不快感とも嫌悪感とも違う、何とも言えぬやるせなさを感じたサッカーファンも多かったのではないだろうか。
マリノスの齋藤学が川崎フロンターレへ完全移籍したという報せについてだ。
波紋を広げる移籍劇
横浜の齋藤学が”ライバル”川崎へ完全移籍!「恩を仇で返してしまうが…」「また一から自分を作っていきたい」 | サッカーダイジェストWeb https://t.co/xotyWHtmm8 #齋藤学 #横浜 #横浜FM #横浜M #川崎 #フロンターレ #川崎フロンターレ #frontale #Marinos pic.twitter.com/OK9bGO6kYy
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) January 12, 2018
はじめに断っておくが、今回の移籍劇はそれが正当なルールに基づいて行われたモノであったことは疑いようもなく、条件さえ合えば選手自らが望む環境へ活躍の場を移す自由は認められるべきでもある。所属チームを変えたことで、埋もれていた才能が開花するケースはこれまでにいくらでもあったし、もともと高い能力を発揮していた選手が更にその輝きを増していくケースもあった。
そういうことを考えれば、王者川崎フロンターレへ移籍した齋藤学からもそうした「進化」した姿を見せつけられるかも知れない訳だが、昨秋に負った大怪我も完全に癒えておらず、シーズン開幕までひと月以上の期間がある現在においては、どうしてもこの移籍が我々に与える「意味」を考えてしまう。
2017シーズンの齋藤学
ギリギリまで欧州移籍の道を模索
https://twitter.com/insencemoon/status/912652246369714176
2017シーズン開幕前、齋藤学はギリギリまで海外移籍の道を模索していた。
2016シーズンで横浜Fマリノスとの契約が満了となった齋藤にとって、2018年のW杯ロシア大会での日本代表メンバー入りを確実なものとする意味でも、26歳(当時)という決して若いとは言えなくなった年齢も海外挑戦のリミットと考えていたのかも知れない。
しかしながら、欧州クラブとの移籍交渉も合意には至らず、シーズン開幕直前の2月8日に横浜F・マリノスとの契約更新を行った。1月下旬からスタートしていたチームの春季キャンプには「練習生」として参加していた斎藤だったが、2月25日のJ1リーグ開幕戦では中村俊輔からエース番号10を引き継ぎ、キャプテンとして日産スタジアムのピッチに立った。
思えば、この開幕ゲームで獅子奮迅の活躍を見せた齋藤学の姿が「マリノスの新エース」「マリノスの新大将」としてのイメージをあまりに強くサッカーファンの中に植え付けてしまったのかも知れない。彼がほんの20日前までは欧州クラブでプレーすることを目指していたことも忘れて。
覚醒した新しい10番、新しい主将
マリノスの選手半端ないって。あいつら半端ないって。齋藤学のお見舞い来たのにパーティーみたいな感じになってるもん。そんなんならへんやん普通。(フォロワーさんより) pic.twitter.com/XnFJABCfOa
— 大迫はんぱないbot (@osako_hanpa) October 19, 2017
2017シーズンの齋藤学は、ゴールこそ第26節対柏レイソル戦で決めた1ゴールにとどまったものの、横浜F・マリノスの攻撃における絶対的な存在としてまさに「覚醒」したかのように映った。そのチャンスメイクの質・頻度はともにJ1でも屈指、対戦チームの多くが「齋藤学対策」を打った。横浜F・マリノスの戦績自体は厳しい時期もありながら、それでもファン・サポーターの多くが、この新しい10番の飛躍に歓喜し、スタンドは「10 MANABU」のマーキングの入った青いユニフォームで満ち溢れた。
クラブもこの「新しい10番」を横浜F・マリノスの「顔」として大いに利用した。その傾向は、齋藤学が9月末に右膝前十字靱帯損傷という大怪我を負い、試合はおろか練習にさえ参加出来なくなってから更に強くなり、失意にあるエースを励ますべく、ファン・サポーターもそれに全力で応えた。
試合前のウォーミングアップでは選手たちに齋藤の早期回復を願うメッセージの入ったTシャツを着せ、ゴール裏には齋藤のユニフォームを模ったビッグフラッグが掲げられた。
齋藤が出術入院をしていれば、選手たちはハロウィーンの仮装をして病室を見舞い、リハビリに勤しむ齋藤の姿もSNSで拡散された。
「マナブのために」
選手、チーム、サポーターの皆さん。
ビックフラッグ、
選手の10番のシャツ、
NOBUくんの歌。
全部伝わってます。
ありがとう。
みんなで、闘おう。 pic.twitter.com/sAZuVHPd3u— 齋藤 学 (@manabu0037) September 30, 2017
マリノスファン・サポーターはクラブ、そしてチーム、そして何より齋藤学のこうした姿から、「マナブのために」という合言葉のもと強い絆で結ばれ、天皇杯においてはチームを決勝進出にまで導いた。
しかし、今シーズンのマリノスに見えていたこうした景色は幻であったのかも知れない。
「マナブのために」という言葉で全てが強い絆で結ばれたかのように信じていたが、その中心であった齋藤学は1年前に欧州移籍を果たすつもりだった選手なのだ。
やるせない理由
“大きなため息”に込められた複雑な感情…齋藤学「何かが足りない」 https://t.co/G9p61S7nHT #gekisaka #jleague pic.twitter.com/r91YRMhJLp
— ゲキサカ (@gekisaka) November 18, 2017
川崎フロンターレへの移籍は、俗にいう「0円移籍」
契約満了の選手には移籍金(契約違反金)を支払う必要がないことからこう呼ばれる移籍であったことから、斎藤学の元には少なくともこの半年前(2017年7月頃)から何らかの獲得オファーが届いていたと考えた方が自然だ。
結果的に獲得したのが、昨季の優勝でDAZNから「理念強化配分金」として大きな収入のあった川崎フロンターレだったことから、この移籍が「DAZNマネーの脅威」といった扱いをされているようだが、そもそも斎藤学は2017シーズンでマリノスとの契約が満了する「獲得にカネの掛からない選手」であって、川崎フロンターレがDAZNマネーを使い切るために急遽獲得に動いたとした誤解を誘導するような報道には違和感を覚える。
私は率直に言って、この齋藤学移籍劇に対してやるせない気持ちが抑えられない。
しかし、クラブも選手たちも、ファン・サポーターも、川崎フロンターレも、エージェントのロベルト佃も、そして斎藤学本人も、自らの思いを自らの為に遂行した事実は誰からも批難されるようなものではない。
ただ、それぞれが「同じ夢」を見ているものと、錯覚していたに過ぎないのだ。
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