【カターレ富山】それで観客が増えるのならば「応援ボイコット」はドンドンやるべき

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とどのつまり、Jリーグクラブとしてその「資格」を測る唯一の指標は観客動員数にあると言っていい。

クラブのメインコンテンツであるリーグ戦の会場に1人でも多くの観客を集め、そこが「祭りの場」として認知されることで、ヒト・モノ・カネを集める可能性を広げていく。

そうして集めた資産を投資し続けることで世間の関心を掴み、クラブはその価値を高めていく。

Jリーグを戦うクラブは、こうしたサイクルが上手く行こうと行くまいと、黒字経営を継続していかないと「ライセンス」を剥奪されてしまう為、観客をスタジアムに集めることが出来ていないほとんどのJリーグクラブが「責任企業」によるバックアップに大きく依存する経営状態となっている。(J1クラブであってもこうした構造は存在する。J2やJ3クラブの多くとは単に大企業が責任企業であるかどうかの違いだけ)

何でこんな風に書きはじめたかと言えば、Jリーグクラブという冠があることで、その存在の理由、価値、未来図の描き方など、クラブが進んで行く方向性についての発想があまりに脆弱で、それに「付き合って」しまっているファン・サポーターがあまりに多いと感じているからだ。

ウソでしょ「ブラック状態」からの脱出の切り札はJ1昇格?

ホームゲームに5,000人程度の観客を集めることも出来ないサッカークラブが、世間一般はもちろん、そのクラブが存在する街から大きな関心を集める存在であるはずもないし、そうであるからJ3の選手たちへの報酬は大学生のアルバイト以下、クラブの職員も「修行」と思って数年は我慢出来ても、長くこの業界にいることは生活が成り立たないので叶わない。そんなブラックな体質がリーグ全体に蔓延している。

本来はこうした業界体質の改善をリーグ全体で取り組むべき問題であるのかも知れない。現場レベルに問題解決に向けてその全てを委ねていれば、スポンサー企業や責任企業に依存しきった多くのクラブの経営体質を打開する方法として「カテゴリーを上げていくこと」つまり「J2昇格」や「J1昇格」にすがっていくいう発想につながって行きやすいからだ。

これがいわゆる「Jリーグ原理主義」と言うものであるが、現在54にまで増えたJクラブの中でそのほとんどのクラブがそれに執着し、ファンやサポーターの多くもそれこそが唯一の価値観とばかりに盲信してしまっている。

Jリーグ54クラブの中で、純粋に独立採算によって経営利益を生み出せているのは唯一、浦和レッズだけだ。それなのに「J1に上がれば何もかもが変わる」と思い込んでいる。

つまりカテゴリーを上げれば上手くいくという発想自体がファンタジーだとも言える。

全てのJクラブが本来目標とすべきは「観客を増やすこと」であり、カテゴリーを上げたことで増えた観客など、再び降格でもすれば簡単に離れてしまうことなど分かりきったこと。多くの日本人が「Jリーグ原理主義」あるいは「勝利至上主義」といった価値観しかスポーツに対して持てていないのだから、こうした現象が起きるのは当然といえば当然でもあるのだ。

ならば、現状では中心に存在しているスポーツに対するそうした価値観に、他の価値基準をプラスしていくことで、カテゴリーに左右されずに観客動員数を維持、拡大させていくことが出来るかも知れない。

応援ボイコットの根底には「Jリーグ原理主義」がある

カターレ富山のゴール裏サポーターが、ホームの対ブラウブリッツ秋田戦で応援ボイコットしたことについても、彼らの中心にいる人たちがいかに「Jリーグ原理主義」に陥っているかを示しているとは言えないだろうか。

カターレ富山はJ3の中でも観客動員数はずっと下位に推移しているし、彼らが最も観客を集めていたのはJ2だった(と言っても当時J3は存在しなかった)2013シーズンだが、この年はJ2に降格してきたガンバ大阪戦で13,639人という規格外のクラブ最高観客動員記録が生まれた年でもある。また特筆すべきは、彼らがJリーグ昇格を目指してJFLを戦った唯一のシーズンでもある2008年に記録した平均観客動員数は、J3降格して以降の平均観客動員数よりも高い水準だった。

当時JFLの強豪チームだった北陸電力とYKK APが合併して2007年に出来たカターレ富山は、他のJ3クラブと比較しても営業収益は決して小さくない(と言っても浦和レッズの10分の1にも満たない)が、スポンサー収入の比率が比較的高い。入場料収入はほぼ観客動員数にリンクしているので、J3の中では少ない方に入ってくる。

こうした実態が何を意味しているかと言えば、カターレ富山は経営難のクラブが揃うJ3の中においても、スポンサー企業による資金支援への依存傾向が強いクラブであるいうこと。私が見たデータは2017年1月度決算数値なので、YKK APの文字がユニフォームの胸から右肩に小さく移動した今シーズンについては、命綱であったスポンサーへの依存すらもしにくい状況にあるかも知れない。

こんな風に数字を見ていくと、カターレ富山がJ2リーグへ昇格する「体力」があるとは到底思えないし、J3は我々の居場所ではないといった彼らの姿勢に対してはどうしても違和感を覚えてしまう。

「応援ボイコット」で観客を増えるのであればドンドンやるべき

そうであっても選手たちは必死になって勝利を目指すべきだし、それが彼らに与えられた唯一のミッションでもある。ただし、彼らは「個人昇格」が出来る身。ファン・サポーターとは立ち位置がまるで違うのだ。

そして、私がここで伝えたいのはそこにある「絶望」ではない。

彼らがJ3リーグを充実した思いで過ごすこと、つまり今いる環境を楽しみ、そこを多くの人々にとって不可欠な空間へと昇華させていくことで、クラブが長く存在出来るだけの「体力」を持たせることも出来るはず。

ゴール裏にいながら応援ボイコットすることで、次の試合から観客が少し増えてくれるのであればこれから先もドンドンやるべきだし、他のクラブのサポーターも真似するべきだ。でも実際のところは、せいぜい向こうっ気の強い選手が多少ムキになってプレーするくらいの影響しか与えないだろうし、カターレ富山というJリーグクラブが単にストレスだけを生む存在となってしまうのではないか。

そもそも応援ボイコットという行為を恋愛に例えれば「気を惹きたくて敢えての無視」だろう。その効果たるや無視している娘がどれだけ可愛い子なのかによってくるのだとは思うのだが。まあ少なくとも私はそんな風になっているカップルには近づきたくはないし、彼らがアドバイスされるとすれば「無視なんてしても虚しいだけだよ」と諭されるのがそのほとんどであろう。

私は応援ボイコットが起きた試合をDAZNで試合開始から終了まで全て視聴した。

確かにあの4点目は特にひどい。コーナーキックに対してゴール前で守るカターレの選手は全員が棒立ちだ。ただ、後半には自分たちがやられたのと同じような形でブラウブリッツにしっかりやり返したのも事実だ。(本当は2度やり返したのに1つはファールでノーゴールになってしまった)

画面上で人数を数えると約150人。カターレ富山のゴール裏サポーターはそのゴールに対して一切反応していなかったが。

私が言いたいのは「理想論」でも「綺麗ごと」でもない

昨年の愛鷹最終戦にて 少なくとも私は彼に会いたいという思いもあって沼津まで行った

今回はたまたまカターレ富山のサポーターによる応援ボイコットがクローズアップされているが、何もこうした状況はカターレ富山だけに起き得ることだと私は思っていない。

繰り返すが、日本のサッカー界には「Jリーグ原理主義」「勝利至上主義」以外の価値基準がほとんど育まれていない。そこがJリーグであろうと、JFLであろうと、地域リーグも、高校サッカーもなでしこも、もっと言えば日本のスポーツ界全体が「勝ち」か「負け」以外でそのスポーツを評価する視点を持っている人たちはマイノリティだ。

だから、今回のカターレサポ応援ボイコットに対して私が自分の思いをTwitterで呟いても、「理想論」「綺麗ごと」として捉えられてしまう傾向がある。これは本当に残念でならない。

私の価値基準は単純で

「それは観客を増やすことにつながるのか」

「それはそのクラブを存続させることにつながるのか」

この2つだけなのだ。

これに基づいて考えると「Jリーグ原理主義」「勝利至上主義」といった価値基準が障害となって、いつも私の前に立ちふさがる。

川上エドオジョンって若いのになかなかいい選手じゃないか」

これをカターレ富山をいつも見ていない門外漢の戯言と取ってしまえば、話はそこで終わってしまう。

人によってはカターレ富山を称して「Jリーグ側にほだされて出来たクラブ」という人もいる。それから僅か10年。しかし、されど10年でもある。クラブが誕生し日本サッカー界に存在している以上、決して消滅するようなことがあってはならないのだ。

J1リーグに昇格したからといって安泰だとは全く言えないが、J3やJFLで戦うクラブが経営的にも十分に潤い、一杯の観客で埋め尽くされたスタジアムの姿をいつでも見ることが出来る。それこそが私が思い描く日本サッカー界の未来図だ。

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