最近このブログにおいて『「むしろ地上波テレビでJリーグが中継されない方がいい」私がそう思う理由』というタイトルの記事を書かせていただいた。
昨今ほとんど地上波テレビで放送されなくなっているJリーグについて、その事実を以て既存メディアに対する不満を抱くこと、それ自体が虚しいことであると私が考える理由として、地上波テレビというメディアから「Jリーグに対する愛」が感じられないことを挙げ、旬時だけ群がってくる彼らのことを「骨の髄まで食べつくしたらポイと捨ててしまう」習性があると私は表現した。
そのうち「ポイ」されるピョンチャンの英雄たち
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— NHKニュース (@nhk_news) March 7, 2018
ピョンチャン五輪が終わったばかりのこの時期、もう既に彼らによって近い将来「ポイ」されると見られる競技やアスリートが、毎日のようにニュース番組を含む情報番組やバラエティなどで「弄ばれている」様子が伝わってくる。
マイナー中のマイナー競技の選手も多い冬季五輪のアスリートたちも、それに笑顔で応じているのも今のうちだけであろうし、これから桜前線が列島を北上し弘前の桜が満開になる頃には、アスリートとして正当に扱うメディアはいなくなっていることであろう。
かつて、Jリーグもこの五輪アスリートたちと全く同じ憂き目を喰らってきた。
日本で初めてのプロサッカーリーグとして始まったJリーグは、それが誕生するまで存在した日本サッカーの姿を革命的に変えてしまった。
ガラガラだった試合会場はどこも満員。その人気のほどはすさまじく全ての対戦カードのチケットがプラチナ化した。Jリーグを観戦しに行くという言葉がちょっとした自慢話として通用したあの時代の空気は、もしかしたら若い世代の方々には理解するのが難しいことであるかも知れない。
人々は「Jリーグ」という「新しいおもちゃ」を与えられ熱狂した。テレビを点ければJリーガーが登場し、彼らは成功者として羨望の対象でもあった。
Jリーグブームを全力で作り上げた地上波テレビ
しかしあれから20年以上が経過した現在、あの頃のJリーグを顧みて思うのは、あの時代は明らかに「異常性」と「狂気」を帯びていた。
そこでプレーしている選手やチームは「日本サッカーリーグ」時代とそれほど大きく変わらないのに(ジーコやリネカー、リトバルスキーといった世界的スターがいたことも事実だが)そこに見いだされる価値が一夜にして一変してしまったのだ。まさにJリーグバブルと言われた所以はそうしたところにあるし、そこで生まれ出た「Jリーグブーム」を全力で作り上げたのは他でもない地上波テレビメディアである。
彼らからすれば、それでも3年は何とか人気が維持されたJリーグは最高に優秀なコンテンツであったかも知れない。期せずして肉付きの良い豚が現れたといったところだろう。
しかし、彼らにはJリーグの10年後、20年後、50年後を見据えた報道姿勢はなかったし、そもそも日本の地上波テレビにはそうした長期に渡った「コンテンツ育成」をしていく文化自体が希薄であったし、それは現在に至っても全く変わっていないどころか、むしろそうした性格は強くなってきているようにすら見える。
日本テレビ サッカー界への3つの功績
ただし、だからと言って地上波テレビの行ってきたことが全て「軽薄」であったかと言えば、そうとも言い切れない。
昨年ACLの放映権を持ちながら、地上波でJリーグ勢の試合を放送しなかったことからサッカーファンの目の敵として批難の矢面に立たされた日本テレビ。
この日本テレビは言わずと知れた讀賣系メディアとして巨人軍を中心としたプロ野球文化を語る上でその果たした役割の大きさは大きい。敢えて言うなら日本テレビは日本のスポーツメディアの中心に常に存在し、サッカー界も少なからずその恩恵を授かっている。
1967年読売クラブ誕生
https://twitter.com/yoshimatsu33447/status/488343605795246080
まず初めに挙げるべきは読売サッカークラブの創設だ。1967年に創部した読売サッカークラブは、実業団チームがひしめき合っていた日本サッカー界に生まれた初の「クラブチーム」であった。サッカー先進国の例に倣って「下部育成組織」を持ち、そこで育成された選手たちが日本のトップリーグで活躍するというひとつの型を実現させてみせた。松木安太郎、小見幸隆、都並敏史、戸塚哲也、日本代表でも常連となっていった彼らは当時の日本サッカーにおいて異質でありながら先進性を感じる存在でもあった。
1971年全国高校サッカー選手権大会のバックアップ
帝京高校 サッカー部 選手支給 実使用 公式戦用 第70回全国高校サッカー選手権優勝 ユニフォーム 16番 /カナリア軍団/松波正信/阿部敏之 https://t.co/EfCVefo3rh pic.twitter.com/iIXskwv5sC
— トレンドあんてな (@trendantenamtm) July 17, 2017
2つ目は正月の風物詩ともなった高校サッカーに対するバックアップである。
後に東京ヴェルディの社長も務めた坂田信久氏があの全国高校サッカー選手権大会の仕掛け人でもあるのだが、坂田氏が日本テレビプロデューサー時代に「学生サッカーの全国ネット中継」の対象として「指導者の先生方が最も熱心だと感じた」という理由で「高校年代」を選んだという逸話はあまりにも有名であるが、それまで単なるマイナー球技の全国大会に過ぎなかった高校サッカーを一時は日本サッカー界における最強のキラーコンテンツと称されるほども大会へと昇華させ、そこから素晴らしい選手や指導者が輩出されていったことを考えると、1971年に放映契約を結んで以来、一貫してその道を進んでいる日本テレビの姿勢には「スポーツメディア」としての心意気を感じざるを得ない。
1980年TOYOTACUPの招致

1980年12月 第2回TOYOTACUP 全盛期のジーコが決勝の相手リバプールを完膚なきまでに叩きのめした。
そして最後に挙げたいのは、TOYOTACUPの日本招致である。
ヨーロッパ王者と南米王者による世界一決定戦は「インターコンチネンタルカップ」という名で長く両者のホーム&アウェイで開催されていた。しかしながら、サポーターの熱狂度合いから安全に大会を行わうことが難しくなり、それを理由に棄権するクラブが多発。大会自体の存続が難しい状況へ陥っていた。
そうした背景の中、中立地「東京」での一発勝負の決戦として「TOYOTACUP」の第1回大会が1980年2月に開催され、日本テレビは大会招致とともに現在クラブワールドカップとして生まれ変わったこの世界大会を伝える日本メディアとして、長くその発展に関わってきている。
この3つの日本テレビの功績は、古くからのサッカーファンにとってはどれもたまらない「コンテンツ」ばかりだ。
読売クラブに異国のサッカーの風を感じ、高校サッカーでは普段ほとんど見ることの出来ないサッカー中継を堪能させてもらった、TOYOTACUPに至ってはその時代のキラ星のごとくスター選手のプレーを直接見ることの出来る年に一度の「お祭り」として、多くのサッカーファンに限りなく大きな夢を見せ続けてくれた。
かくいう私自身もこの3つの偉大なサッカーコンテンツに触れられたことが、現在に至るまでサッカーの虜となっている要因であることが間違いないし、読売クラブも帝京高校もプラティニも、その全てが「一過性」の伝え方「旬時」だけに取り扱いとしなかった日本テレビの報道姿勢に感謝の気持ちしかわかない。
しかしそれでも「地上波テレビに過度な期待を抱くのは虚しいだけ」
しかし、こうしたスポーツメディアの在り方は、残念ながら他の地上波テレビ局、TBSにもフジテレビにもテレビ朝日にも、NHKからですらほとんど感じることはないし、基本的にどの局も「旬時」だけ群がってきて「骨の髄まで食い尽くす」姿勢であると私は思っている。
と、今回は日本の地上波テレビの中にあっても、ほんの少しではあるが「サッカーをコンテンツとして育成する」姿勢が感じられた例を挙げてきた。
それが奇しくも昨年のACLで批難の対象となっていた日本テレビであったのが皮肉ではあるが、我々サッカーファンもその瞬間その瞬間に起きている事象だけに目を向け、批判や絶望や歓喜を覚えるのではなく、サッカーメディアにそうあって欲しいと望むように、ある程度の時間的背景を認識した上で判断を下す余裕は持っていたいものだ。
ただし、これだけはいつも思っていた方がいい。
「地上波テレビに過度な期待を抱くのは虚しいだけ」
多くの人々がそれを見て楽しむことが出来るのであれば、その媒体が何であるのかは大した問題ではない。
そこで立ち止まってしまうと、物ごとは前に進んで行かない。頭の切り替えが絶対に必要だ。
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