【今そこにあるサッカーを愛せるか】③高校サッカー「挫折組」を最高のサッカーファンへ

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未来の日本サッカー界が、より多くの人々にとって幸せなものとして存在していくために。

錦糸町フットボール義勇軍ロック総統が叫ぶ

「今そこにあるサッカーを愛せ」

この哲学がより多くの人たちの心を揺さぶる時は果たして訪れるのだろうか。

【今そこにあるサッカーを愛せるか】という大テーマに沿ってこれまでに、

第1弾 「下手くそサッカー少年が何故サッカーを愛せたのか」 では、私自身の実体験をもとに、サッカー界における下手くそサッカー少年の重要性について触れ

第2弾 「サッカー文化=新たな価値を見つけること では、サッカー文化を深めていく為に「競技力至上主義」「勝利至上主義」以外の価値を見つけることの大切さについて触れた。

第3弾となる今回は「高校サッカー「挫折組」を最高のサッカーファンへ」と題して、「競技力至上主義」によって形成されたピラミッドからこぼれ落ちた「下手くそサッカー少年」に対する「受け皿」の必要性とその意義について、考えていきたい。

 「挫折」を知らぬ 団塊ジュニア世代

私は1971年生まれで、まさに団塊ジュニア世代と呼ばれる年代である。

私が生活していた東京のど真ん中であっても、街中に子どもが溢れ、公園や広場に行けば必ず遊び相手が見つかる時代だった。

小学校中学年にもなると、その遊びの中心にあったのは野球(バットを使えないので、手をバットに見立てた「ハンドベース」という遊びをしていた)であり、サッカーをする子どもは、少なくとも私の周辺ではいなかったと言ってもいい。

そんな時代背景もあって「キャプテン翼」ブームでサッカーをする子どもが増えても、その「競技力」は決して高くなかった。翼くんのオーバーヘッドシュートや、若島津健の三角飛び、花輪兄弟のスカイラブハリケーンを真面目に真似しようとし、骨折してしまう子も多かった。

こうした環境で育った我々世代が中学、高校と進学していっても、限られた強豪校(例えば東京で言えば帝京や修徳、堀越など)に行かない限りは、ほとんどの仲間たちがチームの中心メンバーとして活躍出来ていた記憶がある。

子どもの数は多い時代だったが、サッカーの「平均値」は決して高くなかった時代。だからこそ「挫折」する者も少なかったのかも知れない。

高校サッカーをドロップアウトしてしまう少年

私が42歳までプレーしていた社会人チームは、私が小中と所属していた地元の少年サッカークラブのOBやコーチによって構成されているチームだった。

多くのメンバーが、中学3年生までを同じ少年サッカークラブで過ごし、高校に進学するとそれぞれが学校のサッカー部に所属する。そして高校を卒業する年代になると、再びOBチームへ戻ってきて、東京都4部リーグで戦うというのが既定路線。

中学3年生の時にはまともに人の目を見ることも出来なかったような子が、高校3年間ですっかり「青年」となって、チームの中心選手としてやっていく姿は、非常に逞しく見えると同時に、私の目には微笑ましくも映った。

しかし、ここ10年~15年の間に、高校のサッカー部をドロップアウトしてしまう子が非常に多くなってきた。

彼らの中学生時代のプレーぶりを思い返しても、明らかに我々世代が中学生だった時代とは比較できないほど「上手」なのにである。

高校のサッカー部を辞めてしまう理由を深くは追及しないが、その多くは「競技力」に自信が持てなくなったことに起因しているのであろう。

サッカーをする少年がちっとも珍しくなくなった今の時代、それが例え無名高校のサッカー部であっても、私が想像する以上の競争が存在しているのかも知れない。

苦肉の策 高校サッカードロップアウト組→社会人リーグ

今から10年ほど前、東京都社会人サッカー連盟はそれまで禁止していた学生の選手登録を認めた。

この規約改正は、大学サッカーの社会人リーグ参入を認める上で判断されたものであり、そこに書かれる「学生」が指すのは「大学生」であったはずだ。

ただ、そこに明確な線引きはされておらず、私は高校サッカーをドロップアウトしてしまった少年たちを社会人リーグで戦うOBチームの選手として迎え入れた。

しかし、私にとってこれは苦肉の判断でもあった。

私たちのOBチームは、1シーズンに10試合程度行われるリーグ戦と、月に1~2回程度の練習がその活動の全て。多くの高校サッカー部が毎日に近いペースで練習を行っていることを考えると、例えドロップアウトしてしまった少年たちであっても、あまりにボールを蹴る機会が少なすぎる。

我々OBチームが高校生のペースに合わせて毎日練習をするのは不可能だ。彼らを迎え入れたのはいいが、決して満足してもらえないだろう。という思いだった。

少年たちはやはり我々OBチームにはなかなか定着出来なかった。

それも当然であろう、彼らは同年代のグループでボールを蹴ることが楽しい時期でもあるし、たまにしか活動していないサッカーチームで、肉体的にも成長過程にある少年たちが満足できるわけがない。

高校年代ドロップアウト組の「受け皿」がない!

これが大学生の年代であれば、学校のサッカー同好会やあらゆるフットサルグループが彼らの「受け皿」となっていただろうし、中学生であれば、私が育ったサッカークラブのような大らかな世界も存在する。

しかしながら、高校サッカーをドロップアウトした少年たちに対する「受け皿」は、サッカーの世界においては完全に無視されている。

彼らは決してサッカーが嫌いになってドロップアウトしたわけではない。場合によっては辛い練習や先輩の説教が嫌(いや)になって部活を辞めてしまったかも知れないが、一度は我々のOBチームでボールを蹴りたいと思ってくれたのだ。

小学生~中学生~高校生と成長していく中で、高校年代における日本のサッカーには「競技力至上主義」の概念が最も色濃く現れている。この年代でボールを蹴る少年の全てが、高校選手権に出場することを目指し、プロサッカー選手になることを目標としている訳ではないのにである。

懐の広さを「最高のサッカーファン予備軍」へ

彼らドロップアウトした少年たちは、確かに優れたサッカー選手にはなれないだろう。しかし、彼らは愛すべきサッカーファンになる可能性は十分に秘めている。

プレーすることだけがサッカーの楽しさの全てであるとは言わない。

しかし、プレーすることを諦めざる得なかった少年たちに、高校サッカーとは違った世界でプレーする機会を与えてもいいのではないだろうか。

彼らがその年代でサッカーを続けられることは、その5年後、10年後に必ず大きな力となってサッカーの世界に還元されるはずだ。

「競技力至上主義」からドロップアウトしたサッカー少年でも最高のサッカーファンに成長させてしまうような、そんな懐の広いサッカー界であるべきではないだろうか。

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