなかった頃は、W杯で日本代表が敗れると同時に、言い知れぬ喪失感に苛まれてしまっていた。

特に前回のブラジル大会では、第2戦のギリシャ戦に引き分けた時点で、その喪失感は「急激な無関心」を連れて来てしまい、第3戦のコロンビア戦は見る気持ちも起きなくなってしまっていた。

今にして思えば、W杯はお祭りであって、決勝トーナメント進出の可能性が潰えたとしても、その舞台で戦う選手たちを「肩入れして応援」すればそれなりに楽しい気分にはなれたのだろうが、当時の私は「肩入れして応援」することが実は相当に楽しいサッカーの要素であるなどとは想像もしていなかった。

「肩入れ応援」は相当に楽しく、敷居も高くない

とかなり前段が長くなってしまったが、私がここで言いたいのは、日本サッカーにおいてW杯の意義が生み出されるのは、まさにこれからであるという事。

巷では早くも日本代表の次期監督についての話題が語られているが、そうした話より何倍も大切なのは、今大会で初めて、あるいはW杯の時だけ「熱した」人々をいかにして日本サッカーの日常へと誘っていけるかであろう。

テレビ視聴率が深夜にもかかわらず30%台、40%台という異常数値を記録していることからも、この「熱くなった」人々は、既存サッカーファンとは比較できないほどの規模で存在していることが推測できる。

その全てをサッカーファンにしてしまえるわけではないが、「肩入れ応援」することに楽しさを見いだせた人たちであれば、その「楽しみ方」をリーグのスタジアムでも十分に堪能することは出来るだろうし、そうした人たちはサッカーに限らずあらゆるスポーツ観戦を楽しむことの出来る「素地」を持っている人たちだとも言える。

今後の日本サッカー協会の在り方、ロシア大会を通しての総括、未来の代表選手のための育成改革、こうした「サッカー論」に関心が深い人々もいるのだろうが、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチをしていた若者や、お洒落なスポーツバーで同僚とちょっと熱くなっちゃったサラリーマンや、寝不足覚悟でテレビ観戦をした親子、こうした人々にこの「肩入れして応援」で「熱して」しまう場が、日本中に存在していることを伝えるのに、W杯ほど適した時期はない。

 

恐らく彼らは今、寂しい思いでロシアから伝わってくるブラジルやフランスの戦いを受け取っているはずだ。

あの最高に楽しい時間を過ごすのには、これから4年間も待たなくてはいけないのかと、失意にも似た感情を抱いているかも知れない。

勿論、W杯を戦う日本代表の姿を見るためには、あと4年待っていなくてはならない。

しかしあの最高に楽しい時間、つまり「肩入れして応援」する楽しさは、毎週のように日本中で堪能出来るのだ。

イニエスタ、スタグル、マスコット、イベント、ETC

これらが人を呼び込むこともあるだろう。

ただし、既にJリーグに夢中になっているサッカーファンは自覚してもいいかも知れない。

「肩入れして応援」することこそが、実は相当に楽しいサッカーの要素で、しかもそれほど敷居が高くないことを

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