現在40も半ばを過ぎた私と同世代のサッカーファンの方々であれば、その記憶もまだ生々しいものとして残っているであろうが、80年代後半から長きに渡り、高校サッカー界の中心には長崎県の国見高校が君臨していた。
畏怖の念すら抱いた「国見サッカー」
昔の雑誌ひっぱりだしたら、国見高校特集が載ってて、そっか、三浦アツさんも国見だったっけ。練習熱心すぎて、あの小嶺監督から自主トレ禁止令が出されたそうだ。 国見町の街灯はサッカーボールの形だ。 pic.twitter.com/pBNXZzqDS0
— ハチ最中 (@akanamako_55) September 4, 2015
その高校生離れした体格、試合の終盤になっても止まらない足、ボールへの激しいアプローチ、強烈なシュート、同世代だった私が彼らの試合を見て最も衝撃を受けたのは、そのヘディングの力強さであった。スタンディングの姿勢からでも相手のロングボールを敵陣深くまで跳ね返されるボールには、彼らの想像を絶するトレーニングの跡を見るような思いだった。
高木琢也、其田秀太、二宮浩、立石敬之、吉田裕之、内田利広、原田武男、中口雅史、山木勝弘・・・こうして名前を挙げていけばキリがないが、坊主頭に刈り込まれた武骨な風貌は、彼らのチームカラーとあまりにも馴染みのよいものに見えた。
いわば、私にとって国見サッカーは「全く真似しようがないもの」として超越した存在であり、畏怖の念すら抱いていた。
「名将」小嶺忠敏監督率いる長崎総大附
【写真特集】長崎総科大附が3発完封で選手権初戦突破!しかし名将・小嶺監督は「まだまだ」(16枚) https://t.co/n5TMKVLih9 #gekisaka pic.twitter.com/HpzWid9ts2
— ゲキサカ (@gekisaka) January 1, 2018
そんな国見高校を長らく指導していた名将、小嶺忠敏監督が現在監督を務めているのが、同じ長崎県の長崎総合科学大付属高校(以下長崎総大附)だ。
既にこの学校に関わってから10年が経過し、その間に長崎総大附も長崎県内で圧倒的な実力を誇るチームになるまでに成長した。
えんじ色と黄色による縦じまのユニフォームを身にまとった坊主頭の選手たちの姿には、かつての国見高校サッカー部のムードをそのまま受け継いでいるかのように見える。
浦和駒場スタジアムで行われた準々決勝に挑む彼らからは、どんな相手であっても怯むことのない堂々たる姿勢も見てとれた。相手は昨年の総体覇者、流通経済大柏である。
「試合を決められる」選手がいなかった長崎総大附
試合が始まると、長崎総大附がその身体能力の高さをいかんなく発揮する。
ボールへのアプローチの速さ、縦へ速い攻撃、そしてゴールを直接狙っているかの様なロングスロー。彼らは決して難しいプレーはしない。トリッキーなプレーもないし、意表を突くようなコンビネーションも使わない。
しかし、どのプレーにも「勢い」と「迫力」がある。まさに私がかつて見た国見高校のサッカーを彷彿とさせるようなチームである。
ただ、この試合の中では長崎総大附には「試合を決められる」選手がいなかった。
この試合に出場できなかった安藤瑞季がその「試合を決められる」選手だったのかも知れないが、かつての小嶺丸には屈強な選手たちの中にも「個」が際立つ選手がいた。永井秀樹や其田秀太のような「特別な能力」を持った選手たちが、高校生離れした身体能力で相手を凌駕するチームの戦いの中で、最終的に「ゴール」に結びつける「仕上げ」の仕事をしていたように思う。
サッカーは「奪い合ったボールを敵陣ゴールに向かって蹴り入れる」スポーツ

試合前 サブグラウンドでウォーミングアップをする長崎総合科学大附イレブン
この日、彼らは3-0で敗れた。
後半だけを見れば、流通経済大柏の完勝と言っても間違いはないだろう。長崎総大附の選手たちも少なからずショックを受けているはずだ。
ただ、かつての国見高校がそうだったように、長崎総大附の高校サッカーへの挑戦は小嶺忠敏監督のもと、これまで通りに続いて行くだろう。
華やかさとは対岸に位置するような小嶺サッカーに、私は言い知れぬ魅力を感じる。
サッカーが「奪い合ったボールを敵陣ゴールに向かって蹴り入れる」のを競い合うスポーツであることを気がつかせてくれるからだろうか。
正面から相手にぶつかり、相手の送り込んできたボールは容赦なく跳ね返し、チャンスと見るや前方へ走り込む。
こんなサッカーの至極当たり前であるはずの要素にこだわる姿勢。
それに気づかせてくれた長崎総大附イレブンと小嶺忠敏監督に大いに感謝したい。