サッカー試合放送に「サイドストーリー語り」が必要な訳

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「そんな鈴木選手のお母さんも今日はスタンドから必死の応援を送っています!」

正月の高校選手権をテレビで観ていると、こうした選手の「サイドストーリー」が必ず語られている。

プレーしている選手の家族、学校での姿、好きなアイドル、幼い頃は柔道をやっていたこと、、、、その中身については本当に様々で、取材してきたアナウンサーやレポーターが「絶対にこれだけは言わなくては!」という強い信念のようなものをまとって、語られることも多い。

「サイドストーリー」は不要ではない

サッカーの高校選手権だけではない。箱根駅伝や春高バレーなどの学生競技だし、オリンピックなどはこうした「サイドストーリー」語りのオンパレード。うっかりメダルなど獲ろうものなら、ペットの名前から、子どもの頃の恥ずかしい写真まで、さすがに「マイナンバー」まで明らかにされてしまうことは無いにしても、あらゆる情報がみぐるみを剥がされるように全て大衆の知るところになってしまうケースもありそうだ。

スポーツ中継にこうした「サイドストーリー」が登場することに抵抗を覚えるファンも多いようで、高校選手権の実況スタイルに批判的な意見を目にすることも珍しくないが、私は必ずしもスポーツに「サイドストーリー」が不要とは考えていない。

こうした「サイドストーリー」語りが、実際の試合についての分析能力、解説能力の脆弱さを補う形で多用されている側面があるとは言え、例えばその競技を初めて目にする視聴者の目線に立てば、いきなり「カバディ日本代表の取り組んでいる新戦術」を解説されたとしても、それを十分に理解することは難しいし、それを聞いて「よし、次も見てみるか」とはなっていかないだろう。

それよりはカバディ日本代表の山本選手(仮名)がそば打ちに凝っている話や、佐藤選手(仮名)が脱サラして選手になった話などを情報として提供すれば、「そば好きな人」や「会社を辞めようか悩んでいる人」に対しては少なからず心の中の何かを刺激する材料にはなり得るだろう。

語られない「全北のサイドストーリー」

わたくし事ではあるが、昨夜はACLの「全北現代対柏レイソル」戦をテレビで視聴した。

実況は日本テレビのアナウンサー、解説は都並敏史さん。

試合自体は、柏レイソルが0-2のリードから後半大逆転を許すというかなりショッキングな結果に終わったものの、試合自体は互いが真正面からぶつかり合うような非常に見ごたえのあるものだったと言える。

しかし、何か物足りなく感じている私がそこにいた。

柏レイソルについての情報は、アナウンサーや都並さんがどんな話をしようとも、それを凌駕するだけの知識を持っていると自負しているので、それほど気になることはなかったのだが、相手チーム、全北についての情報が非常に「薄い」のだ。

勿論、都並敏史さんはプロのサッカー解説者であり、試合を分析する力、それを言葉にして伝える力については疑いの目を向けてはいないのだが、恐らくこの試合に向けて実況、解説を担当した両氏は、ほとんど全北現代の取材をしていないのだろう、選手個々に対する具体的情報はおろか全北というクラブ、全州という街についての「サイドストーリー」がほとんど話されることはなかった。

たまたま一緒にこの試合を観ていた伯母が、イ・ドングが韓国のバラエティ番組に出演し、子どもが4人いることを見て知っており「あの人がまさかこんな大きな試合に出る選手だとは思わなかった」と言っていたのが唯一の「全北サイドストーリー」で、この「イ・ドングの子ども4人、しかも一番上の子はもう結構大きい」情報を得ることのなかった我が家以外の視聴者の方々にとっては、全北が「真っ黒頭の監督と緑の仲間たち」にしか見えていなかったのでは?

サッカーを長く楽しみたいのであれば「サイドストーリー」くらいは受容すべき

まあこれはあくまでも「ファンタジー」であるにしても、私自身がこの試合中継に「サイドストーリー」不足を感じていたのは紛れもない事実で、もしかしたら新たな世界への興味・関心を抱いたかもしれないファンを取り逃しているのではないかとも思ってしまうのだ。

サッカーの試合だから、余計な情報はいらない。サッカーそのものに関する情報だけを提供するべき。という考えも分からなくはないが、そうした意見を持つのは得てして既に「固定ファン」となっている人たちであるのも事実だろう。

限られた人たちだけしか楽しむことの出来なくなったコンテンツは必ず衰退していく。

少なくとも日本のサッカー界に必要なのは、世間一般から更に大きな関心を集めることであるのは間違いのないこと。

それまでサッカーに興味を持っていなかった人々に関心を持ってもらう最初のステップとして、試合のテレビ放送(特に地上波)が果たしている役割は依然として高いはず。

そうであるならば、試合中継の中で「サイドストーリー」語りがされることにある程度の理解を示すことも必要なのかも知れない。

長くサッカーを楽しんでいきたいと思うのであれば、この程度の「不都合」を私はいくらでも捨てることが出来る。

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2017年9月から、私が開設しているブログがあります。

ブログタイトルは「ラーテル46.net」

こちらのブログでは主に、私が最近妙に熱心に応援し始めた「柏レイソル」についての内容を多く記事にしています。

よろしければ、「ラーテル46.net」も併せてお楽しみください。

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コメント

  1. kazkaz より:

    選手のサイドストーリーは試合の前かハーフタイムでやってほしい。レポーターの資料読みを延々と喋られると見るのに集中できない。はっきり言って試合中はいらない。初めて見るような人ならなおさらで、試合と資料読みと両方の情報が入ってきても処理できないと思うけど。それでもそんな情報の洪水を必要とする人がいるなら、会場音のみの副音声を選択できるようにしてもらいたい。

    • ratel46 より:

      初めてサッカーを見る人や、まだそれほどサッカーに関心がない人に向けて情報提供する場合は、やはりどれだけ多くの「フック」を付加出来るかが結構重要だと私は思っています。
      もちろん、それが既にサッカーを良く知っている人からすると少々邪魔に感じることも多いのは実際でしょうが、そういう方は自分自身でサッカーを楽しむ術も持っているでしょうから、民放の地上波放送などでは初心者に視線に合わせた試合中継であるのはある意味で「新規開拓」をしてくれてると捉えてもいいかも知れませんね。