三菱ダイヤモンドサッカー放送開始50周年 気品高き「サッカー馬鹿」達の情熱

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「日本はこれから国際化していく、ならばサッカーについての教養がないとダメだよ。」

1967年、当時東京12チャンネル(現テレビ東京)の審議委員だった篠島秀雄氏のこの言葉によって、日本サッカー界における伝説の番組「三菱ダイヤモンドサッカー」はスタートした。

自身も選手として日本代表でもプレーし、当時は三菱化成の社長でもあった篠島氏は番組が始まるきっかけを作っただけではなく、東京大学の後輩である岡野俊一郎氏を番組の解説者として起用することも提案するなど、その後20年余り放送された人気サッカー番組の礎とも言える人物である。

三菱ダイヤモンドサッカー50周年記念イベント

 

11月23日、番組放送開始50周年を記念したトークイベントが、文京区本郷の日本サッカーミュージアムで開催された。

「サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか」というお馴染みのセリフでスタートしたこのトークイベントのゲストは、900回を超える放送で実況を担当された金子勝彦さん、英文学者でジョージ・ベストに関する著作も出版されている川端康雄さん、三菱重工、日本代表監督も歴任された二宮寛さん、現日本サッカーミュージアム館長で13代日本サッカー協会会長でもあった大仁邦彌の4人。オールドサッカーファンにとっては、何とも懐かしくなる面々である。

番組開始当時の日本サッカー

 

番組がスタートした1960年代。日本国内において海外サッカーを一般の人間が見られる機会は皆無だった。そんな時代背景のもと1964年に東京オリンピックが開催され、1968年のメキシコオリンピックでサッカー日本代表が銅メダル獲得という快挙を成し遂げる。

この快挙によってサッカーはにわかに時代の寵児となったが、世界のサッカー事情を良く知る人々は、オリンピックでメダルを獲ることが必ずしも「世界の列強国」になり得た証ではないことを知っていた。

当時の日本にとって4年に1度開催されるW杯は、出場を目指すべき大会ですらなく、そこで活躍する選手たちが日ごろプレーする英国やドイツのリーグは写真でしか見たことのない世界であったのだ。

英国BBCが毎週末放送していたイングランドリーグのハイライト番組「マッチ・オブ・ザ・デイ」の放映権を買い、三菱ダイヤモンドサッカー第一回放送のカードは「トテナムVSマンチェスターU」

モノクロ映像に映る日本人が見たことのない「フットボール」のスタジアムにはひしめき合うように集まった大観衆の姿が映り、デニス・ローやジョージ・ベストが躍動した。

ダイヤモンドサッカーにカラー映像が登場したのは、1970年W杯メキシコ大会以降。これは同時に一般的な日本のサッカーファンが初めて見ることの出来たW杯でもあった。

 

私が夢中になった80年代前半

私は1971年生まれであり、実際のところ番組が開始された当初の情報には生で接していない。

ダイヤモンドサッカーを熱心に視聴し始めたのも、10歳の頃からなので80年代以降ということになる。

私は毎週土曜に行われるサッカークラブの練習が終わると、18時から始まるダイヤモンドサッカーが楽しみでしょうがなかった。オープニング曲の「ドラム・マジョレット」がかかると、未だに当時の気持ちが蘇ってくる。

サッカーマガジンやダイジェスト、イレブンといった専門誌も月刊で、当時のサッカー小僧たちは、とにかくサッカーに関する情報に飢えていた。

今では考えられないが、ダイヤモンドサッカーでは1つの試合を2週に渡って放送していた。

今週は前半、来週は後半といった具合だ。

それでも、FAカップ決勝が行われるウェンブリーの緊張感は感じることが出来たし、奥寺康彦がプレーするブンデスリーガに自分の理想の未来像を夢見ることも出来た。

そして、金子・岡野両氏の気品ある言葉のひとつひとつが、私にとって世界のサッカーを知る上での上質なレクチャーにもなっていたのだ。

 

 

サッカーに熱狂する人々

そして今にして思えば、私はダイヤモンドサッカーで映し出される英国やドイツの観客がいっぱいに入ったスタジアムの様子に、何とも言えない「自己肯定感」を覚えていたような気がする。

私が小学生であった80年代前半。サッカーをする子どもは完全にマイナーな存在であった。

スポーツ中継といえばプロ野球かプロレスそして相撲。そして子どもたちの遊びといえば圧倒的に野球。

サッカーボールを持っている子もほとんどいなかったし、そもそもサッカーのルールすら良く知られていなかった時代だ。

私は父親が学生時代にサッカーをしていたことで、たまたまサッカーをするようになったが、一緒にボールを蹴ってくれる仲間が増えたのは小学6年になってからである。(1982年W杯スペイン大会の影響が大きい)

言って見れば、誰もが野球をする中でサッカーをしている私は「異端」でもあった。それ故に寂しくもあった。

しかし、ダイヤモンドサッカーが見せてくれた世界のサッカー風景には、自分と同じようにサッカーに熱狂する人々がこんなにも沢山集まっている。それを感じることは快感でもあった。

 

気品高き「サッカー馬鹿」たちの情熱

三菱ダイヤモンドサッカーが開始された時代の日本サッカー界は、私の子供時代以上にサッカーは「日陰」のスポーツであっただろう。しかし、そんな時代背景があってもサッカーを愛する人たちの熱量は今以上にあったのではないだろうか。

あの時代と比べ、日本サッカーが置かれている環境ははるかに恵まれている。しかしそこに、あのサッカーがマイナースポーツの筆頭のようだったあの時代の気品高き「サッカー馬鹿」達が秘めていた情熱はちゃんと息づいているのだろうか。

私たちは「あの」時代を支えた、サッカー界の偉大な先輩たちが元気でいてくれるうちに、彼らの熱い魂をしっかりと引き継いでいかなくてはいけないだろう。

 

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