5年後にはFC琉球がJ1で戦っているかもしれない!その理由

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J3リーグFC琉球にJ2クラブライセンスが交付された。

クラブとして初のJ2クラブライセンス申請に対しての回答が財政面での是正通達付きの交付となったものの、2015年にはJ3ライセンス不交付の危機にも面していた同クラブの状況を考えると、わずか2年という短期間でクラブの成長をより高みに向かわせる上位カテゴリー参戦資格を得るまでになった事は十分に快挙といえるだろう。

FC琉球は「沖縄県初のJリーグクラブ」を目指し、2003年に創設。

沖縄県3部リーグでの戦いからスタートした同クラブには、これまでに名だたる指導者が関わってきた。

2003年の創設期にはテクニカルアドバイザーとしてラモス瑠偉が就任。

2004年の天皇杯初出場時には与那城ジョージが監督として指揮をとった。

JFLに昇格した2006年には石川康がゼネラルマネージャーに就任。

Jリーグ準加盟申請(後不承認)を行った2008年にはフィリップ・トルシエを総監督として迎えた。

2013年にJリーグ準加盟承認され翌シーズンからのJ3参戦がきまった際には薩川了洋が監督を務め、選手の中には沖縄出身の元日本代表、我那覇和樹が在籍した。

クラブ創設からJ2クラブライセンス交付まで実に14年。同じタイミングでJ2ライセンスが交付された鹿児島ユナイテッドFCの創設が2014年であることを考えれば、FC琉球のこれまでの歩みが決して順風満帆ではなかったことを読みとることが出来るだろう。

「最年少」社長 倉林啓士郎の登場

J3クラブライセンス不交付の危機にあった2015年から2016年末までの1年半で社長が3度交代するなど、クラブ経営の立て直しをはかるべく、経営陣の刷新がおこなわれたFC琉球は3期連続して赤字決算を逃れ、黒字転換を果たした。

クラブの次の目標「J2クラブライセンス」を現実のものとするために、2016年12月にスポンサー企業の社長でもあった倉林啓士郎氏がFC琉球社長に就任。

倉林氏は東京大学在学中に起業し、現在はスポーツメーカー「イミオ」の代表取締役。若干35歳。Jリーグで最も若いクラブ社長である。

パキスタンからサッカーボールを輸入するフェアトレードビジネスなどで注目され、FC琉球のユニフォームサプライヤーとして自社ブランド「SFIDA」が契約を交わしたことがクラブとの出会いのきっかけであった。

「オール沖縄」に必要と感じてもらえるクラブに

倉林氏は社長就任の際に、このようなコメントを残している。

「沖縄出身でない人間としては非常に悩む部分もありましたが、このクラブを新しく立て直すことで、沖縄という素晴らしい魅力的な地域のスポーツ振興や県民のためになるのであればということで、お受けすることにしました。17年からの新生FC琉球については、まずは経営の安定化を前提として、しっかりと沖縄に向き合い、県民・地元企業・自治体の『オール沖縄』に必要と感じてもらえるチームを目指すというのが方針です」

SportsNavi 2017年1月23日配信コラムより引用

経済基盤の弱い沖縄という地域でプロスポーツクラブを経営するということがいかに困難なミッションであるのかは、沖縄最大のホテルグループが立ちあげ、Jリーグ参入を目指した「かりゆしFC」が経営に行き詰まり、2010年にその夢を断念せざるを得ない状況となったことにも表れている。

倉林は、沖縄でこそできるJリーグクラブの経営モデルを目指しているのであろう。

『沖縄は日本では最南端、アジアでは最先端』

これは、倉林氏が浦崎沖縄県副知事との会談で言われた言葉であり、クラブの大切な教えとしてFC琉球の中心となる考え方にすると語ってもいる。

プロスポーツクラブである以上、経営的な安定が大前提であることは言うまでもないが、その先に見える風景がどういったものであるのか、クラブ関係者のみならずそうした未来図を地域とどれだけ共有していけるのか。

これは、何も沖縄という地域だけでなく、日本各地のJリーグクラブ、あるいはそれを目指すクラブが目指すべき真の姿ではなかろうか。

今季の観客動員数は前年比240%!

初のJ2クラブライセンス申請を行った今シーズン、FC琉球は経営面でも大きな躍進を遂げている。

観客動員数は前年比240%の平均3136人と、J3クラブとしては大健闘の3000人超え。スポンサー企業社も前年比200%超えの130社まで増えた。

現在までの戦績では今季のJ2昇格の可能性はすでに消滅している。それでもこれまでに勝点46の5位(第30節終了時点)と健闘している。

クラブがJ2ライセンスをもった状態で挑む2018シーズンをチーム現場がより高い目標意識で取り組んでいくことは間違いないであろう。

2022年には那覇市にJ1規格を満たすサッカー専用スタジアムが竣工する予定にもなっている。

もしかすると、5年後にはJ1クラブサポーターが年に1度那覇に遠征するようになっているかもしれない。

そんなことを考えると、また日本サッカーの可能性が広がっていくようで、非常に楽しくなってくる。

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