関東サッカーリーグ東京23FCのホームゲーム開催は、まさにその日を待ちわびていた人々にとって祝祭の場であったのだろう。
有料試合でありながら1500人以上の観客がホーム「江戸川陸上競技場」に集まり、それを迎えるクラブ側も出来得る限りの心配りをしている。
メインスタンド裏にはスタジアムグルメの店舗やクラブグッズを販売するブースが立ち並び、そこに見られたのは間違いなく「祭り」のそれであった。
東京23FCの「ウルトラス(コアなサポーターグループ)」メンバーは、スタンドにひしめく観客を前に「明けましておめでとうございます!」と叫んでいる。(これはJリーグのサポーターがホーム開幕戦で使う常套句でもある)

リーグが開幕して以来負けなしで、そのド派手な補強が確かなものであることを証明しつつある栃木ウーヴァFCがこの日の対戦相手であったことも、祭りのムードを一層盛り上げる要因であったことは間違いない。「デカモリシ」森島康仁選手(栃木ウーヴァ)「バウル」土屋征夫選手(東京23FC)といった、およそ地域リーグには似つかわしくない千両役者が揃っていることで、この日初めて関東リーグの試合会場を訪れたサッカーファンもかなりいたはずだ。
私はこんな「祝祭」の場を 自身初体験となる実況ブースで堪能した訳だが、「東京23勝手に実況隊」の実況放送に参加したこと以上に、そこから眺める全ての光景に言い知れぬ懐かしさのようなものを感じていた。
関東リーグに感じた「サッカーの古き良き時代」

Jリーグがスタートするまで、日本のサッカーは「日陰の存在」であった。
日本代表の試合であっても国立競技場が満員になることは奇跡的なことで、それが日本リーグにおいてであれば推して知るべし。
だから私は国立競技場のような大きなスタジアムで行われる閑散とした試合より、西が丘や駒沢競技場といった比較的コンパクトなスタジアムで開催される日本リーグの試合の方が好きだった。
当時はどれくらいの観客がそこに集まっていたのだろう。おおよその感覚としてはせいぜい2~3000人といったところだったと思うが(晩年の読売クラブだけは1~2万人集めることが出来ていた)現在のJリーグと比較すればそこにあるのは「牧歌的」なもので、それだけに少年だった私達にとっては格好の遊び場でもあった。
スター選手たちに「遊んで」もらった想い出

観客やサポーターとチームとの距離感の近さも、関東リーグにある光景に限りなく近く、日本リーグが純然たるアマチュアリーグで、今ほど「ファンサービス」の意識が高くはなかったとは言え、それでも選手たちは間違いなく憧れの存在で、出待ちをしてはサインをもらい、無理矢理に名前を覚えさせたり、食べているお寿司をくれとせがんだり、車に乗ってしまったり、シャワールームにまで侵入してしまったり、、、当時のスター選手たちにずいぶん「遊んで」もらった。(川添孝一さん(当時三菱)には怒られた記憶もある、理由は忘れてしまった)
こうした日本リーグにあった世界は、私にとって代えがたい想い出で、中年になった現在に至っても「サッカー観戦」をこれだけ好きでいられる大要因は、あの頃いつもスタジアムでワクワク出来ていたからに他ならない。
そんな私にとっての「古き良き想い出」を計らずも地域リーグで再体験しているのでは。
そう感じ始めたのはつい最近のことで、この日江戸川陸上競技場を包んでいた「祝祭」のムードがそれを確信に変えた。
浦陸のスタンドで都並さんと「再会」す

そうした思いを確かめつつ、江戸川陸上競技場から車で15分程度の場所にある浦安陸上競技場へ「関東リーグのはしご」を決め込んだ私に、この日もうひとつの出会いが生まれる。
この日行われていた「ブリオベッカ浦安対VONDS市原FC」は、前の週末に行われた天皇杯千葉県代表決定戦と同じカードで、結果的には前回に続いてVONDS市原が完勝することになったのだが、試合が終わってスタンドを後にしようとした時、この日感じてきた「懐かしさ」にダメを押すような方の顔が見えてきたのだ。
都並敏史さん。
「狂気のサイドバック」との異名も持つ、言わずと知れた日本サッカー界きっての名選手。いわゆる「ドーハの悲劇」はサイドバック都並敏史が万全な状態にあれば起きなかったとさえ言われている男。
現在は様々なサッカーメディアでも活躍され、多くのサッカーファンに非常に良く知られたお人であるが、そんな都並さんはブリオベッカ浦安のテクニカルディレクターもされている。
こうした背景から、都並さんが浦陸のスタンドにおられたのは当然なことでもあるのだが、私は関東リーグの現場で都並さんを見かけたのは初めてだったので、思わず都並さんに近づき話しかけてしまった。
というのにも理由があって、実は私は都並さんに話しておきたいことがあったのだ。
先に「日本リーグ時代に選手の車に乗ってしまった事がある」と書いたが、この選手が都並敏史さんだった。
私は挨拶もそぞろに、かつて自分が都並さんの車に乗り込んだ旨を告白した。
都並さんは私の「私はサッカー小僧でした」という言葉に対し「俺もサッカー小僧だったんですよ!」と答えて下さり、続けてこんなエピソードを聞かせてくれた。
「サッカー小僧」都並少年

少年だった都並さんは、かつての私たちがそうであったように西が丘のゴール裏で三菱の試合を観戦していた。当時三菱のGKは田口光久選手。ご存知ない方もおられるかも知れないので少し説明すると、田口光久選手と言えばそのズングリとした体形とユニークな人柄から、子供たちから絶大なる人気のあった選手なのだ。
そんなGK田口選手に対して都並少年は、ゴール裏から相当悪戯なヤジを投げかけていたそうだ。普通であれば選手はそんな子どものヤジには反応などしないのだろうが、田口さんは違った。都並少年のヤジに面白おかしく応戦してきたと言うのだ。
それから数年後、都並少年は読売クラブでサッカー選手としての頭角を表わし始め、とうとう代表チームのGKだった田口選手と顔を合わせる時がくる。
「あ!お前、あの西が丘の小僧!!」
田口光久選手は都並少年のことをはっきり覚えていたそうだ。
選手の記憶に残るほどの「イジリ」とはどれほどのものであったのか。それを想像するだけで何だか笑みがこぼれてきてしまうが、こうしたエピソードを以て都並敏史さんは自身を「サッカー小僧」だとおっしゃっていた。
この良き世界を継続していくために

恐らく、現在の関東リーグの世界には、かつての都並少年やかつての私のような「古き良き想い出」を刻んでいる真っ最中の少年少女が沢山いるはずだ。
そして彼らは、幼き日に感じた「サッカー選手との素晴らしき日々」を胸に刻んで大人になっていく。
こうした状況は、現在のJリーグにはなかなか作り出しにくい文化であるのかも知れないし、そういう意味でも地域リーグが果たしていく意義は大きいように感じる。
どこか「牧歌的」で「人間味に溢れた」世界。
1500人もの観客が集まる光景があれば、そこでプレーする選手は子どもたちにとって間違いなく憧れの対象となっているだろう。
ただ、そう思う一方で、この「懐かしき」世界が決して盤石ではないという思いも強い。
今回一緒に実況席に座った「錦糸町フットボール義勇軍」オットナー参謀長は、中継に入る前こんなことを話していた。
「今ここに見えている人の中で、純粋にサッカーだけで生活が成り立っている人がどれだけいるのか」
関東リーグ全体で見れば、選手のほとんどはプロではないし、クラブの職員も専任でやられている人はほんの一握りに過ぎない。試合の運営についても善意のボランティアの方々がいなくては成立させることは不可能だし、そもそもネット配信で試合の実況中継を行っている「東京23勝手に実況隊」の方々も他に本業のある方々だ。
その世界を長く維持させていくためには「それで生計を立てられる」状況にある人をもっと増やしていかなくてはならない。
こうした状況は、決して地域リーグだけに限ったことではなく、J3や下手をすればJ2であっても同様のことが言えるだろう。
今いる「サッカー小僧」そして未来の「サッカー小僧」が思いきり遊べる場を絶やしてはいけない。
東京23FCのホーム「江戸陸」から、ブリオベッカ浦安のホーム「浦陸」にハシゴしたこの日、私はその思いを強くした。
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