私はこの戦いに何を期待していたのだろう。
「痛快な意趣返し」だったのか、それとも「残酷な仕打ち」だったのか。
いずれにせよ、そうした劇的な決着を見ることは出来なかった。
「因縁試合」ザスパ対tonan

群馬県サッカー協会長杯決勝。
天皇杯群馬県代表決定戦を兼ねたこの試合で対戦した両者は、昨シーズンのJリーグにおいて大きなトピックスにもなった「ザスパ騒動」の当事者同士であり、両者の戦いは「因縁試合」と呼ぶに相応しい試合でもあった。
2003年1月に行われた関東リーグ入替戦の勝敗を以て、その後のザスパクサツ群馬(当時クラブ名 ザスパ草津)とtonan前橋(当時クラブ名 図南SC)の歩む道は光と影にあったとも言える。
tonan前橋が群馬県リーグからの再スタートを余儀なくされた一方で、ザスパクサツ群馬はJFL昇格シーズンにJリーグ入会が承認され、2005年にはJリーグクラブへと成長を遂げたのだ。
この歴史を顧みた時に、現在に至っても存在する群馬サッカー界の歪みのスタート地点とする見方もあるようだが、それが事実か否かについてを論じるよりも、この2つのクラブが描く未来図が共存しうるものであるのか、これこそが最も大きな難題として今後も降りかかってくるような気もする。
元GMの「悪事」

tonan前橋の代表にして、創設期からこのクラブ運営に関わってきた菅原宏氏は、昨シーズンまでザスパクサツ群馬のGMをも兼務していた。
カテゴリーこそ違えど、Jリーグ参入を目標としているクラブの代表者が、よりによって同じ県内のJリーグクラブの経営に参画するという事実に対しては、倫理上の問題が度々指摘されていた。(2つ以上のJリーグクラブの経営をするのは禁則となっているが、菅原氏のこの場合の兼務についてはその限りとはされていない)
菅原氏は前橋市サッカー協会の重鎮でもあり、県サッカー協会においても要職についており、群馬サッカーの顔とも言えるザスパクサツ群馬の経営方針を自らの思うままに進めることは容易かったはずだが、それが全てにおいて「悪事」であったと言うつもりはない。
しかしながら、その「複雑」な立場が成立してしまったことで、菅原氏のプライオリティの置き処については、批難の声が絶えなかったのは事実だ。
中でもザスパクサツ群馬とtonan前橋の間で横行した「選手ロンダリング(私が勝手に名付けた事象)」は、ザスパクサツ群馬が昨シーズンのJ2リーグで苦難の戦いを続けていたこともあって、それを主導したとされる菅原宏GMに矛先が向いた。
Jリーグクラブであるザスパクサツ群馬が獲得した選手を期限付き移籍という形でtonan前橋へ「ロンダリング」するという手法は、tonan前橋や国体の群馬県代表チームを「一時的に補強」する手段として多用され、見方によっては関東リーグを戦うクラブが獲得出来ないようなレベルにある選手たちを「ザスパ」の名を借りておびき寄せたようにも見えてしまう。(実際にこの扱いに不満を持ち契約解除した選手も出てくることになった)
かくして、追いやられるようにしてザスパクサツ群馬の経営から離れることになった菅原氏だが、彼が依然としてtonan前橋の代表であり、県サッカー協会の要職にある状況には変わりなく、ザスパクサツ群馬がJ3リーグに降格したことによって実現した両者の真剣勝負の場は、他に類を見ないような「因縁試合」の意味合いを帯びていった。
「最も負けたくない相手」との戦い

試合は非常に激しいものになった。
「J3のザスパが関東2部のtonanを迎え撃つ」といった甘いムードは微塵も感じられず、互いが「最も負けたくない相手」と戦っている。そんな風に見えるゲームであった。
美しいパスワーク、華麗な個人技、目を見張るようなトリックプレー、この試合においては、そうしたサッカーの華々しい場面をほとんど見ることは出来ない。あるのは、相手を抑えつけてまでも高く飛ぼうとする空中戦や、相手の足ごとかっさらうようなファールすれすれのタックル。
イエローカードが何枚も警示され、数百人集まったザスパサポーターのボルテージも高まっていく。
1-1のまま延長戦に突入すると、そこには何としてもPK合戦を避けようとする両者の姿があった。
「この試合は引き分けてはいけない」
そこにいた全ての選手、全ての観客がそう思っていたかも知れない。
引き分けで終わってしまえば「痛快な意趣返し」も「残酷な仕打ち」も見ることも見せることも出来ないのだ。
この試合で「決着」を見ることが出来るのか

昨季、正田スタジアムのゴール裏を埋めたあの沢山の横断幕。
「SOS」というザスパサポーターの悲痛な叫びは、多くのJリーグファン、サポーターの心を絞めつけるのに十分だった。
『この試合は、あの騒動に対する「決着」の意味を持っている』
無意識のうちに私はそんな風に思っていたようだ。
ザスパクサツ群馬はPK合戦に勝利し、天皇杯の群馬県代表チームとなった。
ただし、ザスパクサツは90分でも延長戦に及んでもtonan前橋を倒すことは出来なかった。そしてその勝利からは「痛快な意趣返し」の様相も感じることが出来なかった。
私のように、この「因縁試合」に何らかの意味を見いだそうとしていた人たちは、恐らく私と思いを同じくしているだろう。

しかし、こうしたことは人生の中でよくある事であるのかも知れない。「0か1か」「白か黒か」こんな風に全ての物事が分かり易く綺麗に結論を出してくれるわけではない。いや、むしろ結論が出る方が稀だとも言える。
「ザスパ騒動」の渦中にあった菅原宏氏にしても、彼の行ってきたことの全てが「白」とも「黒」とも言えないのが実態であろうし、言って見れば群馬サッカー界で起きたことは日本サッカー界の縮図でもあり、もっと言えば日本社会全体の縮図であると考えることも出来るだろう。
今シーズン、ザスパクサツ群馬がJ3リーグで厳しい戦いを強いられている一方で、tonan前橋は来季の関東1部昇格を射程圏に入れた安定の戦いぶりを見せている。
5年後、10年後に両者の立ち位置、パワーバランスがどうなっているのか。
群馬県のサッカー界がどんな世界になっているのか。
そこに著しい変化が起きていたとしても「因縁の決着」はそうそう簡単にはついていないだろう。
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