「齋藤学0円移籍」騒動 その原因究明!全ての答えは「浪花節」にあった!

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【浪花節(なにわぶし)】

三味線(しゃみせん)を伴奏として演ずる、多くは義理人情をテーマとした、大衆的な語り物。説経祭文(せっきょうさいもん)から転化して江戸時代末に大坂で起こり、明治以後盛んになった。浪曲。

 

KFG「齋藤学0円移籍」に続く第173回

 

とどのつまり、我々の心の奥底には「浪花節」がしっかりと根をはっているのだろう。

マリノスサポーターを代表してモック少尉(日本のサポーター史などの著書で知られる石井和裕さん)がゲスト出演した錦糸町フットボール義勇軍、第173回配信『アントラーズとマリノスと25年』を聴いたのち、「齋藤学0円移籍」が何故これほどまでに大きな話題となってしまったのか、それに一応の答えを見いだすことが出来た。

前回第172回配信の段階では、「齋藤学0円移籍」がちょっとした騒動に発展していった原因をモック少尉はそれが「0円移籍であったこと」にあると発言し、それに対してKFGロック総統は「マリノスにクラブ哲学が感じられない」からこそ、齋藤学の一件だけでなく中村俊輔の移籍に際しても、マリノスファン・サポーターが批判の矛先を当該選手や代理人(ロベルト佃)に向けてしまっている、と主張していた。

こうしてなかなか双方の主張のギャップを埋めることが出来なまま、第172回配信は終わりそれに続く形でリリースされた第173回配信を聴いていくうちに、私の中でずっとモヤモヤしていたものが少し整理されたように感じている。

 

「思いのすれ違い」と「浪花節」

 

私はこのブログの中で『「齋藤学0円移籍」一番ワルイ奴は誰だ!?クラブか選手かサポーターか』というタイトルの記事を10日ほど前に発信したのだが、このブログを開始して以来のアクセス数を稼ぎ、改めてこの話題が多くのサッカーファンにとって関心の対象となり得ていることを実感もしたわけだが、その中でこの「齋藤学0円移籍」がマリノスサポーターの怒りを買い、それが齋藤学や代理人に対して矛先が向いた要因として「選手とサポーターの思いのすれ違い」にあったのではないかと、アウトサイダーとしての思いを書いた。

この「思いのすれ違い」については、記事を読んだマリノスサポーターからは少なからず反論ももらったが、今でもこの考えは変わっていない。

しかし、それを更に肉付けするような大事な要素を続編となった第173回配信の内容からようやく見つけることが出来た。

マリノスサポーターはC.F.G.的世界を楽しめている?

モック少尉曰く、マリノスサポーターが、2014年にC.F.G.(シティ・フットボール・グループ)がマリノスの経営に参画し始めて以降、いかにも外資(厳密には完全子会社の日本法人、シティ・フットボール・ジャパンではあるが)と言えるような非常に合理的な方針の下でチーム編成がなされ、その中で遂行された数々の移籍劇、あるいは選手個々に対する査定基準、獲得する外国人を含めた補強などについて、マリノスサポーターたちもそれを「楽しめる」段階にまで「成長」出来ているとコメントされていた。

それゆえ、多くのJクラブサポーターが、シーズン前のチーム編成に不安を訴えている時点であっても、マリノスサポーターに限っては「欧州の冬のマーケット」が閉まる1月31日以降になれば、新戦力獲得の報せがもたらされる可能性はあるから、と全く焦ることもなく悠々としているらしい。

 

齋藤学は「浪花節」では無かったので「死ね」と言われた

Jリーグが完全な外資参入を認めていない現状にあっては、こうした「世界基準」を肌感覚で感じているのは、確かにマリノスサポーターだけであるのかも知れないが、では「齋藤学0円移籍」で、多くのマリノスサポーターが齋藤学に怒りの矛先を向けたのはどうしてなのか。

クラブのチーム編成方針を「楽しめている」サポーターなのであれば、「死ね」という言葉が出てきてしまったのは何故なのか。

私はそこにはやはり「選手とサポータとの間で心のすれ違い」があったと思うし、そうした「すれ違い」が起こったのは、日本社会において「浪花節」こそが崇高な人の在り方として存在したからだと感じている。

齋藤学を批難するコメントを読んでいると、そこは「浪花節」に生きなかった男に対する批判そのものだ。移籍金を残さずにチームを去った0円移籍は完全に「浪花節」ではない。

つまり何が言いたいかと言えば、モック少尉はマリノスサポーターをC.F.G.のクラブ方針を楽しめるようになってきているとは言っているが、所詮はそれが「浪花節」になっていなければ、楽しむどころか、怒りに任せて「死ね」とまで言ってしまうメンタリティしか持ち合わせていないということ。

 

災害ボランティアと「浪花節」

これは決してマリノスサポーターに限ったことではなく、日本に存在する全てのサッカークラブ、それがJリーグであろうと、JFL、地域リーグであろうと、学生サッカーであろうと、そうなのだ。「3年生で用具係になった先輩部員」の為に全力を出し切ることを誓い、鹿島サポーターは数年後に大迫勇也が復帰すれば諸手を挙げて迎え入れるはずだ。

もちろん、こうした「浪花節」が日本人にしか分からない価値観ではないかも知れない。

しかし、こんなエピソードを読んで、やはり私自身「浪花節」が染みついた日本人であることを痛感した。

災害救援ボランティアがその現場でどういう行動基準を持つか。

キリスト教徒の多い欧米ボランティアは、手を指し出されてもすぐには行動しない。まず、援助すれば助かる人はどの人かを選別する。

援助なしでも自力でなんとかなりそうだと思えば、助けに応じない。

援助しても助かりそうにないと判断すれば、やはり助けには応じない。

非情な話しだが、救援物資に限りある状況では、援助すれば助かる人達にまず手を差し伸べるべきだという。

助からないひとに貴重な医薬品、食料をつぎ込んだおかげで、助かるはずのひとを死なせてしまうとしたら、ボランティアにはならない。

これに対して日本人ボランティアの多くは

目の前に手を差し出す人がいれば、まずその人をなんとか助けようとする

 

「浪花節」を隠す必要はない

 

こうした例はサッカーの話の例えとして適切ではないかも知れない。

しかし、こうした価値観や信念のギャップが欧米のスタンダードと日本のそれとの間に存在するのは間違いないし、「浪花節」の価値観を持つ人たちに欧米のスタンダードが馴染まないことも容易に予想のつく話。

ゆえに、C.F.G.が今後もマリノスというクラブで運営に影響を持ち続ければ、毎年のように「齋藤学」が誕生してもおかしくないと思っている。経営側が日本人の「浪花節」を理解するか、ファン・サポーターが「欧米基準」を理解するかしない限り、双方のギャップが埋まっていくことはないような気がするのだ。

しかし、そう思う一方で、日本サッカー界において非常に重要かつ存在感のある横浜F・マリノスが、他クラブの先陣をきって、この難しい問題を徐々にでも解消していって欲しいとも強く思う。

今後、近い将来に数々の外資がJリーグへ参入してきたとしても、日本には日本にフィットしたクラブの経営があるべきだし、そうでなければ日本社会の中でクラブが継続的な活動をすることはきっと難しくなっていく。そして外資に見切りをつけられた瞬間から、日本サッカーは一気に衰退への道を辿っていくに違いない。

「浪花節」を隠すことはない。これこそが日本人のメンタリティーなのだから。

ロック総統いうことろの「プロレス的なもの」に対して「茶番だ、インチキだ」と言ってしまうほど、日本社会に生きる人々が「イケてない」とは私は思っていない。

 

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