【松本山雅】松田直樹チャント転用騒動 素晴らしいチャントは愛される

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Jリーグのスタジアムに初めて足を踏み入れた人の多くが、そこで行われる選手たちの戦い以上に衝撃を受けるのは、ゴール裏サポーターによる迫力のある応援スタイルだと言われている。

チームカラーのシャツをまとい、タオルマフラーを掲げる彼らが、ドラムやトランペットに合わせて歌う応援歌は「チャント」と呼ばれ、それぞれのチームにそれぞれのカラーが感じられ、その歌を聞くことで「スタジアムにいる自分」を強く感じさせるものにもなっている。

 

スタジアムを昂らせる「チャント」

 

各ゴール裏サポーターは、いくつもの「持ちチャント」の中から試合の状況や時間の流れに合わせるようにして大声でそれを歌い跳ねる。

選手達を励まし勇気づけるために、その思いをチャントにのせスタジアムのムードを演出する。

各チームにはそれぞれ名物とも言えるチャントも存在し、そうした名物チャント(鹿島なら「ロール」浦和なら「ウォーリアー」FC東京なら「LA EDOGAWA」のように)があり、こうしたチャントが対戦相手チームのゴール裏から響いてくると、サポーター達の感情も選手たちと同じように昂り、時にはゴール裏の空気が一気に緊張感を帯びていくことも多い。

 

「チームチャント」と「選手チャント」

こうしたいわゆる「チームチャント」と共にゴール裏サポーターが歌うチャントには選手個別に作られた「選手チャント」がある。

大抵の場合は試合開始前のスターティングメンバー発表のタイミングに歌われ、素晴らしいプレーやゴールが決まった時などは、活躍を見せている選手のチャントが試合中に歌われることもある。

選手チャントはチームチャントと違って試合中に何度も繰り返して歌われることがほとんど無いため、チームチャントのような「普遍性」はないにしても、入れ替わりの激しいJリーグ選手の実情もあって、サポーター達は毎シーズン新加入選手のための新チャントを作る。

彼らが作った新チャントはSNSなどの普及もあって、驚くべきスピード感でゴール裏サポーターに浸透していき、Jリーグの開幕時点になれば完璧なテンションを以て、新加入選手に対しての新チャントが高々と歌われている。

チャントの多くはもともと存在する名曲や誰もが聞き馴染みのあるメロディーの曲が使われていることも多いが、もちろん完全オリジナルで作られた「名チャント」も存在する。

彼らにとってチャントは、応援するチーム、そして戦う選手たち、彼らと繋がることが出来る重要なツールなのだろう。特にチームの象徴といえるような選手のチャントは、それ自体が大切なものとしてサポーター達の胸の中にいつまでも生き続けていくようだ。

 

松田直樹チャント騒動

それを象徴するちょっとした騒動が、松本山雅サポーターと今季J1に昇格したV.ファーレン長崎サポーターの間で勃発している。

ことの内容はと言えば、V.ファーレン長崎サポーターがJ1開幕戦において、松本山雅の伝説、故松田直樹選手のチャントをそのまま自チームの田上大地選手のチャントに変えて歌っていたことがその発端となった。

松田直樹チャントはこちらから

田上大地チャントはこちらから

 

愛された男 松田直樹

「松田直樹」の名前は多くのサッカーファンの知るところだと思うが、改めてその選手としての経歴を簡単に触れてみよう。

1997年に生まれた松田直樹は長く日本のサッカー界を牽引する選手の1人としてマリノスで活躍し、2002年の日韓共催W杯では日本代表の一員として史上初の決勝トーナメント進出にも大きく貢献した、その感情豊かな個性、闘争心溢れるプレースタイルから、マリノスファン・サポーターのみならず多くのサッカーファンからも非常に愛された選手であったが、2010シーズン終了と同時にマリノスで戦力外となり放出され、2011年に当時Jリーグ入りを目指しJFLで戦っていた松本山雅を新たな戦場として選んだ。

2002年の英雄にしてJリーグのスター選手でもあった松田直樹が、JFLのクラブへ加入するという事実は驚きを以て受け取られていたが、松本山雅のJ2昇格という大目標に向け、全身全霊をかけて戦う松田直樹の姿は松本山雅サポーターならずとも、多くのサッカーファンの心を打つものであった。

そして、その別れは突然に訪れた。

2011年8月2日。いよいよリーグも昇格をかけた大事な時期となってきていたこの日に、松田直樹はグラウンドで練習中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年34歳、彼を知る人にとってはあまりにも早く、あまりにも無念な「死」であった。

突然にしてチームの精神的、戦力的支柱であった松田直樹を失った松本山雅。

しかし彼らはわずかな期間ではありながら、共に夢を見てくれたこのスーパースターに対する最大の弔意をリーグ戦における結果で発揮し、見事翌年のJ2昇格を決めた。

松本山雅サポーターにとって、松田直樹という選手は「わずか15試合の出場」という数字では計り知れない、自分たちをJリーグサポーターにしてくれた象徴のような存在であり、自らのルーツをたどる時に決して忘れてはいけない存在なのだろう。

 

素晴らしいチャントは愛される

 

そんな松田直樹のチャントがこれまでに何度も戦ってきたチームの選手のチャントとして使われている事実がどうしても受け入れることが出来ていないのかも知れない。

スーパースターであった松田直樹のチャントは松本山雅サポーターが作ったオリジナルメロディーのチャントでもある。「松田直樹のために」自分たちが作ったチャントが簡単に転用されている事実に対しての不快感もあったのであろう。

これに対して長崎サポーターの中にも、「松田直樹チャントを使うべきではない」という意見もあるようだ。

しかし私はこうした騒動の流れが決して松田直樹の願っているものではないように感じる。

自分のチャントのことで、ふたつのチームのサポーターが対立し、長崎サポーターの中にも分断が生じるような事態は、あの松田直樹が望んでいるサッカー世界なのだろうか。

名曲が国境を越えて沢山の人々の心を救うものへと昇華していくように、素晴らしいチャント、名チャントは多くの人々にも愛される要素をもっているとも言える。

確かに松田直樹が最後にプレーした場所は松本山雅であったかも知れない。そして、そこで生まれた短くて濃い日々が松本山雅サポーターにとってかけがえのないものであることも理解したい。

しかしそれと同時に松田直樹は、日本中のサッカーファン達にも愛される選手であったのだ。

そんな松田直樹の最期のチャントが、Jリーグスタジアムのあらゆる場所から響いてくる。

そんな風景があれば私は素晴らしいと思うし、松田直樹も涅槃で喜んでくれるのではないだろうか。

松本山雅サポーターの作った松田のチャントが素晴らしいからこそ、私はそんな思いを強くする。

 

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2017年9月から、私が開設しているブログがあります。

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こちらのブログでは主に、私が最近妙に熱心に応援し始めた「柏レイソル」についての内容を多く記事にしています。

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